僕がフランスへ来たばかりの頃(1974年)は、まだフランスの方が、経済的に豊かでした。
東京で勤めた会社では、半地下室のような狭いオフィスに6人も7人もが顔つき合わせ、時には徹夜しなければ片付かない仕事に溜息を吐きながら、テレビに映るフランス人のヴァカンスに一斉に出かける光景が、どんなに羨ましく見えたことでしょう。
「フランスへ行って勤め口を見つけさえすれば、1か月の有給休暇を貰える」
そう夢見て、絶対にフランスへ行って仕事を見つけるんだと決意をお腹の底に潜めて、親と会社には3か月の休暇と断わり、ヨーロッパを見てくると、出てきたのでした。
この時抱いた、1か月の有給休暇の夢は、30年間、日本で働いたと同じか、より苦労した結果、定年直前の最後の1年で初めて実現し、手にすることが出来たのでした。
日本を出た年、1974年を前後して、第一次と第二次石油ショックがありました。
石油を輸入に頼る他ない日本は、自動車の燃費を向上することが緊急の課題となりました。
60年代、高度経済成長を突っ走って来た日本は、一息つくと、公害による被害が、少数の人々の無償の闘いの結果明らかになり、社会問題化した時代でもありました。
日本の企業は、工場と自動車の排ガス問題を解決しなければなりませんでした。この二つの問題と生き残りを賭けて取り組み、日本の企業はついに乗り越えました。世界一燃費の良いエンジンを開発し、工場の排ガスは厳しい規制数値をクリヤーし、自動車は、マフラーにセラミック製のフィルターを内蔵することで、他の国々のメーカーの車とは比較にならない排ガスの浄化に成功しました。
その頃のフランスは日本車の輸入規制をしていました。
日本の全てのメーカーの自動車の輸入総量が輸入車の3%を超えてはならないという規制です。
フランス人の中にも一部の人は、日本車の品質の良さと順当な価格を知っていて、輸入規制を解除すれば、到底日本車に太刀打ちできない、フランスの自動車メーカーは全滅してしまうと危機感を抱いていました。事実、英国は、すでに英国資本のメーカーが全滅、ドイツのメーカーに買われてロゴだけが生き残っています。
フランスの車にセラミック・フィルターのマフラーを付けると価格が高くなりすぎる、と日本人を「働き好きのアリンコ」とやや侮蔑的に批評した女性経済相がテレビで発言したりしました。
EUが現実性を帯びるにつれ、いつまでも輸入規制を続けることは出来ない。フランスのメーカーも競争力をつけるべきだとの議論が欧州各国でも高まってきました。北欧やベネルックス3国は早くから日本車の規制を取り払っていました。規制を続けているのはフランスと、さらに厳しい規制をしているイタリアだけとなりました。
フランスはサンデイカリズムの国といわれて来たように伝統的に労働組合が強く、特に北の工業地帯では、親子代々組合に依存してきた工場労働者が多いのです。
彼らの意識は、この時代まだ、日本車に対して偏見を抱いていたと思います。日本は、われわれ西洋人が発明し、工業化した自動車をコピーし、改良しただけで、安い賃金で、悪質な労働条件に甘んじて働く労働者が多いために、低価格で競争力が強い車を世界中に輸出している。あいつらは、われわれ意識の高い労働者の敵だ、とまあ大袈裟に言えば、そういった敵愾心を僕などは感じたものです。
ここには西欧先進国のジレンマが現れています。組合に加盟している労働者は(加盟率はこの20年の間に激減していますが)、つねにより良い労働条件を求める。人件費の高騰に耐えられなくなったメーカーは、より安い労働力を求めて海外に生産拠点を移転する。空洞化現象は、自動車より前から、製鉄、アルミ、造船など重工業分野で起こっていましたが、車も海外移転を真剣に検討せねばならない時代が来ました。
輸入自由化の波に、防波堤をいつかは越えられると覚悟を決めたフランスの自動車メーカーと政府は、自由化は5年後とタイムリミットを要求して、その間に、自国の自動車メーカーの競争力をつけると約束したのでした。
アメリカでは、もっと直接的なジャパン・バッシングが起こっていましたね。
僕はフランスに居て、車にも乗るようになり、道路脇でボンネットを上げて故障と取り組んでる光景を見るにつけ、こんな故障だらけで利用客に迷惑をかける車しか作れない状況を、なぜもっと努力して変えようとしないんだろう。品質が良く、価格競争力のある車を造ろうとしないんだろうと思いました。車に限ったことじゃありませんが、フランスの暮らしで、一番困るのは、デリバリーです。時間を守らない、遅れるだけでなく、間違いが多いんです。
念のために確認をする。「チェックをする」ことが徹底されていない。というか、間違う筈がないと信じ込んでる様子です。
いろいろ理由はあるでしょうが、ずっと後になって、気が付いたことは、結局フランスは、日本よりずっと前から「合理化」をやって来たのであり、雇用者はギリギリの員数をしか配置しないために、デリバリーの遅れや、ミスが出るのだということでした。
例えば、ガソリンスタンドは、僕が着いた時はすでにどこもセルフサービスでしたし、日本の様に、デパートの駐車場の車の出入りの整理に、お年寄りが数人も掛かり付けで配備されるようなことはありません。日本の方が、はるかにサービスに重点を置き、雇用を尊重する社会だなと最近は思うようになりました。
とまれ「品質」「価格」「納期」といった、競争力を構成する3要素の、どれにおいてもフランスは日本に後れを取ってしまったことが1980年代の後半には明白になってしまったのでした。
(つづく)