ムホクがフランスに亡命できたのは、ブルターニュに住む友人ロイクと、ル・アーヴル製鋼所の製造部長をしているレイモン・ルフェーヴルというフランス人技師のおかげだった。
彼は十年前、アンナバの製鉄所の製鋼工場に転炉を納入し、その時の技術指導の責任者として一年間滞在した。アンナバ市内に下宿を探していたルフェーヴルにムホクは親戚の家を紹介し、その時の縁で十年来の交際が始まった。ルフェーヴルもムホクも若かったし、音楽で意気投合した。
ルフェーヴルはクラリネットを吹いた。アンナバで暮らしていたある日ルフェーヴルはムホクと仕事の後、街のカフェーに飲みにゆき、そこで彼は先祖にフランスの十九世紀ロマン派の詩人で小説家のヴィクトル・ユゴーの縁戚がいると洩らした。ル・アーヴルの造船技師だったレイモンの曾祖父は、ヴィクトル・ユゴーが有名な、レ・ミゼラブルを書く時、些細な罪で監獄に送られ、刑を終えた後、市長になり、馬車の下敷きになった男を救う怪力の持ち主で実際ル・アーヴルにいた男の話をユゴーにした。小説家はこの男をモデルにジャンヴァルジャンを創ったのだとレイモンは話した。この曾祖父は徳川幕府に招かれて横須賀に造船所を建設するため幕末の日本に行ったことがあるとも言った。
ムホクの窮状を知ったルフェーヴルはル・アーヴル商工会議所の集まりで、狩猟仲間のイカルス精油所の経理部長ニコラ・コルビエールに、人柄も頭も良く仕事も出来るベルベルの知人がフランスに移住したがっているが職はないか訊いたところ、ちょうど経理課長の席が空く予定で、ムホクがイカルス石油社長のルイ・フーキエにコネがあるなら全く問題なく採用できると太鼓判を押され、ルフェーヴルが保証人になり、コルビエールに採用手続きを頼んで、県知事に労働許可を含むヴィザを申請し、数週間でムホクの移住が実現したのだった。
ル・アーヴルに移住してからも、ムホクはルフェーヴルの許に月に一回は必ず挨拶の電話をかけた。ルフェーヴルに都合がつきさえすれば、二ヶ月に一回はムホクの音楽仲間の集まりに顔を出してくれた。ルフェーヴルはジャズやポップミュージックが好きで、ベルベルの民謡にもそういう観点から興味を持ち、アンナバに居た頃は土地の民謡ということもあり、進んで演奏に加わりもしたのだが、フランスへ来てからは、立場が逆転したためか、ジャズへの関心が本物で、ベルベル民謡はおつきあいという本音を露わにした。それでも、ムホクはルフェーヴルの友情を信じていたし、亡命を実現してくれた彼の奔走に深い感謝の念を抱き続けていた。
(つづく)


