仔牛を見て思うこと | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える


牧場では、仔牛が母牛に寄り添って乳をせがんだりする光景をよく見る。可愛い仔牛を見ると、ソテードボー(仔牛のソテー)用の肉など買う気がしなくなる。
$フランスの田舎暮らし-仔牛


朝市の野菜のスタンドで順番を待つ間にも年寄りのフランス人が「昔はもっと野菜を食べた」とよく言うのを聞く。西洋にもベジタリアンは中世から居た。10~11世紀の南仏で大衆の間に広範な信者を得て広まった「カタリ派」は異端として弾圧、絶滅させられたけれども、輪廻転生を信じ、菜食主義者たちだった。

以下、支離滅裂を恐れず、今朝、床の中で思ったことを書いてみます。

明治維新まで日本人は牛肉をめったに食べたりはしなかった。もっぱら大豆からタンパク質を採り、動物性たんぱくは、イノシシやクジラの肉から採っていた。日本人が今日も捕鯨を続けていることを西洋の特にグリーンピースなどが非難するけれども、幕末の日本に開港を迫ったのは、西洋の捕鯨船の燃料補給と嵐の際の避難のためだった。

明治初期(明治15年)に日本に来日、滞在して日本人の生態を漫画で描き残したビゴーの素描集を見ると、二等車の座席に下駄や草履を脱いで正座してる男女の絵があって面白く、また隔世の感があるのだが、これらの絵を見ていると、電線の下を潜ると祟りがあるとか、牛肉を食うと牛になるとか迷信が蔓延したというのも、あながち根も葉もないことではなかったろうと思える。

「文明開化」の掛け声で日本人は、アジア人として持っていた伝統を「西洋化」してしまった。

北海道に札幌農学校が出来て、牧畜が教えられただろうし、すべて英語で行われる授業があったというから、完全な西洋化を目指したのだろう。後に日本を世界に紹介する上で先駆的役割を果たす新渡戸稲造と内村鑑三は同じ札幌農学校の出身。

同じ時期、「アジアはひとつ」と唱えた岡倉天心は、「茶の本」を英語で書いて東洋文化を西洋人に理解させる努力を惜しまなかった。

新渡戸稲造だったか? 教育勅語の巻物に対して、頭の下げ方が十分でないという理由で東京大学を追われたのは? 巻物とかご真影とか、物に精神が宿るとして、物に対して十分な表敬の態度を示さないことを理由に迫害、排除したのが日本的ナショナリズムの一面にはある。

西洋の合理主義が生んだ産業革命以後の物質崇拝に対抗するものとしての東洋の精神文化。しかし、日本は精神文明の優越性を唱えながらも選んだ道は西洋と同じ物質文明であり、王道ではなく覇道の道を選んだのだった。

西洋の植民地支配に対抗するには日本も、そして中国と朝鮮も西洋と同じ産業革命をして近代社会を築く以外にないと考え、西洋化の道を選んだのが明治期の日本の政治指導者であり、福沢諭吉をはじめとする近代合理主義思想に傾倒した人々だった。

「征韓論」に関しての大久保利通と西郷隆盛の考えの違いが分かれ目になったし、後の大隈重信内閣の「対支二十一ケ条」の要求は正しく欧米の植民地主義の轍を踏み覇道を行くものだった。

植民地支配とは、フランスが1830年代にアルジェリアの植民地化を開始した時期に見られるように、支配に乗り出す国は、支配される土地と住民に対して、「善行を施してやるのだ」という態度をとることで、他所の土地に乗り込んで支配することの正当化を行う。確かに一面では、アルジェリアの疫病に対して西洋医術を輸出することで「善行」を施したには違いないのだが、先住民を追い出し、肥えた良い土地ばかり自分たちの所有にし、揚句は「言葉」をも自国の言葉、フランス語を押し付け、「今日からはフランス語があなたたちの言葉です」と学校で教える。こういうところまでも日本はそっくり真似をして朝鮮半島の住民から自主権を奪い、日本語を教えたのだった。

「過去の歴史に関しては歴史家に判断を任す」という言葉が言い逃れでしかないことは、閣僚が大挙して靖国に参拝した事実を弁護したことを見れば明らかだから、隣国が怒りを表明するのも無理からぬことなのだ。一国の指導者たるべき人が、歴史認識の表明を避け、自国の歴史を他人事のように逃げ、成り行き任せの態度を取るのを見ると、あまりに卑怯で情けなくなる。一国の歴史とは国土、国民と切っても切り離せない国の最重要要素ではないか。ヴィジョンを示すことが出来ない人を首相に掲げるしかない国には未来がない。かつて池田首相を「トランジスタのセールスマン」と評したドゴール大統領は、米ソ二極化に対抗して核兵器を持つ道を選び、独自外交を進める気迫を持っていた。核武装することが日本の道とは思わないが、アメリカと中国の間に立って日本の取るべき道を少しでも見せるべきではないか。

欧米の物質文明に異議を申し立てる行動が、イスラム原理派のテロなのだろうが、テロによる無差別殺戮は断じて許されることではない。暴力に対し暴力で対抗すれば、勝ち負けいずれであっても等価値にしかならない。異議申し立てをしながら物質文明に取り込まれてしまっているのがイスラム原理派といわねばならない。

そうではなく、西洋の物質文明への異議申し立てを、より高い精神的態度を貫くことで乗り越えるべきだと、また実際に命を賭してお手本となり、インドを独立に導いたのがガンジーだった。「無抵抗主義」とか呼ぶのは誤りで、「精神による物質文明への抵抗」を最後まで徹底して貫いたのがガンジーだった。

日々の暮らしの中で、ニュースとして突出してくるのがテロであったり、ミサイル発射とその脅しだったりなのだが、日常のレベルでは静かに世界は変わりつつあるのを感じる。フランス・テレコムが携帯とインターネットのパッケージ契約に「Zen」だとか「Origami」とか名づけてるのも、フランス人の東洋の精神文化への関心の現れだし、「Sushi」レストランが大流行りなのもダイエットを超えて、肉食文明からの脱却と転換を求める気持ちの表れと言えなくもない。

60年代のヒッピーの世代がベジタリアンを広め、ラマ・クリシュナの踊りを踊ったりベトナム戦争の泥沼から抜け出ずにいたアメリカを内部から告発していたのだったが、枯葉剤やナパーム弾の物量作戦を、地下に蟻の巣のようなトンネルを巡らせることでついに無力化したベトナム人民は決してマルクスやソ連共産党の申し子ではなく、東洋の土着の民族主義によりアメリカの物質文明に勝ったのだった。だからこそ、日本人が成し得なかった西洋の植民主義、物質主義に対する、精神の勝利として、ベトナム人民が称えられるの
だと思う。



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