東京滞在の最終日、1月18日は3つ待ち合わせがあり、朝一の電車でつくばエクスプレスの「みどりの」から都心を横切り多摩川縁の駅と横浜へ行った。
つくばエクスプレスの終点「秋葉原」は乗り換えが不便なので「北千住」で千代田線に乗り換えた。途中乗り換えを間違え、「代々木上原」まで行ってしまった。
東京に着いた2日目には他の待ち合わせが同じ駅前であり、その時は、小田急の成城学園前からバスに乗った。直線距離じゃ近いはずなのに細い道をくねくね回り、おまけに通行人が転んだかして救急車が通行を止め、渋滞ですごく時間がかかった。
こんどはもっと早いコースをと駅員さんに聞いてみると、一駅戻って明治神宮前からJRの「原宿」へ出て渋谷から行くのが一番早いんじゃないですかと言う。
「原宿」の駅は、おそらく38年ぶりだと思う。東京での最後の勤務地がこの原宿駅の近くにあった。駅は昔の面影を全く残さず、すっかり変っていた。屋根がついた階段も線路を跨ぐ乗り換え通路も、大正時代のレトロな木造駅舎も、モダンな建築にとって代わられ、ガランとして空が良く見えた周辺の風景もビルが建て込み、都会の中の駅に変貌していた。色どりも明るくなって外国に来たような雰囲気。
駅前には5分と居なかった。時間が許せば、昔の通勤コースを歩いてみたかったけれどそれもできなかった。
昨年まで、このアメブロに、いつも非常にユニークな、そう、シュールというか、ダダというか、いやあれは未来派だなと思うような奇想天外なユーモアと諧謔に溢れた記事と写真を投稿され、毎回楽しみに拝読していた「eg-baba」様がおられた。お写真では非常に若々しいのだが年齢は、めのおと同じくらいかむしろお歳が上なのではと推察していた。
仲むつまじい旦那さまとの最初の出会いで、若き旦那様ご提案のゲームは、当時あった真ん中に穴のあいたドーナツ状のトローチを「のどチンコ」に嵌めるというゲームだった。
日本にもこんなエスプリの持ち主が居るのか!と嬉しくなり、その記事を読んでからすっかり虜になってしまった。昨年秋におそらくお仕事が忙しくて投稿を止められてしまったのでとても残念だったが、止めると予告されてからの記事に原宿駅前の洋菓子屋「コロンバン」が青春の思い出が残る懐かしい場所とさりげなく書いておられた。
「eg-baba」様のこの記事から、めのおはコロンバンのHPを訪ね、その健在ぶりを知ることができて嬉しかった。記憶違いが原因で、コロンバンの工場へアルバイトに通った高校1年(15歳)の夏休みの記録は小説から削ったが、この時のこととばかり思っていた、代々木のオリンピック室内競技場の「菅笠」型の青灰色の屋根を見ながら緩い坂道を上って行ったのは、実は、それより8年も後に勤務した会社へ出勤する朝に見た光景だったろうと思い直したりした。大学は卒業し、外国へ行く旅費を作りたかったので小さな会社に就職したのだった。その会社の最寄り駅が、やはり「原宿」だったのだ。
就職して最初の半年は、毎日郊外の倉庫へ行き、そこから都内7か所にある店へ注文のあった商品を配送して回る仕事をやった。これを使ってと与えられたのはワーゲンのワゴン車で、その頃、珍しい車だった。
ところが始めて間もなく、倉庫で粘土を運ぶ時、腰を痛めてしまった。その頃は自動車会社は車のデザインにクレイ(粘土)を使っていた。3次元CAD なんてなかったから設計図を粘土で立体に起こしてから出来栄えを検証するのだ。
粘土はUSAからの輸入品で1パックが20kgほどの重さがあった。粘土の積んである場所へ、材料の山をかき分けて登り、パックを両手で掴んで後ろに置こうと上体を捻った瞬間「バキッ」と音がして腰に痛みを感じた。絵に描いたような「ギックリ腰」。
翌日は午前中会社を休んで診療所で診てもらい、午後会社に「病欠届け」を出しての帰り途、原宿駅前の道で会社の専務とすれ違った。
「どうした? こんな時間に?」
「粘土で腰を痛めちゃいまして。2・3日休養しろと医者に言われたものですから」
「そりゃ、まあ。気の毒に。気をつけないとな。ゆっくり休んで完治してくださいよ」
専務は、ゴルゴ13みたいな丸刈り頭に鋭い眼つき。ハーバードに留学したバリバリの経営者だった。
(つづく)