脱亜論を読む その② | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

脱亜論の第3段はスキャンした本のページレイアウトの関係で、二つに別れます。まず、

フランスの田舎暮らし-脱亜3
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日本の明治維新のように、先ず政治を改め人心を一新する活動があれば別だけれどもそうしないのなら、今から数年うちに亡国となり、その国土は世界文明諸国の分割に帰すことは一点の疑いもない。なぜなら、麻疹と同じ文明開化の流行に遭いながら、支那と韓国は、その自然な伝染に背いて無理にこれを避けようとして一室内閉居し、空気の流通を絶って窒息してしまうからだ。

ここで難しい熟語が出てきます。
輔車脣歯(ほしゃしんし)は左氏伝の言葉で、輔は頬骨、車は歯ぐき。または車の副木と車。脣は唇と同じ。利害が密接で互いに支え合わなければ成り立たない関係の意。

輔車脣歯という言葉は隣国が相助け合うことの喩(たとえ)だが、今の支那朝鮮はわが日本にとって少しも助けにならないだけでなく、西洋文明人の眼から見れば、三国が地理的に接しているために時にはこの三国を同一視して、支韓と同じ批評を日本に向ける。例えば、支那朝鮮の政府が昔のやり方で専制政治を敷き法律を信頼できないならば、西洋人は日本もまた無法律の国かと疑い、支那朝鮮の士人が惑溺が深くて科学を理解しないならば、西洋の学者は日本もまた陰陽五行の国かと思い、支那人が卑屈で恥を知らなければ、日本人の義侠もこのため隠され、朝鮮国で人を刑するのに残酷であれば、日本人もまた同じように無情なのかと推量されてしまうように、これらの事例は枚挙に遑(いとま)がない。

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フランスの田舎暮らし-脱亜4


これを喩えるならば、軒を隣り合わせて並んだ同じ村や町内の者が愚かで無法でしかも残忍無情なとき、稀にその町村内の一人が正しい行いをせよと注意を
しても、他の醜に隠されて湮没(いんぼつ)するのと同じだ。その影響が実際に現れて、間接にわが外交上の故障となることは決して小さくはなく、わが日本国の一大不幸というべきだ。ならば、今日の政策方針を立てるのに、我が国は隣国の開明を待って共にアジアを興そうなどと猶予してはならない。むしろ、隣国の仲間から脱して西洋の文明国と進退を共にし、支那朝鮮に接するやり方も隣国だからといって特別好意的に応対するには及ばない。西洋人がするのと同じ風に処するだけのことだ。悪友と親しむ者は共に悪名を免れない。私は気持としてはアジア東方の悪友を謝絶するものである。

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前回書いたとおり、「時事新報」に掲載されたこの記事は、福沢が公私両面で支援をしていた韓国開化派(独立党)の金玉均と朴泳孝らが中心となり、1884年12月4日に起こしたクーデター、「甲申事変」の失敗を契機に書かれました。

当時の李氏朝鮮は、第26代国王の高宗と妃の閔妃(ミンビ)が清に従属する「事大主義」を取り国民の生活を顧みず懐古的で退廃的な支配を行っており、アメリカ、フランス、ロシアなど西洋とも通商条約を結びはしたものの依然として鎖国同然の有様で、諸外国と外交交渉を拒み続けていました。

開化派はクーデターに成功したものの、3日後に袁世凱率いる駐韓の清軍に追われ、金玉均と朴泳孝は日本に亡命しました。ちょうどその折、日本では前回ちらと触れた大井憲太郎など旧自由党員が朝鮮独立運動支援と日本の立憲政体樹立とを結びつけようとして計画した「大阪事件」が発覚します。日本政府は金玉均の事件関与を認め、小笠原さらには北海道に移送します。

金玉均はその後上海におびき出され暗殺されてしまいます。金玉均の遺体は、李鴻章の命令により、清国軍艦で朝鮮に送られます。朝鮮政府は遺体の首をはね、肢体を切り刻み、「謀叛大逆不道罪人玉均」の標札を立てて野ざらしにするという凌辱刑を加えました。金玉均の実父は捕らえられ、同様の極刑に処せられました。「凌辱刑」は中国の「凌遅刑」から来ていますが、国家反逆者に科せられる最も重い刑罰です。清末には西洋のジャーナリストによってこの刑罰の凄惨な様子が写真などで伝わり、「中国の野蛮な刑罰」と非難されました。李朝朝鮮も同じ刑罰を行い、国家反逆者の家族は一族郎党、凌辱刑に処し、金玉均の母親と上の妹は服毒自殺、下の妹は流浪の人生を強いられたということです。
この惨刑は日本に伝わり、朝廷から一般市民までを憤激させました。

公私両面で支援をしていた金玉均が暗殺され死後もこのような辱めを受けたと知った福沢の怒りと悲しみが、この「時事新報」に歴然と表れています。

「隣国の開明を待って共にアジアを興そう」、つまり「興亜」などを言っている余裕は無いのだ。今後は、隣国だからと言って特別な配慮をする必要は無く、むしろこんな悪い隣国と肩を組む仲間付き合いから脱して西洋の文明国と進退を共にすれば良いのだ。私の気持ちとしては、このふたつの悪友と関係を謝絶したいと思うほどだ」といっており、この「むしろその伍を脱して西洋文明国と進退を共に」すべきだと説いたところからこの社説が「脱亜論」として後に、「アジアにおける日本の近代化」が議論される時、必ず引き合いに出されることになります。

  (つづく)

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