前々回に触れた韓国李朝時代の甲申事変は、フランスと清国がちょうどこの時期戦争をしていて、清国は朝鮮半島の政変に介入する余裕は無いだろうと読んだ金玉均らが計画を実行に移したのだったが、運命は非情というか歴史の偶然によって金玉均は翻弄されてしまう。つまり、ヴェトナムを巡ってフランスと清国とが戦火を交え(清仏戦争)予測を裏切ってあっさりとフランスが勝ってしまい、ヴェトナムの権益を失った清国は、朝鮮までも失えるものかと躍起になって閔妃救援に2千人近い軍隊を繰り出し、新政権防衛に当たっていた数百人足らずの日本軍を追い散らしてしまった。
福翁がこれからは「西洋と同じやり方」で行くと書いている、その西洋は、英国、フランス、オランダが東洋に植民地を拡大していた時代だった。フランスはヴェトナム、ラオス、カンボジアのいわゆるコーチンシナの支配権を手に入れる。
清仏戦争のきっかけとなったのは、雲南から北ヴェトナムにかけて紅河流域の支配権を確立しようとしたフランスが清国とぶつかり戦争となった。
金玉均らがクーデタに一旦成功したものの、たった3日で袁世凱率いる清の駐韓部隊に宮廷を追われ日本に亡命した、ちょうど時機を同じくして1885年大阪事件が起こった。大阪事件は、国内の自由民権運動が政府の弾圧のため閉塞したため、海外に進出することで日本の国威を発揚し、また国内改革をも図ろうと考え、朝鮮の内政改革を援助しようとしたグループが、爆弾を製造したり、資金を集めるため強盗まで行った。北村透谷は自由民権運動に加わっていたが強盗に襲われたため運動から抜けたという。実行前に計画は漏れ、139人が逮捕された。大井憲太郎は逮捕され禁固刑を科され、1889年、憲法発布の恩赦によって出獄した。『妾の半生涯』という本を書いた福田英子(景山の改姓)はこの事件に加わっていて収監され、その時の状況を書いたのがこの本。
1889(明治22)年に大隈重信が条約改正に充分な働きをしなかったとしてテロに襲われ爆弾を投げつけられ一命は取り留めたものの右足を失うのだが、そのテロを行ったのは来島恒喜で玄洋社の社中(社員)だった。彼に爆弾を与えたのは大井憲太郎だったと言われている。来島は犯行の場で、短刀を自分の首に横から突き立て、一方の手で前に押し喉をかっ切るという壮絶な仕方で自殺を遂げた。
玄洋社は明治・大正から昭和の敗戦でGHQから解散を命じられるまで、このように壮絶なテロリストを抱える集団として恐れられ、日本の数々の政治的事件の黒幕として、影響を与えてきた。その首領が頭山満で、亡命中の孫文を匿ったりした。玄洋社の海外拠点が内田良平の「黒龍会」。当初は「大アジア主義」を唱え、朝鮮の独立党や辛亥革命、特に家財を売り払ってまで孫文を支援した宮崎滔天もメンバーであり、国会開設を要求する民権運動の在野の団体だった。
(つづく)