連載小説 「異土に焦がれて」 85 | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

第七章

 ヨンヌ県のパルリー村は、オーセールとオルレアンとを結ぶ県道から少し脇道に入った雑

木林の中にある。人口は百人にも満たない隠れ里みたいな村だ。


 ラウルの紹介で啓が派遣された最初の現場はこのパルリー村だった。ここには小さなロマ

ネスクの教会があり内部に中世のフレスコ画がある。


 パルリー村にはパン屋とレストランが一軒あるだけで商店がないので、生活の為には二キ

ロほど離れたトウッシーという村へ買い物に行く。フランス語の百科事典を作ったラルースが

生まれた村だ。この村で毎週土曜日に開かれる朝市は近隣最大のもので、夏の朝は特に

バカンス客や別荘暮らしを楽しむパリジャンで賑わう。農家の人が自分の菜園で採れたトマ

トやキュウリ、ナスなどの新鮮な野菜を売りに来る。野菜は土のついたままのもあれば、形

がいびつなのもある。素朴だが栄養価が高い野菜ばかりだ。


 パルリー村の教会は、周辺の土からとれるオーカーを利用して自然の黄色い土壁にして

あり、ロマネスク様式の迫持ちに囲まれた素朴な内陣の上に八角形の鐘楼が載っている。

内部には十二・三世紀に描かれたフレスコ画が残っている。フレスコ画は、人物の輪郭が

やっと見分けられる程度までに損傷が進んでいる。


 教会の斜め脇の二階建の家が、この教会の修復委員会の事務所に当てられ、その二階

の一室を啓は住居にあてがわれた。


 パルリーへ来て一年近く経ったある日、そこで啓はアンナへ手紙を書いた。


 

 杯の形を壁に見つけた喜びを君に知らせたくて手紙を書きます。傷んで半ば消えかかった

杯の形。それを見つけた時の僕の喜びがどんなだったかアンナはわかってくれると思いま

す。


 十五歳の時に見た『聖杯』のイメージ。十年近く経って、それをここの教会の壁に見つけた

のです。杯のイメージは、長い時間を掛けて僕をここへ連れて来たんですね。


 パリで君に出会い、君が僕に望んだフレスコ画の中に、それがありました。僕はキリスト

の信者ではありません。でもこれを単なる偶然と片付けることはできません。


 思春期の僕は、幾何の公理に疑問を抱き、そこから数学と物理、ひいては人間の科学工

業活動全体に疑問と嫌悪を抱きました。僕は今、フレスコ画の修復に携わることで君が言っ

た『本来的自己』をやっと見つけたと思っています。思春期に抱いた『西洋への憧れ』は僕

の『本来的自己』への希求だったんだなと理解できました。


 いま住んでるパルリー村は、いつかアンナが連れていってくれたオーセールの四十キロほ

ど南にあります。なだらかな丘陵に囲まれた小さな村です。牛や馬や羊が一日中草を食ん

でる村外れの牧場は、クヌギやブナの雑木林に囲まれています。


 この辺はフランスでも屈指のイノシシ狩の名所らしい。冬の今は狩猟の季節で、鉄砲を担

いだ狩人たちが教会の横の広場に集まり、手分けして林に入ってゆきます。林に入ったりす

ると、どっかから散弾が飛んできそうでおっかなくて……。 


 農家が十五軒ほど集まっただけのこんな集落に、中世の教会があるなんて信じられませ

ん。村や県の史跡保存委員会が国に予算を申請したけれど、国が出す補助金はスズメの

涙で、ほとんどボランティアに頼っています。


 村の人たちはみんな親切です。みんなに僕を紹介してくれたラウルには深く感謝していま

す。


 教会の斜め向かいの、昔牧師さんが使ってた家の一室が、今これを書いている僕の寝室

です。春と夏は仕事の後、森や牧場を散歩しましたが、冬の今は、現場と部屋を往復するだ

け。


 三人の専門家と一緒に土曜に朝市が立つ近くのトウッシー村に買い物に行くのが唯一の

気晴らしです。そう、最近リコーダーを始めました。石造りの教会は響きがいいので、うっと

りするほどいい音に聞こえます。



      (つづく)


 

 
 
 



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