連載小説 「異土に焦がれて」 86(最終回) | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

 今のところは三人のフランス人の修復専門家の下働きですが、彼らの仕事を見ながら学

べるし、もうじき研修に出してもらって専門的な知識と技術を習得できます。そしたら僕は一

人前の壁画修復士になれるんです。専門家たちはこんな小さな教会は早く片付けて次の現

場に移りたいと考えてます。でも、僕にはとっておきの場所ですね。


 人物の顔など大事な部分の修復は専門家がやり、背景の壁などは少しずつ僕に任せてく

れます。そのうち僕も研修で技術を完全に身につけ、縦長の顔や撫で肩の人物を描けると

思うと、今から気持がわくわくします。


 彼らは、こんな名もない田舎の村の小さな教会の修復などやっても、名声につながらない

し、食べてゆくのが精一杯なので、もっと規模が大きく有名な教会の修復をやりたがってま

す。


 寒くて湿気の多い冬の教会で、昔ながらのやり方で、生乾きの漆喰に顔料を塗り込む作

業も苦になりません。


 アンナが好きなこの単純化された人物像。僕はやっぱりモジリアニをそこに見てしまいま

す。思春期に見たモジリアニの絵も僕をここへ連れて来てくれたんだと思うと人生ってほん

とに不思議ですね。



 教会の壁は傷んでますが、やっと数年前、屋根が修復されて、保存が確保されました。四

つの壁面にキリストと弟子たちの聖書の物語が描かれてます。絵は部分的に残ってるだけ

で、漆喰は剥げ落ち、線はかすれ、どうにか顔の形が判別できる状態です。人物の表情、

顔の形、衣装の描き方は、アンナが見せてくれたオーセールのクリプトの『白馬に乗ったキ

リスト』と同じです。色はこのピュイゼ地方に産するオーカーから採った黄色と橙が多く使わ

れています。


 そういう絵の中に半ば消えかかった杯が見つかったのです。僕の喜びがどんなだった

か! アンナはもうわかってくれましたね。


 最近知ったのですが、フランスでは昔から民間信仰にあった『汲めども尽きない鍋』が聖

杯伝説と一緒になって広まったんだそうですね。

 
 

 今日は久しぶりに良い天気で太陽が教会の部厚い壁に四つ開いている南側の窓のステ

ンドグラスに当り、薄暗い堂内に光が射しこみました。赤い焼き絵ガラスから射し込む光を

見ていて僕は、もう遠い昔、学校を脱け出して、小高い丘に登り、図書室で借りた本を膝に

置いて、赤く染まった夕焼け空と欅のシルエットを見ながら、西洋への憧れに胸が締めつけ

られたのを想い出しました。


 ドルドーニュといえば、ラスコーの洞窟があるところですね。最近ラスコーは壁画の傷みが

激しく一般公開はやめたらしいけど、壁画の専門家には見せてくれるらしい。僕が一人前の

フレスコ画修復士になったら、ラスコーの洞窟画を見せてもらえるかな?



 僕は核戦争が怖かったけど、今、こうして古い教会の静謐の中で黙々と絵具を壁に塗り込

んでると、恐怖を忘れます。クリプトで君が、ラスコーの洞窟画はクロマニヨン人が描いたと

言ったけど、いつか核戦争で人類が滅んだとしても、壁画が残るのならと考えると勇気が沸

きますね。地球か宇宙の他の星に新しい高等動物が現れて、教会の廃墟に壁画を発見し

たら、ホモ・サピエンスが描いた絵だと言うかもしれない……。


 そんな空想をしながら楽しく仕事しています。ダニエルがフレスコ画は『即自的』と言った

意味がやっと分かりました。僕が死んで無に帰しても壁画は残ります。



 君の旦那さんは元気で陶芸をやってますか? そう言えば、陶芸も『即自的』なところがあ

りますよね。版画よりも生命を受け継ぐ子供を選んだアンナ。かわいい赤ちゃんができたら

知らせてください。そしたら僕はお祝いにドルドーニュへ駆けつけますね。


 御主人と仲睦まじく、幸福にお暮しください。赤い光と聖杯に祈りを捧げながらこの手紙を

終わります。 

 

  感謝と友情をこめて  



    啓                  」


                  了



(4月20日から40日間、毎日たくさんの方に励ましを頂きたいへんありがとうございまし

た。おかげさまで無事連載を終えることができました。温かいご支援に心から御礼申し上げ

ます。連載の初日にも書きました通り、この小説は近々、「アンナへの贈物」というタイト

ルでiPhone 向けにAppStore で販売予定ですが、少し遅れるかもしれません。

この小説のキーワードとなるような
作者にとって一番大事な部分の削除を求めている出版

社と「最後の闘い」が控えておりますので
……(笑)。いずれにしましても、ブログに連載

しました小説は近日中にすべて削除しますのでご了承下さいますよう。 めのお)



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