啓の思いはなにもアンナを抱き寄せて口づけをし、肌を合わせ、ひとつになりたいという欲
望だけに限らなかった。そうした肉体的欲望よりも、なお貴高く、中世の騎士が抱いた恋と
似た感情の方が深く大きかった。中世の騎士は想いを寄せる貴婦人に馬上槍試合のとき命
を捧げる。啓の想いもそれに似て、アンナを崇め、奉り、供物を捧げたい。啓はそんな想い
に囚われていた。アンナになにか捧げものをしたい。その想いは雷鳴に鼓舞され、ますます
昂まった。アンナに喜んでもらえて意味のあるもの。啓が捧げられるのは絵しかなかった。
自分が作った版画も肖像画も欠点だらけで、アンナの作品と比べると見劣りがし、贈るに価
しない。もっと価値のある優れた作品でなければならない。
そのとき、ロロザが見せた絵が頭に浮かんだ。レンブラントの『シャボン玉を持つ少年』。
藤田の『乞食の親子』の小品。それにモジリアニの裸婦のデッサン。モジリアニの簡素で美
しい、張りのある線。半身を捩じり、ボディの脇の形を表す線が、一気に引かれ、力強く、鋭
く、気品のあるデッサン。あのデッサンのモデルはもしかしてアンナの祖母かもしれない。あ
の絵は、アンナへの贈物として最高だ。あのデッサンを贈ろう。なんとかしてあのデッサンを
手に入れてアンナに贈りたい。
ダニエルのアトリエで大掃除の最中、啓の不注意から腐食液をダニエルとアンナの作品
の原版に垂らし、破損してしまった。あの償いをいつかはしなければならないと心に誓った。
二人の作品はもう戻っては来ないが、ロロザの家で見た二つの絵は償いに相応しい価値あ
る作品だ。
ダニエルには、ダニエルを思わせる、あの藤田の小品の乞食の親子の絵がいい。なんと
かして絵を手に入れたい。レンブラントの大作はタヴェルのアリアニザシオンが原因でロロ
ザの手元にある。アリアニザシオンこそユダヤ人の所有物を剝奪し窃盗を合理化したもの
だ。モジリアニのデッサンもアリアニザシオンで手に入れた疑いが強い。藤田の小品は所有
権が曖昧で、入手経路もいわくありげだ。モジリアニのデッサンと藤田の小品をロロザの手
からアンナとダニエルの手に移してやりたい。正しいと信じたことをやり、その結果、法の裁
きを受けるなら、謙虚に罰を受けるまでだ。啓は高校の数学の時間にこっそり読んだ『ソクラ
テスの弁明』を思い出した。犠牲が伴わないやるべき価値がある事なんかこの世にはな
い。犠牲が大きいほど高貴な女性への捧げものの価値が高まる。啓はだれも出来ない事を
やって恋の証しを立てようと心に決めた。
(つづく)