連載小説 「異土に焦がれて」 29 | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

「つぎはグランドね。グランドの入った瓶を傾けて銅版に直接掛けるの。グランド液は傾ければ自

然に流れるから表面全体を覆うまで銅版を傾けながら回すのよ。グランドが銅版の全体を均一に

覆ったら、余ったグランドを銅版の隅から瓶に戻せばいい。

 ああ。そうだ。本番ではグランドを掛ける前に銅版の裏面を保護しておくわよ。グランドを掛ける

かビニールシートを貼って保護するわ。忘れると版が薄くなるわよ。それと、プレートマークを作る

必要があるわね。プレートマークっていうのは、店から買ってきた銅版は四辺の角が鋭くてプレス

に掛けると紙が切れてしまうから、ヤスリで各辺の角と四隅を丸く削っておくの。オリジナルの版

画か印刷かを見分けるには、このプレートマークが紙に出てるか無いかが決め手になるわね。版

画の証明になる大事なマークよ。グランドを掛け終わったらあとは乾いて固まるのを待つだ

け……」

 ここでもアンナは優雅な仕草を見せて啓を魅了した。グランドはアスファルトに蜜蠟が混ぜてあ

り独特の強い匂いがする。インドの香木を思わせるグランドの匂いと、その黒褐色とアンナの腕の

白い肌とのコントラストが結びついて、その日の指導は強烈な印象を啓に与えた。

 次の日は、ダニエルがグランドを掛け終わった銅の小片を使って二ードルの使い方の手ほどき

をしてくれた。グランドを煤で黒く燻し、ニードルで掻き取った跡を見やすくしておく。その後、トレー

シングペーパーに下絵を鉛筆で描き、裏返して版に乗せプレスに掛けると鉛筆の線が黒い煤を掛

けられたグランドに移転する。そこまでの準備をアンナに見てもらいながら啓が終えた後、いよい

よ二ードルを使って黒い版に線を引く。

 啓が丸椅子に腰かけてテーブルに向い、ダニエルが脇に立って、手の位置や、ニードルの握り

方、版面に当てる角度などを指導してくれた。

「ニードルは一定の力と角度を保つよう腕で支えながらグランドを掻き取ってゆくの」

 ダニエルが短い腕で見本を示しながら説明を加える。

「エッチングの線の強弱と濃淡は、ニードルで決めるんじゃなく、腐食液に銅版を漬ける時間で決

めるのよ。長い時間漬ければ腐食の巾と深さが大きくなる。腐食加減はエッチング作品の出来栄

えを決める重要な要素です。作品に望みの線を得るには、二ードルを使って保護膜のグランドをど

の程度剝し取るかというのと、銅版をどれだけ腐食液に漬けて置くかを知る必要があるの。それ

には経験を積まないとね。じゃ、やってごらんなさい」

 煤で真っ黒な銅版に、転写された鉛筆の線をなぞってニードルを引いて行く。蠟が主体のグラン

ドは二ードルを軽く当てるだけで面白いように剝がれる。黒くて細い糸が長くなるとくるくると、ス

イートピーの蔓の様に伸びて行く。グランドが削られた跡は、赤い銅の地が光って見える。練習な

ので下絵はなんでもいいとダニエルが言い、啓は落書きを描いたが、線をすべで引き終えると、

ダニエルが練習用にここの面が黒く出る様に縦横に線引いてごらんと版面を指で差した。啓はそ

の部分に細かい網目状の線を引いた。



   (つづく)


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