連載小説 「異土に焦がれて」 27 | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

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 アンナにもらった住所を頼りに、モンマルトルの東の麓に、そのアトリエを訪ねた時、活気のな

い、打ち捨てられた一廓の、あまりにうらびれた様子に、啓は、胸に寂寞とした思いが白々と広

がってゆくのを抑えることができなかった。


 アドレスにある通りは細く、両側に、倒産し扉を閉めた店が並んでいて、ところどころ雑貨屋やア

ラブ人の営む小さな食料品屋が店先に果物を並べているだけだった。


 アトリエは窓も扉も黒く塗ってあった。窓ガラスの向こうでアンナがモーブ色のセーターに紺のエ

プロンを首から掛け、石盤の上の黒インクをヘラで練っていた。彼女は覗きこんだ啓に気づき、笑

顔を浮かべ片手を挙げ、「お入りなさい」と合図を送った。啓はドアを押し、アトリエの中に入った。


 アトリエは狭くて薄暗く雑然としていた。中央に大きなプレスが据えてあり、大きな黒い車輪状

のハンドルが特殊な雰囲気を醸し出していた。プレス台を横切って、紙やフェルトを挟んだ太いシ

リンダーが金属の鈍い光を放って横たわっていた。左右のテーブルと棚には、積み重ねられた紙

や、インク壺や銅板やプレスを拭き取る洗浄液の瓶などが乱雑に並べられ、どこも、黒い染みで

汚れていた。


 アトリエの奥に、こちらに背中を向け、ひとりの子供が俯き加減に何か作業をしているのが見え

た。アンナが「ダニエル」と声を掛けると、子供は振り向いた。振り向いた人は顔が大人で背丈は

子供ほどの低身長の女性だった。啓は瞬時の間、胸が揺れ動くのを抑えられなかった。


 背の低い女性は着膨れした上に割烹着のような灰色の作業着を着ていた。そのためまるこい胴

体に短い手足が太い棒のように突き出て見えた。啓が好きなブリューゲルが描いたフランドルの

凍った運河の上で遊ぶ農民の子供のように見えた。その人は両手を前掛けで拭いながら、肩を

左右に揺するよちよち歩きで入り口に立っている啓に近づいてきた。


 アンナはダニエルを啓に紹介した。啓は動揺を抑え、差しだされた子供のように小さいが肉づき

の良い彼女の手を握り返した。


「ダニエルはこのアトリエの主で私の先生よ」


 ダニエルは啓が版画を売り歩いていることに興味を持った。


「現代絵画を扱ってるって話だけど、どんな画家の版画?」


 ダニエルが質問した。啓は、ドロネーとかダ・シルバとかアルトウングだと答えた。


「画家の人生として面白いのはハンス・アルトウングだわね」


 ダニエルは絵の先生らしくすかさず知識を授けようと話し出した。


「ドイツ人でフランスの外人部隊に入り、ナチスと戦った変わり者だわ。絵描きになりそこねたヒト

ラーが凶暴な戦争にドイツを巻きこんでゆくのが画家として耐えられなかったんだろうね。戦闘で

右足を切断し、戦後、フランスから十字勲章を授けられ、フランスに帰化したわ。一九六十年のベ

ニス・ビエンナーレでグランプリを獲ってから、アルトウングは六十年代と七十年代のヨーロッパ、

アメリカの若手から前衛画家の旗手として崇められるわよ。リリカル・アプストラクトの代表として

ね」


   (つづく)


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