オルレアンでレクイエム | 雷神トールのブログ

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オルレアンは、めのおのおらが村から100km足らずにある。ジアンからシャトーヌッフ・シュル・ロワールの間は県道で、町がいくつかあり信号待ちがあるので、1時間半かかる。

10月の中頃、都会が恋しいカミサンと買い物に行った。なにせ、ガルリー・ラファイエット(デパート)がある。オルレアンは近年、一斉に改装工事をして裏通りの街並みも見違えるほど綺麗になった。明るく清潔感がある。カミサンは緑が少ない、トロワの方が趣があっていいと言うのだが……。

フランスの田舎暮らし-bricabrac


この日、10月23日の日曜にコンサートがあるというポスターを見つけた。この街の
サント・クロワ大聖堂でモーツアルトの「レクイエム」。チェコのプラハ管弦楽団と合唱隊によるとある。

フランスの田舎暮らし-cathedralecote
        
        オルレアンのサント・クロワ大聖堂の南側側面↑

最近はコンサートもネットで予約し、クレジットカードで支払うと、チケットをダウンロードしてあとは当日会場へ行けばOKとすこぶる便利になった。ただ、このコンサートは Fnac などプレイガイドへ行って、本人が身分証明書を提出し、お引き換えくださいと、昔どおり。近くの街(フォンテンヌブローかブルジュかオルレアン)までチケットを取りに行かねばならなかった。

結局、お天気のいい日を選び、ブルジュへ行った。行く途中の景色が良いのと、久しぶりにステンドグラスを見たくなった。ブルジュのステンドグラスはシャルトルとかパリのサントシャペルのと並ぶほど深みがあって素晴らしい。

行ってみると、この日はブルジュの大聖堂で葬儀があっては入れなかった。2週間ほど前、この街でに
婦人警官が殺害され、その葬儀に内務大臣が参列し、警戒が厳しく
テレビ局の車も来ていた。この婦人警官は武器を不法所持していた男に注意し取り上げたところ、男は自宅から日本刀を持ってきて斬り殺してしまった。フランスには日本刀を趣味で飾ってる男が時々居る。

オルレアンのコンサートを選んだ理由は、開演時刻が午後4時と、明るいうちに家へ帰れるからだった。

開演1時間前に入口が開きますと書いてあったし、席は指定ではないので、多分少しでも良い席を取ろうと大勢が詰めかけるだろうと予想した。後1時には出ようとカミサンを急かせたが、旧家主が置いて行った牝猫が子猫を4匹も産んで地下室に住みつき腹を空かせてるのでエサや寝床の世話などするうち2時になってしまった。

サント・クロワ大聖堂は19世紀に完成したフランスでも一番最後に建てられた大聖堂。第二次世界大戦でナチス・ドイツがオルレアンをロジステイックの中心に使ったのでアメリカ軍の空爆により街と共に大きく破壊された。
ネオ・ゴシック様式のファサード↓

フランスの田舎暮らし-cathfacade


開演30分前に着いたのに既に満席だった。仕方なく、内陣の舞台の横の席に座った。正面から聴くのと違い、音が良くないかもしれないと気にはなったが仕方がない。

本番の前にデイヴェルチメントなど小曲を演奏した。やはりバイオリンの音がか細く聞こえる。プラハ管弦楽団の創設は1945年。この日の指揮はヤン・ストヴァン。楽器はトロンボーン3本、トランペット3本。テインパニーがすぐ近くに見える。わりとこじんまりした編成。

フランスの田舎暮らし-オケ


ソプラノ歌手が歌った時、危惧はさっぱり晴れた。圧倒される声量。人間の声が、どうしてこんなに力強く圧倒的力を持って聞こえるんだろう。ソプラノ=ズデナ・クラウボヴァ。

モーツアルトは「レクイエム」を作曲中の1791年12月5日に35歳の生涯を閉じた。死因は病気よりも医者が行った瀉血による衰弱とされる。シカネーダー一座のために「魔笛」を作曲し終わり、皇帝の為に「皇帝テイートの慈悲」を作曲していた8月末、匿名の依頼主から「レクイエム」作曲の注文を受けた。

映画「アマデウス」ではマスクを着けた使者が金の入った小袋を差し出す。フリーメイソンの注文という説もある。モーツアルトがロレンツオ・ダ・ポンテに宛てたとされる手紙には、モーツアルト自身が死神の使いが来たと書いている。

「灰色の服を着た使者に催促され、自分自身の為にレクイエムを作曲した」


フランスの田舎暮らし-合唱隊と声楽

             コーラスと四部合唱の歌手たち↑

1964年になり、はじめてこの匿名の依頼主が、フランツ・ヴォン・ヴァルゼック伯爵だったことが明らかにされた。アマチュア音楽家の伯爵は有名音楽家に匿名で注文し、受け取った楽譜を写譜し、自分が作曲したことにして発表するのを趣味にしていた。可哀そうにこんな趣味の貴族の為に天才は命をすり減らし死んでしまった。

とまれ、「レクイエム」のうち、モーツアルト自身の手で合唱と全楽器の譜が書きあげられていたのはイントロイトスだけで、キリエ、デイエス・イラエ、コンフェスタテイスなどはコーラスのみ。死後未亡人のコンスタンツエが弟子のフランツ・クサーヴァー・ジュースマイヤーに補筆完成を依頼した。

めのおは、充分この曲の圧倒的な力に魂を奪われた。コンサートが済んで2週間経った今も頭の中でこの曲が鳴っている。

舞台横の席からは、テンパニーの
女性奏者がすぐ近くで、良く見えた。この打楽器が曲にどれだけ劇的効果を与えているかがよくわかった。死んで眠っていた魂が飛び起きそうな元気のよいところと、死神が全速で近寄ってくる暗黒を想わせる和音と太鼓が鳴る。

トロンボーンも近かったのでトーバ・ミルムがよく聴こえた。

サント・クロワ大聖堂は、この街を英国軍から救ったジャンヌダルクにまつわるステンドグラスで飾られている。爆撃で破壊された後の制作なのでわりと現代的なデザイン。そのうち幾つかを貼り付けます↓


フランスの田舎暮らし-火刑台

                火刑台のジャンヌ・ダルク↑


フランスの田舎暮らし-ジャンヌ4

          金色の鎧をまとい天使の羽が生えたジャンヌ↑




フランスの田舎暮らし-ジャンヌ1

このジャンヌはもう完全に天使になり切ってますね↑



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