ルペルチエの公教育案 | 雷神トールのブログ

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「お分かりのように、この方式(後注)によれば、教育税が自分の家族の養育費より高いのは金持ちだけである。しかしこの過剰負担にすらも、二つの利点が見出される。

一つは豊かさの余計な部分を切り捨てることであり、もう一つは、この病的な余剰を財産の乏しい市民の負担の軽減、敢えて言えば、社会全体の利益に振り向けることである。

このようにすれば、この余剰は共和国に真にふさわしい制度を確立し、繫栄と栄光と再生のための最も豊かな財源を開く手段を社会に提供するからである」

(↑1793年7月13日、ロベスピエールによって国民公会で読みあげられたルペルチエによる公教育案)


フランスの田舎暮らし-ロベスピエール
        
           国民公会とロベスピエール (右)↑


ルペルチエが提案する「この方式」を、一言で言えば、公教育に対して、次の様な方式で必要な資金を調達し、国民のすべての子供を寄宿舎に入れ無償で教育するという案。

「1000リーヴルの収入のある人は100リーヴルを負担する。
10万リーヴルの地代収入のある裕福な市民は、子供の教育税として1万リーヴルを負担する。」

現実は、このようにしても、すべての子供を寄宿舎に入れ教育する費用は賄いきれないのでルペルチエの案は採用されず、も少し現実的だったコンドルセの案が支持された。

ロベスピエールはルペルチエの公教育案を本人に代わり国民公会で読みあげたが、その前置きで次の様に演説した。

「ミシェル・ルペルチエはその美徳の想い出とともに、人類の天分がその概略を描いたように思われる公教育案を祖国に遺した。

下手人が神をも恐れぬ凶刃を彼の脇腹に突き刺した時にも、この重要な問題が彼の思想を離れることがなかった。

『私は満足して死ぬ。私の死は祖国に役立つだろう』と述べたこの人物は、祖国に対してこれほど悲痛ではない奉仕を喜んで成し遂げるであろう。

中略

市民諸君、諸君はルペルチエが国民教育を論じるのを聴き、かれの最も高貴な部分にふたたび出会うであろう。

彼の主張を聞けば、諸君が蒙った不幸の大きさにいっそうの悲しみを覚えるであろう。

王の不俱戴天の敵で、圧政が凶暴で非道の極みとして描いた者たちこそ人類のもっとも優しい友であることのあかしを、世界は得るであろう」

フランスの田舎暮らし-国民公会
            
                  コンヴァンンションと呼ばれる国民公会↑


ミシェル・ルペルチエに関する文献は今日ほとんど世に出回っていない。その悲劇的な死と、その死を悼む家族により、革命画家ダヴィッドが描いた死の肖像画も、公共の眼からは隠されいずこかへ埋められた。

死の直後にはフランス大革命の最初の犠牲者として、ヴァンドーム広場に安置され、その間にダヴィッドが絵を描き、その後、国民的英雄としてパンテオンに祀られたほどであったのに。

ミシェルは貴族だったが民衆の立場に立ち、ルイ16世の処刑に賛成票を投じた。僅か一票差で国王の処刑が執行された。投票の晩、パレ・ロワイヤルに居たミシェル・ルペルチエは国王の護衛官パリスによって刺殺されたのである。

ルイ16世の処刑に賛成票を投じた王侯貴族にフィリップ・ドルレアンがいた。パリスはパレ・ロワイヤルでフィリップを殺そうと探していた。偶然そこで休んでいたルペルチエに、国王処刑にお前は賛成か反対か、どちらに投じた?と問うた。

ルペルチエが「私は良心の命ずるところに従って賛成票を投じた」と答えると、パリスは、「ならば、これが褒美だ!」と剣を抜き、ルペルチエの脇腹深く刺し込んだ。

夫の死を悲しんだルペルチエ夫人は敬虔なカトリック・王党派に改心し、ダヴィッドが描いた夫の死の肖像を買い取り、サンファルジョーの城のどこかに埋めたと言われている。

ミシェル・ルペルチエは史上最年少の17歳で裁判官となり21歳で国民公会の議員となった。この人に関し、もうひとつ重要なテーマがある。彼はフランスで最も早くから「死刑廃止」を唱えた人だった。死刑廃止論はその後、ヴィクトル・ユゴー、アンドレ・ジイド、アルベール・カミユなど詩人・文学者が唱え、今日ではEU参加国では死刑が禁止されている。

「死刑」に反対を唱えながら国王の処刑に賛成票を投じることとは矛盾するが、「国王は別だ」とルペルチエは言っている。主権在民を高らかに歌い上げたフランス革命の、国民公会で「国家元首は国民が選ぶ」原則を決めたのだから、世襲によって在位が決まる王制の制度そのものの廃止を決定したのが、この投票だった。

死刑廃止と国王処刑に関してはもう少し時間を貰い、次回に投稿したいと思う。

ルペルチエに関する資料を探していてやっと見つけた本は、日本で出版されていた。岩波文庫「フランス革命期の公教育論」(青701-1)に収められている、「国民教育案」(阪上 孝編訳)である。冒頭の論はこの本から引用させて頂いた。

公教育案を国民公会で演説する前に、ルペルチエは殺されてしまった。マラーと並ぶ大革命の最初の犠牲者としてその死を悼み、ロベスピエールが
代わって読みあげたのだった。

          おらが村ご案内ジャーナル「りゅーらる」


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