ローランの歌 | 雷神トールのブログ

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20日に投稿した「フォントノワの古戦場」で触れたフランク王国のカール大帝(シャルルマーニュ)は王国の西側を脅かすスペインを支配しフランスへも攻め込む勢いのサラセンと戦うためピレネーを超えた。

773年、ピレネー山中のロンセスバーリエス(バスク語、フランス語でロンスヴォー)
という標高900m、ウロビ川の谷間で山岳バスク人と戦闘した。

フランスの田舎暮らし-ローラン551


この戦闘の史実を元に書かれたのが「ローランの歌」。フランス最古の叙事詩。事実はバスク人と戦ったのだが、11世紀末頃書かれたと推定される叙事詩では、シャルルマーニュ軍とイスラム帝国軍との闘いとして書かれている。

11世紀は十字軍が始まっていたので、イスラム教徒と戦うキリスト教徒を鼓舞する役割を「ローランの歌」は担っていた。

サラセンとシャルルマーニュの戦いはほぼ互角だったが、サラセンは使者を出し、シャルルマーニュがアーヘン(その頃はパリとアーヘンが首都だった)に帰るならサラゴサのサラセン人王マルシルもキリスト教徒に改宗すると申し出る。

ローランはシャルルマーニュの甥で、前例でサラセンの申し出は信用できないとするが、継父のガヌロンは受けるべきと主張する。ガヌロンが使者としてマルシル王の許へ向うが、途中、サラセンの勇将ブランカンドランと意気投合し、シャルルマーニュを裏切りローランを奸計に陥れ亡き者にしようと計画する。


フランスの田舎暮らし-ローラン300

マルシル王の貢物と人質を持ってガヌロンはシャルルマーニュの許へ戻り、シャルルマーニュはフランスへ帰る決心をする。殿軍にローランと十二勇将が二万の兵と共に残る。ガヌロンとマルシル王の計略どおり、殿軍に残ったローランの元へサラセンの大軍が攻め寄せてくる。

親友オリヴィエはローランに合図の角笛を吹きシャルルマーニュの援軍を呼ぶよう勧めるが、ローランは名誉心から吹かない。十二勇将は次々に倒れローランも窮地に陥り最後に角笛を吹く。

シャルルマーニュが駈けつけた時は既に遅く、ローランは戦い斃れていた。

フランスの田舎暮らし-ろーらん600

ローランの愛剣はデユランダル。大陸側で圧倒的な人気を博したこの「ローランの歌」に対抗する意図もあって主にプランタジネット朝の英国を中心に作られた「アーサー王伝説」と幾つかの共通点が見つかる。アーサー王の聖剣エクスカリバー。円卓の騎士団は十二勇将だろうか。

この戦の舞台となった地はバスク地方と呼ばれる。ピレネー山脈を挟みスペイン側の南バスクとフランス側の北バスクがある。日本に最初に上陸した宣教師フランシスコ・ザヴィエルはバスクの出身。ザビエルはバスク語で「新しい家」の意味。パンプローナに近いザビエル城で地方貴族の家に育った。最初は哲学を勉強し、パリへ出たがイグナチウス・ロヨラの感化で聖職者を志し、モンマルトルの丘の聖堂で1534年8月15日にロヨラ他7人の青年が神に生涯を捧げる誓いを立てた(モンマルトルの誓い)。

ポルトガル王ジョアン3世の依頼でイエズス会の宣教師として東洋への布教に旅立ったザビエルは、モザンビーク→ゴヤ→マラッカと布教して歩き、1547年鹿児島出身の日本人「ヤジロウ」と出会う。ヤジロウの案内で鹿児島に上陸し、鹿児島、肥前平戸、博多、周防山口、堺、京都、豊後と布教し、日本の文化の元にある中国で布教せねばと気付き、中国の広東省上川島に上陸するが、そこで力尽きて歿した。

夏の暑い日が続くので、つい海を思い起こし、これを書くことにした。バスク地方の海岸へはもう20年以上昔になるが続けて3回ほど夏休みに行ったことがある。ビダール Bidart という小さな海岸の村は鄙びていてペンションも家庭的で良かった。

フランスの田舎暮らし-ビダール海岸

ビダールの海岸は波が荒く、いちど脚を掬われ波に取り込まれて沖へ運ばれた事がある。10年ほど経って再訪した時には、既にその家族がやっていた民宿は無くなっていた。そこでは昼食によく、バスク風チキン( le poulet basquaise )とバスクのお菓子を出してくれた。隣の町はサンジャンドリュズという名の瀟洒なホテルが在る海岸と港町で、そこの突堤で釣った20匹ばかりのアジを唐揚げにしてもくれた。

フランスの田舎暮らし-ビダール家


サンジャンドリュズは1589年にナバラ王エンリケ3世がアンリ4世としてフランス国王となりブルボン朝の始祖となったのでフランスと縁の深い街。

バスク地方の家は木造の破風に木の柱や梁が出ていて日本人には親しみが持てる。

フランスの田舎暮らし-家400

この辺りで盛んなスポーツはシステラ Shistera 。籐で編んだカーヴ付石投げ器↓


フランスの田舎暮らし-システラ

これを手の先に填め硬い玉を強烈な勢いで壁にぶつけ合い点を競うゲーム。


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フランスの田舎暮らし-システラ400

北バスクの中心都市はバイヨンヌ。ここの生ハムはイタリーのハムのように柔らかくはないが塩味が利いて素朴だ。昔は武器製造が盛んで銃剣のことをバイヨネットと呼ぶ。街のミューゼアムに入ると面白い。布で作った素朴な野球のグローブが展示してある。昔の遊びにジュ・ド・ポンムがあり、テニスと野球とバレーボールの原型のようなゲームだったらしい。

1152年にこの地方の女領主、アリエノール・ダキテンヌがのちの英国王アンリ2世と再婚して以後この地方はずっと英国領だったからこの辺りで庶民が遊んでいた素朴なゲームが英国へ渡りスポーツとして発展したと考えてもおかしくない。
この地方には、綺麗なゴルフ場が沢山ある。


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