愛し恋した別れがつらい…男女の別れは死とも繋がって性と死との深淵を暗示してくれる。近松の文楽の世界、シェクスピアならロメオとジュリエット、ハムレットの愛と死のテーマに通じる。フランス古典劇ならコルネイユの「ル・シッド」(エル・シド)だ。
大月みやこさんを見つけるきっかけになったのは、ちあきなおみさんの唄だった。喝采は余りにも有名なので聴き飛ばすと「隅田川」を声量豊かに唄うのに出くわした。舞台に役者として出た時の一場面らしい。江戸情緒が満ち溢れている。が、画面のリストの中で眼にとまったのは「朝日の当たる家」だった。
60から70年代、ジョーン・バエズとともに団塊の世代ならみんな知ってる、ボブ・デイランの歌。大学で知り合った原がギターを弾きながらハーモニカも吹くシンガーソングライターを任じていた。惜しくも30になったばかりで死んでしまったが。
ちあきなおみが唄う「朝日の当たる家」は凄い。娼婦の妖艶さ、悲しみ居直り運命、諦め……余すところなく表出している。彼女は演技力があったと感心する。↓
家を出て故郷を捨て娼館へ行ったというのは、フランスの「昼顔」のカトリーヌ・ドヌーヴ
演じるブルジョワ有閑若夫人みたいに、退屈まぎれに他の男を知りたいためでは決してないだろう。
家の事情、主に貧しさがそうさせたか、ニューオルリンズという都会にあるだろう「自由」を夢見て。
五木寛之の「朱鷺の墓」は若い娘が、その道の専門家「性技男」に無理やり女にされてゆく過程を
残酷なまでにも美しく描いている。
なぜ、こんなことを書く気になったかと言うと、フランスに最近、旧東欧から流れ込んでくる素人の若い女性が道端で客を待つ姿が頻繫に見られるからである。めのおが35年前にパリに着いた頃は、サンドニの門から今のレ・アルまでの細い道の両側に「たちんぼう」が沢山いた。真冬でも毛皮のコートの下は下着だけの女性が並んで流し眼を送る。目の保養に出かけた。エイズが流行り出し命と引き換えに快楽を購おうとする男が激減し、風前の灯。
ところが、フォンテンヌブローに引っ越し住み始めて相当期間が経ってから森の道端にうら若き少女が立ち始めた。森は広いのでハイキングコースから離れた車が通る道端に居る。商用に途中、遊んで行こうか、彼女らを見て性欲が搔きたてられ催す男たちを待っている。ブローニュの森は昔から有名だったが最近は性転換後の人工的なかなり猟奇性の高い場所になった。
4年前に、パリから180km離れた田舎住まいを始めたがなんとこんなところまで!女性が道端に立ってるではないか!テレビで映画を見た。ハンガリーかチェコか旧東欧の国の15・6歳の少女がパリやベルリンへ行けばファッションモデルになって自由に豊かに暮らせると夢見る。そうした若い娘をリクルートするエージェントにうまく乗せられる。憧れの街に連れて行かれるが狭い部屋に押し込められ監視され逃げることもできない。客を取り売り上げのほとんどはボスに取り上げられる。
マフィアが実在する。フランスでは女性が自由意志で愛の取引をすることは犯罪にならない。仲介者、いわゆる女衒が有罪とされる。第一次大戦までは公娼制度があった。ボルデルという。ピュタン・ド・ボルデルは最近の若い娘も平気で口にする罵り言葉だ。
モーパッサンの「脂肪の塊」の主人公の女性は娼婦だ。パリは依然、世界の歓楽都市のひとつなので、どんな超一流ホテルも、中東の石油お大尽が快楽を購う場所となっている。
それは別として今日書きたかったのは、ごく真面目な「マグダラのマリア」について!だったのです。
長くなりすぎるので続きは明日にします。この田舎に引っ越して気付いたのだけれど、ヴェズレイに比較的近いのです。ヴェズレイの丘の上のバジリック(聖堂)には、マグダラのマリア様の遺骨が祀られてます。
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