五月晴れのパリ 25 森先生の特別講義 | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

数日経って、またベベットが電話をくれた。渉に電話があるとサックス夫人かエルザが部屋のドアをノックして呼びに来てくれる。

この頃は固定電話しかなく、サロンの奥に置いてあるので、自然サロンを横切ることになる。ピアノを弾いている男性の脇に立ってドイツ語でシューベルトのリートを唄うサックス夫人の横を通ったり、時には末っ子のデエが、長い縮れ髪を振り乱し、眼鏡を光らせながら、ピアノの鍵盤に手を叩きつけるようにしてジャズを弾いている場面に出くわしたりした。デエはボザール(美術学校)の学生で、ある日渉が、どんな絵を描くのかと訊くと、細密な銅版画が好きだと答えた。

次男のフィリップはいつも家を留守にして気ままな生活を送っているが、いちどだけ家に帰った時に、一緒に散歩に歩こうと誘うのでカルチエ・ラタンまで並んで歩いた。若いのに髪の毛が薄く額が禿げ上がったようなフィリップは、渉にはいちばん気が置けなくて親しみを感じた。サンシュルピスの大寺院の壁はまだ洗浄されてなく真っ黒だった。フィリップの大きな靴が壁に反射してカツカツと音を響かせる。


フランスの田舎暮らし-sulpicenoir

「パリに残りたいんなら学校に登録するのがいちばんいい。学食も利用できるし、一年の滞在許可証がすぐ降りる」
フィリップは渉にパリに留まれと、そそのかすように言った。

ベベットの用件は「森先生に会いたくない?」というものだった。「明日の午後、大学都市で特別講義があるの。だれでも聴きに来ていいって言ってるから行ってらっしゃいよ。午後3時から日本館よ。先生は最近体調が悪くて、大学には滅多に来ないわ。住み込みで管理している日本館で授業することが多いのよ」

大学都市(シテ・ユニヴェルシテール)はパリの南の外れ、環状道路に沿った広大なスペースに各国の研究者の宿泊用に建てた建物が並んでいる。その中の日本館は「薩摩館」とも呼ばれている。幕末にパリで行われた万博には、徳川幕府と並んで薩摩藩が独自のパヴィリヨンを持ち出展したから、それに由来するものとばかり渉は思い込んでいた。そうではないことを後年、藤田嗣治の伝記を読んだ時に知った。この建物には画伯の傑作のひとつである壁画「欧人日本への渡来図」が1929年に完成して今も講堂の舞台の奥の壁を飾っている。

フランスの田舎暮らし-maisonjap

薩摩治郎八は神田の裕福な木綿問屋の三代目で、1920年代にパリに渡り、親から相続した財産をすべて芸術や文化の後援に充て、湯水のように私財を投じたので「バロン薩摩」の異名を当時のパリの日本人社会から貰っていた。大学都市の日本館はこの薩摩治郎八の寄付により建てられた。しかも藤田に壁画を依頼したのも治郎八だった。

日本館はコンクリート製だがデザインは日本風だ。玄関を入ったところで、森有正先生が聴講に来る学生を出迎えておられた。先生は脚が弱ったのか立っているのがやっとという、いかにも苦しげな、何かをぎゅっと耐えているといった表情を顔に浮かべられ立っておられた。玄関を入って右側の50平米ほどの小部屋に先生は学生たちを招き入れた。聴講に来たのはほとんどが修士課程かそれ以上の大学院に籍を置く学生だった。

森先生はレンガ色の表紙の岩波「日本古典文学大系」の一冊を手にしておられた。先生はこれから日本書紀の「国生み」について講義をフランス語でされるのだった。渉の当時のフランス語の実力では、先生がフランス語で講義なさることの半分も理解できなかったが、半分だけを要約すると次のようになる。

「みなさん既に御存じのように、大化の改新に成立した天皇の絶対性を歴史的に裏付けようとしたのが『日本書紀』です。つまり支配階級によって作られた神話が歴史として書かれている。とはいえ、古事記と日本書紀には土着の民衆に信仰されていた神話を見出すことが出来ます。


『書紀』には、最初に天上に三つの神が現れる。つづいて『国生み』の男神と女神(イザナキ、イザナミ)が生じる。男女神は矛で海を搔き回して島を造り、その島に降りて結婚し、『国土(くに)』を生みだし、多くの神を生む。

『火の神』を生んだ時に、女神は焼かれて死に、怒った男神は火の神を殺して女神を死者の国(黄泉の国)に追ってゆく。黄泉の国から戻った男神は『けがれ』を除くために『みそぎ」をする。そして、左眼を洗う時に太陽神(アマテラス)、右眼を洗う時に、月神(ツクヨミ)、鼻を洗う時にスサノオが生まれる。そこで男神はこの三人の子に世界を分配する。

アマテラスには天上(高天原)を、ツクヨミには夜の国を、スサノオには『海原』または『根の国』つまり地下の国を与える。

世界は天・地・海(または地下)の三界に別れ、面白いことに、地上から、天界にも地下にも行って戻ってくることが出来る。つまり、結論としては、『記・紀』を通じて見られる、古代日本の土着の世界観は、地上の現実に超越するいかなる世界も認めず、徹底して此岸的だった、ということができます。

地上に散在した神々を統一するために集合の場所として『天上』を求めたと言うこともできる。

神話の断片を構成する神は日本固有のものではなく、太陽神(アマテラス)は北方系で、天孫降臨の神話も朝鮮の恒雄が大白山の頂上に降りたのと同一です。ニニギノミコトがコノハナサクヤヒメと結婚しイワナガヒメを除けたために、その後の人の命が『岩のように長くありえず、木の花のように短命になった』とする説話は南方型。

アメノウズメノミコトなどシャーマン的要素は北方型だし、海幸彦、山幸彦の伝説は南方型。

さらにスサノオは天上の悪神と地上の善神のふたつの神を体現してますが、これは大和系の悪神と、出雲系の善神をスサノオが一身に代表していることを表す。
このように、日本の神話は南方型(バナナ型神話とも呼ばれている)と北方系の神話の混交と言うことが出来ます」

先生はときおり特徴のあるくりっと丸い目を正面や斜め前の学生に向け、肉付きの良い頬を膨らませ口を突きだしたりして話を続けられた。声は低く早口なので、渉の実力では半分しか理解できなかったのだった。

「今日はここまでにしましょう。あとはワインを飲みながら、みんなで雑談してください」
先生のお話は30分ほどで終わった。先生は、かなり高級なワインを3本、栓を開け、みんなの前に配られた紙コップに注いで回った。

「先生、ひとつ質問があるんですが」ひとり男の学生が質問をした。

「ぼくには北アフリカのベルベル出身の友達がいるんですが、彼が話してくれるベルベルの民話、とくに地下の国から人類が地上に現れたとするところなど日本の神話とそっくりなんです。さらに世界の初め、人類の誕生の部分もすごく日本の神話と似てるんです。つまり唯一絶対の神が天地を造り、粘土からアダムを造り、アダムの肋骨からイヴを造ったという創造神話でなく、自然にできた。最初の男が、泉に水を汲みにいったときに、そこで出会った最初の女の、割れ目を見て、股間のものがむくむくと膨れ上がり、自然と相手の穴に刺し込まれて、子供が出来たと。つまり、ベルベルの神話はアニミズムの世界なんですが、日本の神話もこれと似て、アニミズムなんじゃないでしょうか?」

「わっはっは」と笑ってから先生は言った。「「それは、言えますね。なりなりになって国が出来、人が出来る。神様が天地と万物をお造りになった、一神教と違う」

こんどは質問をした学生が応えた。
「あるがままの自然が、持ってる性質の働きで自ずと世界と国と人間が出来上がった……。でも神武天皇以降の天皇家の正統性を歴史書として残すのが目的だったわけですね。日本書紀の編纂は……。西洋と比べて随分早い時期に日本は神話を歴史化してますね。フランスと英国じゃあ、12世紀ごろやっとアーサー王伝説がプランタジネット朝の正統性を証明するものとして作られた。墓といっしょに」

 (つづく)

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