五月晴れのパリ 24 パリ東洋語学校 | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

一般にラングゾー( Langues O )と呼ばれているパリの東洋語学校は、 INALCO (Institut National des langues et civilisation Orientales )という組織に統合されて、長い間、ブローニュの森の入口のひとつ、メトロの ポルト・ドーフィンヌのパリ大学第9の中にあった。2008年9月からパリ13区のトルビアック大学の近くに7階建ての新校舎の建設が開始され、2010年に竣工、2011年秋の新学期からここで授業が行われる。


フランスの田舎暮らし-INALCO
パリ13区、INALCOの新校舎↑

かつての東洋語学校はオルセー美術館の裏にある細い道、リュ・ド・リール ( rue de Lille )とリュ・デ・サンペール( rue des Saints Peres)が出会う角地にあった。ボザール(美術大学)の裏側になる。現在は、研究所と博士課程と事務所に当てられている。森有正氏が日本語と日本文化をパリで最初に教え始めたのはこの場所であり、その後ドーフィンヌの大学内に移った。


フランスの田舎暮らし-INALlille

         リール通りの東洋語学校(現在は大学院・博士課程)が残る↑

ポルト・ド・ドーフィンヌはパリの西端の高級住宅街16区の外れに在り、凱旋門から真西に下る豪邸が並んだ目抜き通り、アヴニュ・フォッシュがブローニュの森に達する先端と、おなじく凱旋門から西南に斜めに下るヴィクトル・ユーゴー通りの中間に、瀟洒な噴水を中心にチョコレートの老舗マダム・ド・セヴィニェの店などが並んだ、ヴィクトル・ユーゴー広場から西にブーローニュの森に下る道とが交差する位置にある。


フランスの田舎暮らし-いなるこ



約束の時間ぎりぎりにメトロの階段を駆け上り、建物に沿って早足で進むと正面入り口の広い階段の上にベベットが待っていた。
渉は待たせて申し訳ないと階段を駆け上がった。

「走らないでください」

ベベットは少々人を待たせたくらいで慌てる渉の姿を評して言った。フランス人はもっと堂々としてるわよ。

「この建物はね昔、OTAN の本部だったの」

フランスの田舎暮らし-Dauphine

フランスでは NATO が逆さまになる。第二次大戦直後、冷戦が始まり鉄のカーテンから西の国々を防衛するためアメリカを中心に北大西洋条約機構が出来た。
1952年にまずロンドンに本部が置かれ、ついで1959年にパリに移った。はじめはエッフェル塔の前のシャイヨ宮にそしてポルト・ドーフィンヌに移った。1966年にはド・ゴール将軍がアメリカと対等の立場を要求し、フランスから米軍は撤退して本部はブラッセルに、軍事司令部はやはりベルギーのフランスの国境近くの町モンスに移った。

建物の玄関や廊下の壁には至る所に張り紙や落書きがしてあり煙草のいがらっぽい匂いがする。中国の文革の壁新聞の影響が未だに尾を引いている。

「カフェテラスへ行きましょう」ベベットは学生の群れを搔き分けて廊下を進んで行く。

カフェテラスは、長い一本のパイプの脚に径の小さな丸い板が載っただけのテーブルが幾つか並んだ部屋で、コーヒーの自動販売機が置いてある。テーブルを囲んでコーヒーを立ち飲みする。

「N先生が来てくれることになったわ」
N先生は日本人らしかった。

テーブルに紙コップを置いてコーヒーを飲むうち、一人の瘠せた小柄な日本人の男性が近づいてきた。

「N先生。私の論文を見てもらってるの。こちら、渉さんです」

先生は背筋をすっと伸ばして瘠せてはいるが威厳が感じられた。渉は深めの会釈をした。

「日本語を学ぶフランス人は最近増えてますか?」

ベベットが先生のコーヒーを買いに席を外した間に、渉は挨拶代わりに質問をしてみた。

「初年度に申し込む生徒の数は、ここだけで800人もいますよ。ほかにジュイッシュー、パリ第7大学にも日本語科があるから1500人は超えますね。でも、4年間、脱落せず卒業する生徒の数は、ここではたったの30名です」

「やっぱり、すごくむずかしいんですね。外国人にとって日本語は」

「日本語はフランス語みたいに文法構造が論理的に構築されてないから、説明がしにくいこともありますね。それに、日本はフランスみたいに国が文化政策として外国での日本語の普及に力を入れていないってこともある」

「もともと、自分たちでさえ、むずかしい言葉だと見てるから、外国に広めようって意志がないんじゃないですか」

「日本は伝統的に鎖国文化で、庶民も、日本国内でさえ、他所者を排除するためにさまざまな隠語を発明した。仲間ウチだけにしかわからない略語や隠語を操って悦にいるってとこがあるから。フランス語みたいに普遍性を求めて理性さえ働かせれば誰でも理解できる言葉を作ろうって努力をあまりしなかったとも言えますね」

「日本語をフランス人に教えるって、すごく大変だろうなって……論理的に説明できないことが沢山ありすぎて……同情します」

「言葉はみんな、そうじゃないですか。理屈じゃなく慣れだと思いますよ。耳と口で覚えるしかない」

「レペテール。日本語がネイテイヴの人と会話の時間がだいじですよね」
コーヒーを先生に差し出したベベットが口を挟んだ。

渉はそれ以上何を話して良いか話題が浮かばず黙り込んだ。先生はコーヒーをゆっくり飲み干すと、次の授業がありますからと会釈をして去って行った。

しばらく黙ったままでいるとベベットが静かな声で渉に言うのだった。

「バカね。せっかくチャンスを作ってあげたのに。先生にレペテールに採用して下さいって頼めばよかったじゃない」

そんなことツユほども考えなかった。第一ベベットがそんなことのためにN先生とアポを取ってくれたなんて想像してもみなかった。それならそうと事前に言ってくれれば良かったのに。ベベットはおくびにも出さなかったし匂わせもしなかった。

日本でフランス語を学んでいた時、フランスへ行って日本語を教えられればいいなどと夢見たことはあった。でも、初対面のN先生に、突然そんな夢みたいなことをぶつけては失礼だろうし、ベベットの顔を潰すことにさえなりかねない。

西洋人からみたら渉はやはり日本人で遠慮深いのかもしれない。パリへ残ろうと思うなら、そういう遠慮を捨て去り、ダメ元の精神で誰にでも何事にもガムシャラにぶつかってゆかなければ生き残れないのかもしれない。ベベットは闇に渉の柔弱な精神を批判し、ついでに、私はやるだけのことをやってあげたわよと言いたいのかもしれなかった。

 (つづく)

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