こんどは毎日ではなく、書きながらの投稿なので、途中で立ち停まることが多いと思います。今から37年も前、1974年にめのおが着いた頃のパリをモデルにしています。
こんな風に始まります……。それでは、物語をお楽しみください。
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パリは白く乾き切っていた。黄色味を帯びた白い石造りの建物すべてが乾き、五月になったばかりの太陽に照らされて、街全体がまぶしいお伽の国のようだった。北ヨーロッパを駆け抜けてきた渉の眼にパリ全体がこじんまりと凝結して見えた。
この時はまだパリという街が渉の内面とは無関係に、純粋に客観的な、物理的な石の集積として見えた。その後、そこに暮らすようになってから、めのおにとってのパリは姿を一変した。最初見たこじんまりした石の集積は消えて、大きな重力を持った、広い、移動するごとに次々と姿を変貌する生き物になった。街はその内部に住んでみて初めて生き物としての姿を、そこに住む人間の生の各瞬間と分かち難い意味を負った迷宮として姿を現すようになる。
スペイン、南仏、イタリーを回り、二度目にパリに入ったのは五月三日だった。渉は、オーステルリッツ駅に着いてすぐ、ラテン区のラシーヌ通りにある、学生で混み合う小さなホテルに預けておいたスーツケースを取りにいった。
五月のパリは爽やかで、ヨーロッパの他のどの街よりも気持ちが良く親しみが持てた。街を行き交う人々もどことなく浮き浮きして見えた。長く鬱陶しい冬を脱け出て、年寄りも若者も明るい太陽を浴びて心が解き放たれ、どこかに飛び立ちたい思いを誘う。六年前のパリ革命がなぜ五月に始まったかが渉には解る気がした。
ホテルに一泊し、サックス家へ電話を入れ挨拶に行った。四月にパリに入った時は、通りがかった原付自転車に乗った少年に道を訊いた。少年は気軽に渉を原付の後ろに乗せ、グルネル通りと間違えてグルネル大通り(ブールバール)へ連れて行った。
グルネル通りは官庁の多いパリでも最も古い区のひとつ、七区にあり、少しカーブしているので、官庁の重厚な石の壁と、十八世紀の歴史の重みと巧まない富の蓄積を感じさせる瀟洒な邸宅が並んだ美しい通りだ。
石畳の中庭を横切ってから、古いが簡素で木の素肌が出たままの広い階段を二階まで登り、呼び鈴を押すとサックス夫人が顔を出した。淡いブルーのゆったりしたワンピースを着た夫人は、爽やかな笑顔で迎えてくれた。日本で会った時よりずっと落ち着きと貫禄が具わって見えた。夫人に招かれて渉はサロンの中へ入った。そこは明るく広い板張りの部屋で、中庭に面したルネサンス風の細かな桟の入った窓から五月の陽光が射し込んでいた。床に淡い赤が基調のカーペットが敷いてある。サロンの奥にグランドピアノが置かれている。夫人は渉にスペインとイタリア旅行はどうだったと訪ね、パリに滞在したいなら空き部屋があるから暫くうちへ泊っていいわよと言ってくれた。
嬉しさと遠慮をどう表すべきか迷っている間に、夫人は渉が日本で知り合い、パリの知人として文通を続けてきたブリュネ氏やフランス語の先生に電話をしていた。旅行代理店の添乗員だったブリュネ氏は渉の面倒はうちが見ると言い張ったらしかった。サックス夫人はパリの中心にある私の家に置いたほうが渉にとって良いでしょうと、誰も太刀打ちできないパリの七区に屋敷を構えている家柄の良さと貫禄を示し、その申し出を払い退けた。
(つづく)
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