毎日のように出てくる「芳子」という女生徒がケン坊の意中のコで、「丸顔の白い肌にソバカスが浮き、黒い瞳がおおきく、まるで西洋人形のよう」とある。
「ピカソの絵はぼくの趣味に合わない。女性像なら、ボッチチェルリみたいのが好きだ。すなおに美しいって感じるもん」賢二がニキビ面をほころばして言った。
「ヴィーナスの誕生な。そうか。やっぱり絵も具象じゃないとだめなのか。抽象的なイメージは好きじゃないんだな。モンドリアンとか、カンデインスキーとか」
「モンドリアンはつまらない。カンデインスキーは色彩がきれいだし、形もおもしろいけどね。現代画家じゃあ、モジリアニがいいな。ボッチチェルリを思わせるとこがあるし。色がいいだろう。人物の顔や姿が感情をかきたててくれるもん……。
ぼく、点と線のイデアはもてなくても、女性の理想像は心に描けるよ」
「はっはは。イデアがもてる、もてないは、対象によるってわけだ」
絵の話を続けて、また理屈小僧につっこまれると不愉快なので俊一は弟が膝に置いた本に話題を移した。
「ところで、なに読んでんだ?」表紙にはジイド全集とあった。
「ジイドの狭き門……。競争が激しいことの代名詞みたいに使われてるじゃないか。おれが来年受けるとこも狭き門だけどな。力を尽くして狭き門より入れ……、か」
「受験屋が意味をゆがめて使ってるだけだ」
口を尖らせながら賢二が鞄に入れようとする本を俊一は奪い取って目次のタイトルを読み上げた。
「エル・ハジ。縛られたプロメテ。むずかしそうだね。えっ、これ……。ホウトウ?ホウトウ・ムスコって読むのか?」
「ふふ。ぼくが、いまなりかけてる。放蕩息子」
賢二は口の端に自己卑下のゆがんだ笑いを浮かべて、ホウトウをゆっくり発音した。こんな表情の弟を見るのは初めてだった。賢二はいつも模範生で無邪気な笑顔を浮かべ、だれからも可愛いがられていた。
この時は、まだどことない純情さが漂ってはいるものの、なにか初めて作る自己卑下の表情を楽しんでいるようなところがあった。
(つづく)
ポチッと応援ありがとうございます↓
連載の励みになります。