「知ってるよ。自由主義ってことだろ。規制の概念や因習にとらわれずに自分の考えにしたがって行動するってことかな」
「なかなか、いい線いってるじゃないか。その、ガイネンってことケン坊、わかるの?抽象的な思考……。
ずっと前にオヤジが言った。あんとき、ケン坊は点と線が想い浮かべられないって困ってたが。いまは、できるようになったのか?」
「まあね。あのあと、いろいろ考えて、けっきょくボクがたっした結論は、幾何の公理ってのは、虚しいキメゴトにすぎないってこと。
大きさのないものは無であり、無によって位置は示せないから、点の公理は二律背反している。線の公理も、無と無をつなぐ線は無限大にあるかまったく無いかだ。
どっちにしても出発点の公理が虚無なんだから幾何ぜんたいが虚無だってこと。
一歩ゆずって、コトバってものがそもそもキメゴトなんだから、公理に使われているコトバが現実と対応してるか、してないかってことにこだわるのがまちがいだとする。としたら、べつに点とか線じゃなくてもいい。
点とか線のかわりに『ホト』とか『マラ』ってコトバを使ってもいいってことなんだ。
位置だけあって大きさのないものがホト。距離だけあって幅がないのがマラ。ずっと迫力あるだろ。ハハハ……」
俊一にはケン坊の言うことがよくわからなかった。やけになってるだけのような気もした。
「おまえ、リベラルをとおりこしてラデイカルだね」と応じただけだった。
ケン坊は続けた。
「おやじの言ったことを拡大すると、この世はなにもかも、キメゴトでなりたってる。
キメゴトを疑ってかかるのはキケンだけどダイジなことだ。真理とかなんとかいわれてることもキメゴトにすぎない。
それをはっきり言わない教師は、ほんとは真理ってこともわかってないんだって、ボク、思うから、軽蔑する。
生徒のまじめな質問に答えない教師なんか、信頼できない。不信を持ってとうぜんじゃん。
そんなやつの授業なんか、受ける必要ねーもん」
俊一は、そのとき黙って聴くだけ聴いていたが、こんな変わった考え方をする弟は、社会からはみだしてしまうのではないかという心配が胸を暗くした。
こいつはほんとにどうしようもないバカか、ひょっとして、とんでもない天才かもしれないが、どっちにしても、ふつうに生きてゆくには問題を抱えすぎるのではないかとちらっと考えた。
だが、すくなくとも、ガニハチやチュウベエなんかより、ずっとおもしろい人間になることだけはまちがいないと思った。
(つづく)
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