「それと、だ。オマエが疑問を持つこと自体はけっして悪いことじゃない。
いままでは、学校の先生のいうなりにしてればよかった。けれども、思春期になると教科書や先生の言うことに疑問をもつ。
親に反抗する。子供の純心さを脱して、自我というものが頭をもたげるんだね。
思春期の自我の目覚め、反抗期というやつだ。ナマイキになるんだな。
しかし、だれもが疑わずにいることを、ほんとうかと疑う精神、それはそれでたいへん重要なことだよ。
懐疑する心というのは科学の母胎でもある。ガリレオは太陽が地球を回るとだれでもが信じてることを疑ってかかった。
ただ、なんにでも懐疑的ということは長い人生を生きてゆくうえで、つらいことだ。
自分で自分の人生をむずかしくするんじゃないかと父さんは心配だよ。
人生には、自分で頭を使って考えることはもちろんだが、あるていど世間がみとめてる決め事を受け入れなければ生きてゆけなくなることが沢山ある。
また、決断しなければならないことがしばしばある。懐疑ばかりしていちゃあ決断はできないからね」
この晩の父の教訓が少しは役に立って弟の疑問は解消したのかと俊一は思っていた。だが、賢二は、いちど不信を持った数学教師に対し、その後もずっと反感を抱き続けたようだった。
幾何の公理に対する疑問も、たまたま、その部分だけ、不必要に厳密に正確な思考を当て嵌めた、いわば言いがかり的な理屈であって、そこからユークリド幾何学の全体をひっくり返すような数学体系へと思考を発展させる方向へはゆかず、ただ単に子供らしい思い付きをもっともらしい疑問と思い込んで教師に質問したが、取り合ってもらえなかったのが恨めしいだけのことにすぎないではないか。
いつも成績が良くてみんなからちやほやされていた中学時代の賢二には、突き放されて、無視されたような扱いが我慢ならなかったのだろう。
賢二の、そういう意固地な性格に、ときどき俊一は閉口させられたが、この時は、
そういう賢二をからかってみたくなったのだった。
(つづく)
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