父親にやり返す賢二に、さすがに理屈小僧だと俊一は感心した。
「ぼくはいままで真理っていうのは現実と対応するもんだと思ってたよ。
ニュートンの法則だって、アルキメデスの定理だって現実にそのとおりだから真理なんでしょ。存在しえないことを公理にするなんてウソを前提におくようなもんじゃないのか」
「現実にはありえないかもしれないが、こういうものとすると決めることが公理なんだ」
オヤジは今度は大きなボールにお袋が山ほど作ったポテト・サラダを手皿に採りながら、ゆっくりと話しだした。
「ギリシャ以来、人類が認めてきた数学だ。オマエのちょっとした屁理屈なんかで公理がくつがえるわけがない。
先生だって、いちいち取りあげてられんから愚問とかたづけたんだろうよ。
公理というのは現実の点や線を抽象化したもんなんだ。
ケンジももう高校生になったんだから抽象的思考ということができてもいいころだな。
理屈をこねまわさないで、すなおに考えてごらん。
現実にはありえないようでも、頭のなかには大きさのない点、幅のない線が思い浮かべられるはずだよ」
父親はポテト・サラダの固まりを器用に箸に乗せると大きな口を開けパクッと放り込んだ。
「人間はみな……」
モグモグとサラダを咀嚼する間、父親の言葉が途切れた。
「イデアというものを持っている。……」(モグモグ)
「理想とでも訳すのかな……」
ゴクッと今度は大きく突き出た父親の咽喉仏が動いた。
「現実をこの理想に近づけようとする努力が人間の営みだ。
工学の工の字は現実を示す下の線と理想を示す上の線とを結んでいる」
父親は丸く開かれた両目で賢二を正面から見つめながら、箸で空に工の字を書いた。
「これをやる仕事がエンジニアだな」
ふたりの父親がこんなふうに出来の悪い息子に優しく説明を与え、自分の考えを子供に披露するのはめずらしいことだった。
賢二は頭の中にイデアの点と線を思い浮かべようとしたらしかったが、ふたたび泣き笑いの顔を父親に向けて言った。
「やっぱりわかんないよ。大きさや太さのない点と線なんて思い浮かべらんない」
「まあ、いますぐダメなら仕方ない。いそがず、わかるまでなんどでもやってみることだな」
(つづく)
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