12 - 7 教育法の違い | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

 和秋は日本のフルートの先生のお師匠さん的な教え方、体系がなく師匠の芸の真似に基本をおいた日本式の教育法に反撥を感じていた。日本の伝統芸能、琴、三味線、尺八、もっと古くは謡曲に使われるつづみや横笛などの修練には伝統的な教え方があり、古い教え方に則って芸を身体に仕込むということに重点を置いたやり方で、理屈や理論を超えて否応なく伝統を踏襲しなければ成り立たない。

 そこには技術を理性でとらえ、言葉で表現し直し、弟子に伝えるといった精神が稀薄だった。はじめから言葉の価値を認めず、行為の神髄にせまることを目指している。究極のところすべての芸術はミメーシスに尽きるといえばそれまでだが、真の技術を究める段階に言葉と理性による把握、認識を置く西洋の教育法は万人向けで明るいように感じた。

 あらゆる芸には物真似があり芸の伝達とは師匠の芸を盗み真似ることに尽きるかもしれない。日本の伝統芸能の教育法にははっきりとそうした意識がある。

 そこへいくと、ベルトランは自分の芸を分析して理解し言葉で完全にとらえ直し、他人にいともたやすく説明できるのだった。楽器と人体の関係の合理的で理論的な説明をしてくれ、まず理性で理解することにより技と芸への到達を容易にしようという計らいが感じられた。それでも若い和秋には理解が不足で言葉を芸に置き換えるのに、試行錯誤を繰り返さなければならなかった。

 (つづく)

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