12 - 7 完成の域まで極める | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

 和秋とジャンヌ・マリーはときどき合奏のために会った。愛を交わしてからふたりの間にあった敬意や遠慮がなくなりジャンヌは感じたことをなんでも和秋に言うようになった。

 ジャンヌ・マリーはカタリ派の完全者の求道の精神と似た道を歩んで人生の究極の目的を掴みたいと思っていた。カタリ派の発見はその思いをはっきりと自覚させてくれた。

 個とは何か。個性とはなにかを納得のゆくまで追求したかった。日本にたいする関心とこれは無縁ではない。日本人は伝統的に一芸を究め完成の域に達すること、完全になることが大切だと考えてきたのではないか。

 フルートでもなんでもある楽器を完成の域にまで究めることが大切だと思うがカズはどう思っているのかと訊いた。完成の域とは単に技術的に卓越し、完璧なだけでなく、それを支える人間の魂、人間としての道徳的、精神的な完成がなければならない。

 こういう考えは日本の伝統に深くあったんじゃないの。日本の芸事はみんなこれをめざしてるってものの本で読んだわ。

 「完全者の理想的な状態から今のボクの状態を見るとどう?たとえば、フルートの音は?正直に答えて」

 (つづく)

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