シャペルの管理人のマダムが木曜は7時まで開いているから大丈夫よと教えてくれた。
平和のシャペルは小じんまりしたものだし、団体客でたて混んできたので、美術館のある市の中心街へ向かうことにした。

シャペルの隣の敷地にMUMMというシャンペン会社の建物がある。
多分この会社の社長がルネ・ラルーで、藤田の友人であり、シャペルの土地を提供してくれたのだろう。
通りの向かいに工場、倉庫、カーヴ(地下の貯蔵庫)がある。

地下倉は見学できるそうだ。→
ランスはさすがにシャンペンの中心。
街の中心へ近づくほど家の造りが立派になる。
ベージュの明るい石を使っているので豪壮かつ
瀟洒で気品がある。金持ちなのだ。

鉄格子の奥に「どうだんつつじ」が咲き誇っていた。
一年を通じて温度が一定な地下深くに洞窟を掘り、瓶詰めのシャンペンを寝かせる。毎日壜を回す。
ランスから30kmほどのエペルネイには、こうした地下道が延々数十キロにおよぶものがいくつもあり観光名所になっている。壜の数は数十万から百万!
エレベーターで地下道へ降り、無軌道の電気自動車で見学させてくれる。
シャンペンこそ在庫が命のビジネスだ。
在庫ゼロ、ジャスト・インタイムの経営哲学と正反対の古いほど価値が上がる商売。
街の中心は活気があり、若い人が多いのに気がついた。つい最近パリから東方面の高速鉄道(TGV)が開通し、パリ~ランスが一時間で結ばれた。

街中いたるところ工事中。

路面電車が走るそうだ。
カテドラルに線路が向かっている。→
市立美術館には大きく
「フジタ・モニュマンタル - 天国と地獄」
と看板が掲げられている↓

フジタの特別展の部屋へ行く途中

常設展のある絵に「おやっ」と眼が止まった。
「吉永小百合」じゃないか!
「いつ、こんなとこまで来て、モデルを
承諾したんだろう?」
「若い頃?」
「サユリスト」には見逃せない!!
若く、清楚かつ露わな肖像」 →
フジタ展はフランス人グループで
一杯だった。中年の男性が説明をしている。
身動きが取れないので仕方なくグループに混じって説明に耳を傾けた。
どうやら、男性は個人的にフジタを知っていたようだった。話に熱が籠っていた。
フジタはパリに着いた当初、絵のスタイルを確立するまで、試行錯誤をした。
初めはモジリアニや中世のイタリア絵画を彷彿させる絵を描いた。
フジタはピカソのアトリエを訪ねた時ドウアニエ・ルッソーの絵を観て驚嘆した。
猫の絵を好んで描いたのもその影響か?
高校の美術の授業で、石膏デッサンをやらされたが、「マッスをとらえなさい」と先生が輪郭線に捉われる「めのお」のデッサンを見て批評した。
数年前、帰京の折、上野の博物館で「北斎展」を観た。その時、初めて北斎が天才だったこと、デッサン力の凄さを見せつけられた。とりわけ、半割にした「スイカ」に被せた濡れ布巾を通し、スイカの実の感触がまざまざと伝わってくる迫真力に驚嘆した。
日本画のデッサンが実体を「マッス」として捉えていないという日本の洋画家の批判は当たっていないと、この時思った。

フジタはパリで洋画の真似をせず日本画の伝統手法を用いて洋画のモチーフやコンセプトを表現することで成功した。
「偉大なる白地」と面相筆を用いた細い輪郭線はフジタのトレード・マークとなった。
フジタのデッサン力が天才的だったことは、様々のエピソードが明かしている。ヴァンドンゲンと生活費を稼ぐためにカジノ・ド・パリの舞台に上がり、即興でデッサンを仕上げ喝采を浴びたこと。猫や女人の顔と姿態を描いた線は、はっとするほど迫真性を持っている。
閉館まで、フジタの4枚の大作を含め、初公開の絵を満喫した。外へ出ると、目抜き通りのカフェーに若者が集まっていた。 FACE-BOOK が呼びかけたという。
帰りもトロワまで高速を走った。ぶどう畑は、も少し東寄りにあるようだ。周囲見渡す限り麦畑。360°地平線が見える。フランスにも地球が丸いと感じられる場所があった。
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