これら四人の人物の共通点は何か?
龍馬とアーサー王の間には円卓の騎士団、理想の王国建設がある。
アーサーは最初の戦いで野蛮なサクソン軍を追い払った後、王国建設の理想を騎士たちに訴える。「広く会議を興し万機公論に決すべし」と詠った帝国憲法と共通の理念、「専制政治を排し上下の位階を取り払った衆議による統治」。
円卓会議は現代も国際会議などで行われている。
アーサー王伝説とジャンヌダルクには鎧を着た戦士のイメージの他に、「聖杯伝説」、「神のお告げ」、「恩寵」といった宗教性の問題がある。
フジタのシャペルを見たのも、この画家が、晩年、カトリックに帰依し、日本国籍を捨て、死ぬ場所をフランスに選び、平和の礼拝堂を死力を振り絞って建てたことにある。画家が後世に残したフレスコ画は宗教画であり、「恩寵」ということの表白がなされている。
こんなことを書く「めのお」はカトリックなのかと誤解されては困る。むしろ神など信じることができない無神論者。といってもまだ誤解の余地がある。人間の霊性は認めるが体系化され組織だった宗教が嫌いな自由を愛する人、単純にワガママといえばわかりやすいか。
唯物論は人間を満足させない。不幸を齎す。めのおは、ほかの人が信じたければ、お好きにどうぞ。宗教心は否定しません。ましてや宗教は阿片などと聖人の石像の首を刎ねたり、僧侶を虐待したり、仏像を破壊したりなどもってのほかと考える。しかし、信仰には入れない。哲学的にはジェームスのプラグマテイズムに近いです。
脱線ついでに、そもそも「あがた・めのお」の名前は漢字で綴れば「阿片」なのさ!
中学時代の家庭教師についた方の名字が阿片と書いて「あがた」でした。
英語とフランス語で Agate は「瑪瑙」、 Agatheは紀元210年ごろ乳房を切り取って殉教した処女のこと。むろん、英国の大作家にあやかったとこもあるけどね。

「阿片」に吸い寄せられる宗教心を「めのお」も多少は持っている。映画「汚れなき悪戯」で孤児のマルセリーノが禁じられた屋根裏で、キリストの彫像に話し掛けるとキリストの像から光が射し声が聴こえてくる。あの場面で「ぞくっ」と背筋になにかが走るのを感じる人は宗教心がある人。「ミステイック」とフランスでは言います。
しかし、めのおは学問や歴史研究はあくまで合理的精神をもってやるべきと考えます。ジャンヌダルクを聖女と崇める立場からは一線を引いておかねばならない。
最近のフランスではジャンヌダルク研究が進み、冷静な古文書分析からいろんな科学的考察が加えられている。とりわけ大胆な仮説は、ジャンヌは本当は火炙りにされなかった。実際火刑から数年後、ジャンヌを名乗る女性が現れたという。
ジャンヌの出現とオルレアン開放、シャルル7世戴冠に至るフランスの奇跡的逆転は、あるフランスの高貴な出の非常に智謀に富んだ誰かが、予め筋書きを立て、ジャンヌを訓練し、フランス兵士の宗教心という人間の最も根源的な力を呼び起こし英国に勝たせるための大規模な諜報戦だったという説が現れた。
ジャンヌダルク秘密工作員説については、長くなるので次回に譲り、今日はふたたび「アーサー王伝説」について。

アーサー王伝説は複数の作者が何世紀にも渡って書き継ぎ、様々なエピソードを包含して大きな伝説に成長した。エピソードは独立し、「トリスタンとイゾルデ」とか「パーシファル」とか、ワーグナーの楽劇になり、「聖杯伝説」は相変わらず現代も映画や小説に種を提供し続ける。
ランスロットはアーサー王の妃グイネヴィア妃と不倫の恋に落ち、騎士としてストイック

ここでアーサー物語を題材に作られた近年の映画を列挙してみよう。
1960年以降、一般公開された映画で、めのおが知る限りでも7本ある。
1963:デイズ二ーのアニメ「王様の剣」
1967:ミュージカル「キャメロット」:リチャード・ハリス(アーサー王)、フランコ・ネロ(ランスロ)
1974:「湖のランスロット」:フランス映画界の巨匠、ロベール・ブレッソンの「ジャンヌ・ダルク裁判」と並ぶ時代劇名作。
1978:「ゴール人ペルスバル」:ゴダール、トリュフォ、シャブロルと共に「ヌーベル・バーグ」を起こしたエリック・ロメールが監督。ファブリス・ルッキーニがパーシバルを演じている。クレチャン・ド・トロワの原作からロメール自らが脚本を書いた。
1981:「エクスカリバー」:英米合作、ジョン・ボアマン監督、ニゲル・テリー(アーサー)聖剣を中心に胸躍る活劇。めのおは、この映画で岩に刺さった剣のイメージの連想により、黒沢の「七人の侍」と何らかの関連がないかと探究をはじめた。

そして、出会ったのがC. スコット・リトルトンとリンダ・A・マルカーの共著「スキタイからキャメロットへ」という本。
「アーサー王伝説の起源」という題で、日本訳が1998年に辺見葉子、吉田瑞穂訳で青土社から出版されている。
この書の中で、著者はアーサー王伝説の中心を形作る様々のエピソードと道具立て、聖剣エクスカリバーや荷馬車に乗ってグイネヴィア姫の救出に赴く騎士ランスロット、などがアラン族の風習と伝説とパラレルの関係にあることを詳細に明かしている。
「アラン族」はローマ人が植民地として征服したゴロワ(ガリア)、南ブリテン島、南ゲルマニアの広大な領土を支配、管理するために雇った、いわば地頭、代官あるいはその下で働いた管理職として西ヨーロッパの地で活躍した騎馬民族だという。
「アラン族」の痕跡は、フランスのブルターニュやノルマンデイーに地名として残っている。アランヴィル、アランソンなど。さらにアランを姓と名前に持つ人も多い。
アラン族は、現在は僅かにオセット人としてオセチアに生き残っているという。オセチアは北京オリンピックの最中にグルジアとロシアとの戦場になった地域。
1995:「ランスロット」:コロンビア制作、監督ジェリー・チェッカー。ショーン・

グイネヴィア妃が禁じられた恋と知りながら、別れを告げに来たランスロに抑えに抑えていた愛情を抑えきれず、最後の瞬間に接吻を交わしてしまう。ちょうどその時ランスロを無二の騎士と信頼を置いていたアーサー王が妃の部屋に来て目撃してしまう。妃の処刑の日、内紛を利用して、アーサーの理想の王国を略奪に来た隣国の腹黒王の軍隊に取り囲まれ、死を覚悟したアーサーが城内の臣下に素手でも棒きれでも持って最後まで戦えと呼びかけ弓矢に倒れるシーンがいい。
1998:「メルラン」:ステーヴ・バロン監督、最初テレビ映画として作られた。サム・ネイルがメルラン役で名演。メルランの生涯の恋人(ニーム)をイザベル・ロッセリーニ。サム・ネイルという役者は眼の表現力が世界一という評判。マジシャンとしては理性的すぎる嫌いがある。ライバルの女マジシャンが伝統的魔法使いの代表でメルランは合理主義的マジシャンといった設定がおもしろい。
2004:「キング・アーサー」:大ブリテン島に今も残るローマ帝国の北限のハドリアヌスの壁より北の

最新では、映画ではないが、舞台ミュージカルとして「メルラン」が2009年の暮、パリのパレ・デ・コングレで上演された。
上にあげた映画は、みなとても面白く、DVDで入手可能だから是非おひとつご覧になってください。
アーサー王伝説に通奏低音として流れるもうひとつの重要なテーマは「近親相姦」。
アーサーは若い頃、女魔術師モーヴの媚薬にひっかかり美貌の娘モルガンと寝てしまう。実はモルガンはアーサーの母親イグレーヌがペンドラゴンの妃となる前のタンタジェルとの間にできた娘でアーサーの異父姉。
モルガンはアーサーの息子モルドレッドを生む。このモルドレッドが「悪」の象徴と

クレチャン・ド・トロワの叙事詩では、フランスの騎士ランスロットは、もともと罪人の乗り物とされていた荷車に乗り、剣の谷を渡るという試練を乗り越えて誘拐されたグイネヴィア妃を助け出す。
ランスロットが荷車に乗るのも、アラン族が常時荷車を牽いて移動していたからだし、英雄が死んだ墓には土饅頭に刀を突き立てる風習があった。
黒沢朗の「七人の侍」のラストシーンは、野盗に攻められる農民を守って戦い命を落した侍の墓(土饅頭)に刀が付き立っている。西洋の騎士道と何か関係があるかと調べ始め、辿りついた先は、思い付きではなく、少しく関係が認められた。アーサーが王と認められるのは岩に突き刺さった聖剣エクスカリバーを引き抜いたからだった。
ランスロットのシナリオには、困難を乗り越えた者が愛と栄誉を手にするという騎士道精神と現代のスポーツとビジネスに通じるテーマがある。モーツアルトの「魔笛」も試練を乗り越え愛を勝ち取ることに重要なテーマが置かれている。

クレチャン・ド・トロワはもう一人重要な人物を創った。貧しい農民の出のペルスバル(ペーシファル)。敬虔さゆえに、グラアル(聖杯)の探究に出かけた多くの騎士が目的を遂げずに死んだ中でただ一人聖杯を手にし、アーサー王の元へ戻り、腑抜けになっていた王の意識を取り戻す。
「ランスロット」と「聖杯伝説」について更にご興味のある方は次のブログをご覧ください↓
「アーサー王伝説-その3」
伝説と神話の背後には常に政治権力者がいる。
ジャンヌ出現の236年前、1193年に、アリエノールとの婚姻により大陸に広大な領土を得たイングランド王ヘンリー2世は、創始したプランタジネット朝の大陸での信用をより強固なものにするために「アーサー王伝説」を利用した。
大陸であまりにも強大だったシャルルマーニュ(カール大帝)伝説に対抗するたるため「アーサー王」伝説を創り上げ、わが王朝はアーサーの血統と宣伝した。
ブルターニュの伝説では、瀕死の重傷を負ったアーサーはアヴァロン島へ旅立つ。アーサーは、いつか必ず戻ってくる、とブルトン人が素朴に信じていたのを裏切り、アーサーこそわれらが祖先なりとばかり、グラッドストーンベリーの僧侶と謀り、アーサーとグイネヴィア妃の墓が発見されたと公表した。

別にウインチェスターにはアーサー王と騎士たちが車座になって会議をした円卓が現在も保存され教会の壁に展示されている。
だが、アーサー王なる人物の実在をめぐっては様々なアーサーの原型、モデルに違いないとされる人物が想定されるだけで確たる史実はない。
アーサー王伝説はどちらかというとイングランドの伝説として流通している。とりわけ日本では、 野上弥生子が ブルフィンチ著「中世騎士物語」を訳したり(岩波文庫1942年)、夏目漱石が短編「薤露(かいろ)行」をテニスン 「シャロットの女」と「ランスロットとエレイン」を基にして書いたため英国の伝説と信じている人が多い。
立憲君主制を維持する英国ではアーサー王伝説は親しまれやすく、国王の首をギロチンで刎ねてしまったフランスではブルターニュ地方の民話として土産物屋の店頭を飾るくらいで、内陸へ入るほどアーサーは庶民の人気から遠ざかる気がする。
プランタジネット王朝が権威づけのためにグラッドストンベリー修道院と結託して家系図をでっちあげる前に、アーサー王物語は民間に伝わる英雄伝として大陸側とブリテン島の両方にまたがって普及していた。
以下はアリエノールという女性に関しての復習(上のリンクのクリックが面倒な方のためのサービス)です。
1155年に英国王ヘンリーII世の命を受けて、ワースがジェフリー・オブ・モンマスの「ブリタニア列王伝」のフランス語訳を完成する。そして、「ブリュ物語」と名付けてヘンリーII世の王妃のアリエノールに献上した。
ブリュは粗野なとか、まあ豪傑伝といった意味。ここまでは、アーサーはウーゼルの正式な王位継承者なのだが、その後、両親の結婚前に生まれた庶子であり、王位にふさわしからぬ者とされるようになった。13世紀の第一四半世紀と推定される「メルラン物語」(作者不詳)によりアーサーはメルランの手に渡ることとなった。
アリエノールは、アーサー王伝説の変遷と、フランス対英国の歴史にとても重要な役割を果たした女性で、「宮廷風恋愛」を身をもって実践した、いわばフェミニズムの先駆者なのでもう一度触れる。
アリエノールはアキテーヌ(現在のボルドーを中心とするフランス南西部)公の娘で1137年には15歳でフランス王ルイVII世と結婚しフランス王妃となり1147年の第二回十字軍遠征に参加するが、1152年にローマ法王から近親結婚を指摘され婚姻の無効を言い渡される。
ふたりの間にはマリー(後にマリー・ド・シャンパーニュ)があった。一説にはアリエノールの不貞が原因といわれるが、いずれにせよルイVII世とは離婚する。
しかし、離婚してわずか6週間後に、アリエノールは11歳年下のアンジェー伯、ノルマンデイー公アンリと結婚する。ルイVII世と近親婚を理由に離婚したが、アンリとはルイよりも近い血縁関係にあった。
アリエノールは兄ギヨームが1130年に早世したため、アキテーヌ公領、ガスコーニュ公領、ポワテイエ伯領とフランス全土の三分の一近くを支配する大領主だったので、後にアンリがイングランド王を継承してヘンリーII世になると、フランス領土の半分近くが英国領となってしまう。
アンリII世はラテン語を読みフランス語を話した。プロヴァンス語とイタリア語を解したが、英国の王様なのに英語が話せなかったという変わった国王だった。もっともこの時代、今と違って英語は田舎っぺの言葉で、宮廷では文化の香り高いフランス語が尊ばれていた。
ヘンリーII世とアリエノールの間には5男3女が生まれ、そのうちの一人が、リチャード
獅子心王で、末っ子が後のイングランド王ジョンである。
ヘンリーに愛人ができると二人は別居し、アリエノールは独自の宮廷を構え、吟遊詩人や沢山のアーテイストに取り巻かれ、これがフランスの中世からルネッサンスにかけての文学の苗床になる。アリエノールは奔放で沢山の愛人を持っていた。
1173年、二男の若ヘンリー王が共同統治者であるヘンリーII世に反乱を起こし、アリエノールはこれに加担しようとしてヘンリーII世に捕えられ投獄される。以後15年間監禁されるが、1183年リチャードが反乱するとこれを支援した。後にリチャードが即位し、第3回十字軍を率いて遠征すると、摂政としてアンジュー帝国を統治した。
息子の中ではリチャードが一番のお気に入りでリチャードのロマンテイシズムは母親ゆずりだといわれる。
当時としては稀な長寿を全うし、末っ子のジョンがイングランド王のとき、1204年に80歳で死去した。
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