今週の九条の大罪/第68審 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第68審/至高の検事④

 

 

 

 

壬生の仲間になった犬飼だが、さっそくどでかいことをやらかした。さらってボコボコにした人間が京極の息子だったのである。

いまのところはまだそれが京極の息子なのかどうか、壬生も犬飼もわかっていない。だが京極から息子が行方不明であるという連絡を受けて、ぴんときたのか、壬生はすぐ犬飼に電話をかけている。だが、犬飼は壬生の指示通り、すぐにスマホの電源を切り、SIMカードをぬいているのだった。壬生としては犬飼がさらったという男が京極の息子かどうかをまず確認したいので、電話で久我をつかまえ、犬飼を探して彼が拉致した男が誰なのかを調べるようにいうのだった。

 

犬飼はむかしからの連れとしばりあげビニールかなにかで顔を包んだ男のまわりで今後どうするか話し合っている。基本的には壬生の指示するままで、男は病院の前に捨てていくということだ。この男が誰なのかということだが、じつは犬飼もわかっていない。依頼された襲撃だったのだ。男は、親が有名な不良で、男たちが逆らえないのを知っていて、その彼女を襲いまくり、撮影した動画を海外のエロサイトに流しているという最悪の人物だ。依頼者は大金を用意しているが、もし殺してくれるなら、さらに言い値を払うともいう。そこまでするなら、依頼者を殺して全財産奪ったほうが早いのでは?と、からだが冷たくなるようなアウトローの合理性で犬飼はいう。これはもっともなわけだが、特に依頼者は反論などしていない。が、計画は実行された。どちらにしても殺すなら、という理屈なわけだが、相手が憎まれているものであるなら、ばれる確率も低くなる。しかしそういうことではなく、そもそも殺すところまでやる気ではなかったということのようだ。車で待ち伏せた犬飼らはスタンガンなど使って彼を拉致するのだった。

だが、ふと犬飼が男に目を向けると、おそらく音楽をきかせていたであろうところからコードが抜けてしまっており、会話を聞かれてしまっていたようなのだ。様子を見ようと犬飼がビニールを剥ぐ。同じタイミングの描写では壬生が、行方不明になっているという京極の息子の顔を、なにかのSNSで確認しているところだ。ビニールのなかから出てきたのはまぎれもなく京極の息子、竜也なのだった。というわけで犬飼は予定変更、竜也を殺して山に埋めることにするのだった。

 

壬生と九条は屋上でくつろいでいるところだった。そこに電話がきてバタバタしていた感じだ。九条はこれから森田の接見などあるという。そこで壬生は、改めて礼をいう。森田の件についてというより、九条のありかたについてだ。立場を守る弁護士が多いなか、依頼者のために戦ってくれる稀な弁護士だと。

 

さて、森田である。彼がスマホの件を九条の指示としたことを九条はまだ知らない。森田は、父親に頼んで弁護士を変えるつもりだというのである。

 

 

 

 

つづく。

 

 

 

森田と接見した帰り道に、九条はやはり嵐山と話した帰りの烏丸と遭遇する。まさかこれは、嵐山とかとは別のところで、偶然烏丸に依頼がまわってきた感じじゃないだろうな。しかし、そうするとよくわからない。森田は、京極だとか小山だとかを弁護することに比べたら、小粒すぎて、いかにもふつうの弁護士の仕事っぽい。烏丸が批判した九条の態度、悪人と親しすぎる状況とは、遠いといえばそうかもしれない。しかし森田がスマホゲームしながら運転して子どもの片足を奪ったことを烏丸は知っているわけである。仕事なのだから当然のことである、というのであれば、「悪人とのかかわり」を、どこかで線引きするにあたって、彼はなにを基準にするのだろう。「仕事なのだから」は九条にとっても同じことなのだ。森田と京極の人物的な違いは、小粒なのか大物なのかという点にしかない。

となると、烏丸が森田を弁護するのだとしたら烏丸の意図は2通り考えられる。ひとつは、たんに考えをじゃっかん軌道修正したということである。嵐山と話して、九条は職務を遂行しただけだとくちにすることで、じしんその言い分に納得したのかもしれない。そしてふたつめは、軌道修正の結果ともいえるかもしれないが、罪を憎んでひとを憎まずというか、罪刑法定主義の原理的発想というか、「ひと」ではなく犯罪行為の「構成要件」を担当するという考えである。改めていってみると当たり前のことだが、九条が結果として悪人ばかり弁護することになっている現実が目前にあると、そういう視点もちょっとかすんでしまうぶぶんはあるかもしれない。九条は別に悪人ばかり選んで仕事をしているわけではなく、結果としてそうなってしまっているだけなのだ。

しかし、とはいえ、なんだかよくわからないふるまいであることにはちがいない。たぶんこの場面は、偶然ふたりが出会ってしまったという以上の意味はないだろう。森田の弁護士は別の誰かがするのだ。

 

罪刑法定主義とは、「法律なくば犯罪なく、法律なくば刑罰なし」というものである。ひとの犯す「罪」や、それに対応する「罰」は、「法律」が設定する。もし「罪」を犯すものが「悪」だとするならば、「悪」とは「法律」がそのように指差すものである。そして「法律」とは、日本では基本的に文章で構成されている。「言葉」なのだ。このことと、九条との対面におけるやりとりから、彼の兄・蔵人は、「言葉」によって、もっといえば「言葉」のみによって世界を分節し、最終的には「悪」を想定する人物と考えられた。そしてこれは烏丸もそうだった。例の「日本一のたこ焼き屋」である。彼は「日本一」ということに定義を求める。言葉がすでにそこにある以上、それが空語であることに彼は耐えられない。九条はそうではなく、ほんとうに日本一なら残るし、そうでないなら淘汰されるという立場であり、語じたいがどのようなものであれ、内実はやがて伴うという見方だ。

法律、つまり「言葉」のない世界に、罪、転じて「悪」はない。「言葉」が「悪」を創出する。そのように言い換えてみると、蔵人の立場ももう少しクリアに見えてくるかもしれない。九条は『星の王子さま』が「大切なものは目に見えない」と指摘する「見えないもの」をつかみとろうと努めるものである(詳細は第10審感想)。とはいえ、なにかを大切におもうという感情、ここでは見えていないので「おもうはずだ」ということになるが、いずれにせよそれをつかみとるための回路のようなものは、大切なものとそうではないものとの差異を受け取らなければ成り立たず、そうした感性は言語と無縁ではない。だからこの「星の王子さま」のテーゼは、王子のような超越者以外のものにとっては、失望とともに語られるものである。なにかを「大切」であるとおもうということ、それは世界を分節する行為と密接につながっている。むろん、動物が言語を用いずになにかを「大切」にすることはあるだろうから、これは極論ではある。しかし、現実問題、「大切なものは目に見えない」ということを理解はしても、それをつかむことはたしかに誰にもできないのである。目に見えないのだから。なぜ見えないのかというと、「大切」におもうという感性が、世界を分節する言語の機能と高い親和性をもっており、事物と事物のあわいにある「指差すことのできないもの」の出現を導いてしまうからである。

 

九条は弁護士であり、法律の原則と手続きを頑なに守る頑固者である。だから、九条の「星の王子さま」的要素は、じつは本質的ではないのかもしれない。ただ彼は、「法律なくば」の世界を常に前提にして、もしくは視野にいれて、仕事をするのだ。森田のようなどうしようもない悪人のはなしをしているのではなく、ここでぼくは曽我部やしずくのような、とても弱いものたち、九条が手をさしのべなければどうにもならないところに落ちこんでしまうひとたちを想定している。こういうものたちは、法的には、また言葉で構成される「理知」の視座からは、こぼれおち、「見えない」ものたちである。九条には、彼らが見えている。法律、言葉が、彼らの存在のあとにくる。たこ焼き屋の味のあとに、「日本一」という称号があらわれ、定義されるように、である。

では蔵人、また烏丸はというと、まず言葉がある。言葉の宇宙があり、その地図の内側に、事物を配置する。善や悪は、その宇宙の秩序に導かれて自然に決定する。なかには、その宇宙が均衡を保つ以前の場所にいる九条が守る「悪」も、当然あるわけである。だから、そうした九条のスタンス、またシンプルに「悪」を許さないという態度が成立するためには、「法律」への全幅の信頼が必要になる。では九条はそうではないのかというのが難しいところだ。彼自身はむしろ必要以上の原理にしたがう人間だ。それがどうしてここまで蔵人と分岐してしまうのか、というところでは、やはり「弁護士」という仕事がポイントになるのだろう。罪刑法定主義のもともとは、国家の恣意による国民への刑罰を禁ずるため、要するに国民を護るところにある。「悪」を規定し、積極的に探し出すことが、少なくとも最優先の動機ではないのである。法律は、犯罪行為を明確なものとし、なにをすると罰せられるのか国民に明らかなかたちで開示し、ひいては刑罰権の濫用を防ぐ、こういうものなのである。こう考えると、九条と蔵人は、罪刑法定主義の解釈の表と裏である、などということがいえるかもしれない。蔵人においては、「法律なくば悪はなし」は、法律が悪を規定するものであり、その法律は全幅の信頼をよせるものであるから、悪は徹底的に叩かなければならないということになる。たほうで九条では、「法律なくば」は別のしかたで響く。というか、文章がいっていることそのままに響く。法律がないところには悪がなかったのであると。まず「世界」がある、まず「人間」がいる。そのうえで、害悪を抑制し、弱いものを護るために、秩序が必要になる。だが同時に、強力な国家権力に好き勝手に罪と罰を設定させてはならない。法律はそのためのものにほかならないのであり、九条はこの理路で、蔵人とはまったくちがう動機で、「手続き」を守るのだ。

 

勉強ができるタイプの烏丸は、当然蔵人タイプ、言語としての法律を読み取って、それを経由して世界じたいも読み取るタイプの視点を採用する。だが、彼が九条のイソベンをしていたのは、そうではない、まったく異なる、罪刑法定主義の裏側からの視点がありうるということを知ったからである。彼はここで揺れているわけである。

 

今回の展開と関係ないところで書きすぎてしまった。いまはなにしろ竜也と犬飼だ。京極は、息子が行方不明だというわりにはぜんぜんあわてておらず、案外この展開に怒らないなんてこともあるんじゃないかなという気もするが、彼はヤクザである。怒っているかどうかはあまりかんけいない。どうあれたいへんな弱みの生じた人間を見逃すはずはないのである。だから、なんとしても壬生はこの件を隠し通さなければならない。竜也は人間的にはやはりどうしようもなさそうだから、生かしておくのはまずいだろう。前回壬生が指示したとおりに行動すれば、しばらくは安全かもしれない。だが京極は当然犬飼に依頼したあの男にすぐたどりつく。そうなったら、彼はあっさり犬飼に依頼したことを吐くだろう。問題はその展開が壬生には瞬間的に見えてしまうということである。わりと詰んでいるわけだが、どうするのかな。といっても、菅原と犬飼が組んだときも詰んでるように見えたしな・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

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