今週の九条の大罪/第66審 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第66審/至高の検事②

 

 

 

 

「九条の大罪」最初の事件でも登場した森田が嵐山に捕まる。内容としては、酔って暴れただけだが、薬物も所持していたらしい。だが、嵐山の目的は森田というより、以前森田を助けた九条である。

 

休日に壬生から連絡を受けた九条が詳しいはなしを聞く。森田は壬生の後輩だが、シビアに人間関係を取捨選択する壬生であれば特に、とことんまで面倒をみるような人間でもない。だが森田の父が建設会社の社長で付き合いがあるということのようである。このいいかたでは、たとえば死体処理を部分的に任せているとかそういうことではなさそう。ただのつきあいっぽい。

 

ブラックサンデーとの休日返上で九条が森田に会いにいく。薬物所持に陽性反応、実刑は免れない、そもそも森田は交通事故の件で執行猶予中だと、説教気味に九条がいうのを、森田は含みのある目つきで見ながら黙って聞いている。房にもどってからも、森田は嫌な感じでなにかを考えている。彼はいま嵐山から九条を売るようにいわれているところなのだ。当然、そういうはなしだろう。

車での帰り道、九条はなにかがひっかかるという。森田がつかまったのは森田の知性がナニだからであって、そこまではある意味想定内の展開なわけだが、その後の森田のリアクションのことかもしれない。今回森田からはどうしても外に出たいというような気持ちは感じられなかったのだ。ときどき、サブリミナルにしかけられているかのようにあらわれる「日本一のたこ焼き」を今日も気にしつつ、九条は通過する。車が停めづらいのだという。

 

 

嵐山が重点的に攻めているのは森田のスマホである。最初の事件のとき、森田は運転しながらスマホでゲームをしていて、事故をおこした。だからスマホを調べられるとまずい。なのでなくしたということで事務所に置いていけと九条は指示したのである。そのことはまだ森田はだまっている。だが、もしこれが弁護士の指示ということになれば、証拠隠滅になる。しかも今回、なくしたはずのスマホを森田はもっていたわけなのである。

部下に問われて、嵐山がいくつか必要な条件を列挙していく。ひとつは森田本人の供述。あさはかな森田はもう少しゆさぶれば九条に指示されたといってしまうだろう。今回の九条の説教も後押しになってしまってもいる。次に第三者、別の参考人の証言をとって、森田の供述の信用性を高める。そのうえでみっつめ、客観証拠を加える。物理的な、誰がみても解釈に異同が起こらない数量的証拠だ。これが嵐山の攻め手である。

そこで解析の終わったスマホを深見がもってくる。薬物の売人とのやりとりは出てこなかったそうだ。だが、今回は売人は追わなくていいと嵐山はいう。どうせ行き着くのは京極である。

続けて、位置情報サービスで利用頻度の高い場所が知らされる。自宅、父親の会社、パチンコ屋、というところで、交通事故のあった日の履歴が九条の事務所になっていることも明かされる。決まりじゃん、どうすんの。待てよ、事務所に入る前に外の生垣的なところで森田が落としてしまったということにすれば・・・。

 

 

九条はいったん屋上の秘密基地にもどって鯖缶とキムチのグラタンを食べている。近くには壬生とブラックサンデー。嵐山の動きを詳細に知ることはできないが、ふたりの洞察力をもってすれば、これからなにが起ころうとしているかというのはよくわかるようだ。嵐山は歩兵の森田を攻め、飛車角の壬生や九条を落として王将の京極を狙う気だと。九条は壬生に対してはけっこう素でしゃべるんだな。京極のこととか、建前上よく知らないふうにしそうなものだけど、壬生とは前提事項のようにして話している。

弁護士事務所に強制捜査というのは、よほどでないと警察もためらうのだという。失敗したら大騒ぎだからだろうか。しかし勝算があるなら徹底的にやると。

 

流木のところにいる烏丸に、嵐山から電話がかかってくる。本庁にきて話せないかと。

 

 

 

 

つづく。

 

 

 

 

九条を落とすのに必要な三つの要素、ひとつめの森田の自供は時間の問題だろう。三つ目の客観証拠も手に入った。あとはふたつめ、第三者の参考人の証言ということになる。それが、その場にいたはずの烏丸、ということになるだろうか。1巻を読み返すと、九条は「独り言」としてスマホを置いていくようにいい、その前に烏丸はスマホでゲームをしていた供述は控えたほうがいいというふう言っている。いったいどのあたりから「指示」になるか、という点も気になるが、客観証拠が見つかっているので、このあたりは「森田がそう感じた」というだけで大きな意味を持つかもしれない。そしてそれを聞いていた烏丸が、森田がそう感じることに合理性はあるかどうかを証言すればよいのである。法律面では弱者である森田のことであり、ここに合理性は認められてしまうだろう。この流れでは、烏丸はスマホを置いていけとはいわないまでも、ゲームの件がこちらに不利に働くことについて、そしてその証言を積極的にはしないほうがいいということについては、思い至り、じっさいくちにしたことは黙っているということになる。ただ、このあたりのことは手続き的にどうなるかはわからない。森田と話しているのは九条であり、烏丸は近くにいただけとも解釈できるからだ。だからこの件の法律的解釈にかんしては放棄して、問題は烏丸のなかでの一貫性である。漫画としてはまだキャラクターがそれほど固体化していなかった第1審のはなしだ。いま烏丸は、これ以上反社会的勢力とつきあうようなら九条のもとを離れるとして、じっさい離れているわけである。白黒はっきりさせたわけだ。ところが最初のころの烏丸はまだグレーなぶぶんも受け容れていたようでもあったわけである。それは、あくまで九条の部下として、ということなのだろうが、いずれにしても、遡及的に九条がこうして断罪されることが必然なのだとしたら、烏丸もそこに与していたものとして、裁かれないまでもなんらかの罰を受けなければならないのではないだろうか。というか、烏丸はそう考えないのだろうかということである。

 

今回、いつもの「日本一のたこ焼き」が出てきた。確証はなく、なんとなくの印象レベルで感じていたことで、烏丸がまさしく今回のような状況を危惧するようなときに、たこ焼きが出てくるような気が、以前からしていたのである。覚えている限りでは今回を除いて3回、たこ焼き屋への言及はあった。ひとつめは、この森田の件の仕事をしていた車中、ふたつめは、小山と食事に行くときふたりの間で会話に出てきたものだ。みっつめは、捕まっている久我から嵐山と犬飼のことを聞かされたあとである。いずれも、烏丸が「よくない流れだなあ」と感じそうな場面で、不意にたこ焼きの描写、もしくは話題が挿入されてきたのである。

今回はそのたこ焼き描写に烏丸がかかわっていないはじめてのものとなる。ここで、その最初のたこ焼き登場時のふたりの会話を引用しておく。

 

 

 

烏丸「日本一のたこ焼きか。何をもって定義してるのか。

 

しっかり定義しないと気持ち悪い」

 

九条「自称日本一は味がついてこなければ淘汰されるでしょ。

 

いずれ暗黙の了解で定義づけられますよ」

 

 

こうみてみるといかにもなやりとりである。そして、この「定義」の問題は、おそらくこの「至高の検事」の中心人物となるであろう、九条の兄で検事の鞍馬蔵人における、デジタル倫理とでもいうべきあの言語的価値観にも通じるものである。

「日本一のたこ焼き」を「定義」するとはどういうことかというと、「たこ焼き」という食べ物、状況、現象がひとまとまりに想定できるとして、そのなかから特定のもの、特にここでは「日本一」ということなので唯一のものを選び出すための条件を設定するということである。「日本一」と「日本一でないもの」を明確に区別できるようにする、ということなのだ。これはまさしく、善と悪を一瞬のためらいもなく切り分けて裁こうとする蔵人のスタンスなのである。前回かなりくわしく書いたので、あとで読んでもらえればとおもうが、ごくあっさりまとめると、蔵人は「文章」で構成された法律の専門家らしく、言葉で世界を分節する。だから、定義された「善」や「悪」、またそのあいだにある「善でも悪でもないもの」、このみっつの段階以外の場所に人間は存在しない。厳密にはおそらくみっつめの「善でも悪でもないもの」は法律でも日常でも言及する理由が基本的にないので無視してよいものだろうが、これもまた言葉であり、決して「あわい」ではないのだということを強調する意味であげておく。対する九条は、兄の見えないものが見える。つまり、言語がとりこぼすものが見える。これは『星の王子さま』的視点であるというのがいままでのはなしだ。三つの段階、善、善でも悪でもないもの、悪、これらのどこにも組み込みがたいものが、世界には存在する。ただしそれは、言語化することができない。言語化した途端、たとえば「善と、善でもあくでもないもののあいだにあるもの」というしかたで、截然と区別されてしまうからである。そうではない、そうしたデジタルな思考法が見落とすものが世界にはあり、特に、最初から無邪気に善悪のような区別を信じ込んでいては、そういうものが「ある」ということすら気がつけない。九条はそういう考えかたで、たとえば曽我部のような、善でもいい悪でもいい、いったいなにに分類すればよいのかとなるような弱者を救ってきたのだ。九条が対するのは、個別の状況に対する言語批判ではなく、態度なのである。

 

そのたこ焼きが「日本一」かどうか定義しようとする烏丸は、蔵人のこのデジタル倫理側のものであった。しかし、定義されるものも、定義するものも、ともに言葉である。言葉が言葉を守っているのだ。だとすれば、言葉がゆらぐとき、定義もゆらぐことになる。その言葉が本来指し示している内実は、たとえば「味」である。味がついてこなければ淘汰されるとするのが九条の考えかたであるわけで、これはつまり、言葉の前に内実があるということなのである。言語学的にはソシュール以前の考えかたということになるが、身体的にはよく理解できることだ。逆にいえば、言葉が世界を決定してしまう結果として、わたしたちは失っているものがあるわけであり、それをこそ、異端の弁護士は拾おうとしているのだ。

 

だが、もっと象徴的なことは、この「日本一のたこ焼き」に、九条たちがなかなか到達できないということだ。話題になるだけで検証されないのである。そして、このたこ焼きのことは烏丸もけっこう気にしていた。これは、彼自身、定義の不明瞭な状況にあるものごとをどうあつかうべきなのか、迷っていたということなのかもしれない。だから、「日本一のたこ焼き」は現時点で一種の空洞なのである。九条にとってはただ「味」をたしかめるべき対象でしかないが、同時にこの店は烏丸のこと、また遠く蔵人まで含んだデジタル倫理を想起させる価値観でもあるだろう。そういう世界のみかたがあるということは、九条ももちろん理解しているのだ。そして烏丸にとっては、定義できないものとして不明瞭なまま違和感をともなって存在している気持ち悪いものである。これは九条そのものともいえるかもしれない。現在進行形の言葉ではまだ説明できない「なにか」なのである。

見たように、烏丸も九条のもとではグレーな身振りをとることがあった。もしかするとそれこそがおもしろかったのかもしれない。彼は別にグレーなのがいやで九条を離れたわけではない。依頼人がふつうに犯罪者だから、危ないし倫理的に問題があると感じ、そうしたのだ。あのたこ焼き屋は、たがいの価値観の中継地点のようなものとして機能しているのである。

 

ただ、それが、烏丸のいないところではじめて、九条の側からの描写で出てきたというところは、烏丸ではなく、九条のほうの迷いを感じさせもする。「至高の検事」がもたらしうる究極の言葉の分節を、危機感とともに、あるいは引っかかりとともに、感じているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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