以前にも紹介したことはあるが、おそらくもう10年くらい前のことで、頃合いかなという感じがしたので、中島望という作家の紹介をしていく。
といっても、以下紹介する2作以降のライトノベル的な展開については追っていないので、ぼくの認識はデビュー直後の「フルコンタクト・ゲーム」のシリーズに限られる。なんの本かというと、空手の小説なのだが、なんというか、十代の格闘技が好きな人間の人生をねじまげるほどのパワーをもったおそるべき傑作なのである。
シリーズといっても2作、タイトルは『Kの流儀』、『牙の領域』である。中島望は1999年に『Kの流儀』でメフィスト賞を受賞してデビューした作家だ。最近の仕事では集英社みらい文庫の、児童向け伝記小説など書いている。
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Kの流儀―フルコンタクト・ゲーム (講談社ノベルス)
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意外におもわれるか、やっぱりとおもわれるかわからないが、ぼくの読書家としての出自はミステリやSFなどの、いわゆるエンターテイメント、娯楽小説にある。話せば長くなるが、ぼくはたぶん9歳くらいまでは、別に読書家ということはなかった。ふつうだったとおもう。それが、中学受験のために通っていた予備校の先生の強い影響を受けて、圧倒的読書家に変貌したのである。そのころはいまみたいに遅い読み方はしていなかった。文字通り、むさぼるように、日に数冊のペースで読んでいたものである。受験生だったので、いわゆる文学作品も、たいがいのものはそのときに触れていた。その土台があったのがよかったのかもしれないが、やがてぼくは島田荘司に出会い、本格ミステリに出会う。というのは記憶の捏造で、おそらくこのあたりは時期的にはほとんどちがわない。そこから、綾辻行人とか我孫子武丸、歌野昌午とか、あと泡坂妻夫とかにすすみ、やがて海外の古典ミステリも教養としてとりこむようになっていった。その流れで創元SF文庫とかの存在も知って、ジュール・ヴェルヌやH・G・ウェルズや、ミステリとSF両面でコナン・ドイルなんかを読んでいった。ふしぎとハヤカワのほうには行かなかったな・・・。
当時のミステリ界では森博嗣が犀川創平/真賀田四季のシリーズで一世を風靡しており、ぼくもあれらはすべて講談社ノベルスで読破していた。これが高校生くらい。で、このひとのデビュー作『すべてがFになる』が、新設されたメフィスト賞の第1回受賞作だった。あのころぼくにとって講談社ノベルは黄金のレーベルで、浦賀和宏はもちろん、新堂冬樹とか、清涼院流水とか、ほんとうに才能の嵐だった。
中島望のデビュー作『Kの流儀』もメフィスト賞受賞作である。森博嗣の存在感が大きかったため、なんとなくメフィスト賞はミステリの新人賞のような思い込みがあったが、考えてみれば新堂冬樹とかはいわゆるミステリじゃないし、そういう括りにこだわらないからこそ、浦賀和宏のような才能が出てきたのだというふうにもいえるかもしれない。ともかく、だとしても、『Kの流儀』は異色だった。なにしろ、裏表紙に極真会館松井派館長の松井章圭の推薦文が載っていたのである。ぼくは当時極真会館の道場生だった。厳密には、微妙なところで、当時は大山総裁の死によって分裂騒動が喧しく、ぼくも最終的には世界大会出場経験のある独立した若い先輩についていって、極真ではない道場に通うことになったのだが、ともかくそうしたフルコンタクト空手の現場にはいたのである。しかし、この本はふつうに店頭で見つけた。なぜなら、以上記したように、ぼくはメフィスト賞、および講談社ノベルスに強い思い入れがあって、毎日のように、出かける先々の本屋のノベルス売り場に立ち寄っていたのである。なぜだかはっきり覚えているが、これを見つけたのは羽田空港の本屋だった。たぶん宝塚に出かけるときだったのだとおもう。そこで、おや、なにやら新しいメフィスト賞の本が出ているぞ、と発見し、松井章圭の名前が目に飛び込んできてぎょっとしたのではないかとおもう。
ひとことでいえば格闘小説なのだが、まずもっとも特殊な点としては、主人公の逢川総二の使用する空手が、「極真空手」と明記されていることである。たとえば夢枕獏の「餓狼伝」では北辰会館であり、バキでは独歩率いる団体が神心会であるように、誰がどう見ても極真そのものの団体が、別の名前、また微妙に異なった方針で描かれている、ということは、よくあるというか、もはや業界の常識的作法のようになっている。なぜそうなるかというと、大山倍達というカリスマの存在があるからだ。格闘技についてフィクションでもなんでも描いていこうとしたとき、どうしてもこの実戦空手の雄を無視することはできない。で、独歩のように現役であれ、あるいはすでに引退した、あるいは死亡したものであれ、大山倍達とよく似た人物を出そうとすると、必然的に、極真空手によく似た団体も登場することになるわけである。
それを、筆者は拒否した。というより、それができる環境にあったというべきだろうか。つまり、中島望じしんが、極真会館に所属する人間だったのである。だから、わるくとれば、これはプロパガンダ小説である。しかしながら、これほどおもしろい小説を悪くとらなければならない理由などないわけである。
そして、もうひとつ傑出した点が、設定である。決して謗る意味でいうものではないのだが、ふつうは思いついても顔が赤くなって否定し、書き直してしまうような古風、というか荒唐無稽な設定を、大真面目に、思考実験的に実現してしまったのが、このシリーズなのである。その点ではバキともよく似ている。
第1作『Kの流儀』の舞台は高校である。主人公・逢川総二が転校してきた学校は、真壁宗冬という、身長2メートルの中国拳法使いの生徒に支配された、悪の華が咲き乱れる荒れた学校だった。総二は転校初日に真壁グループのメンバーである柔道家の込山重太郎という大男とトラブルになり、これを打ち倒してしまう。総二は極真空手の有段者であり、同時に、ふりかかる火の粉をはらうのにまったく躊躇しない冷酷さを備えてもいたのである。
やがて彼は小嶺明日香という美少女と知り合うが、じつはこの少女が真壁宗冬の女で、少しずつ、彼は真壁たちと戦わなければならない状況に陥っていく。決定打は、リカという女子生徒を殴ってしまったことだ。リカは真壁の親友である天才ボクサーの相模京一郎という男の彼女で、相模は飄々として人物で、あまり乗り気ではないのだが、ともあれ、総二は彼らに口実を与えてしまうことになる。そうして、真壁に逆らえない明日香に裏切られるかたちで、総二は夜の学校で真壁グループと死闘を繰り広げることになるのである。
真壁グループのメンバーも紹介しておこう。まずはリベンジに燃える込山重太郎、柔道である。
次に大迫猛、レイプ魔で暴走族の総長であり、無双に出てくるザコキャラ的なものたちを指揮している。空手家ということだが、総二に金的を潰されて三行くらいでダウンするので、流派はよくわからない。伝統派だったような気がする。
北野了次は応援団長である。格闘技ですらない。が、最終決戦で暴走族が動員されるまでは、応援団が無双のザコキャラ的ポジションでやられまくってくれる。彼は学校での死闘の前に敗北。
パワフルな回転力で相手を圧倒するのは狩野莞爾、少林寺拳法である。ぼくはこのひとの名前で「莞爾」という言葉を覚えた。「にっと笑う」という意味である。
相模京一郎はすでにプロボクサーである。もともとは不良だったが、いまはわりと改心している。あんまり真壁とはかかわらないほうがいいかも、くらいには考えているっぽく、総二の件も乗り気ではなかったが、やるというのであればやる、という感じ。パンチのスピードで相手の顔を切ってしまう。
真壁以上にやっかいとおもわれたのが剣道の荒木但親である。ふだんから木刀を持ち歩いて容赦なく抗争の相手をぶっ叩くというだけでも正気ではないのに、当日には所持がうわさされていた日本刀、真剣をもってきちゃう、ホンマモンである。邪魔する暴走族をスパスパ切っちゃう。みんなと同じ高校生だけどアル中。とっくりで酒を飲む。
そして真壁宗冬。彼は中国拳法ということだが、拳法的な描写はほとんどなく、じっさい、彼の強さはそういうところにはない。まず2メートルという身長であり、総二同様少しも容赦しない冷酷さであり、迫力である。メンバーの誰もが、真壁には勝てないとおもっているのである。
さて、こんな奴ら相手に総二はどうやってたたかっていくのか?もちろん、極真空手を駆使して勝利を重ねていくのである。
以上、ぼくは本そのものはもちろん、ネットも使用せず、記憶だけですべて記している。ふだんの記憶力からすると考えられないことだが、ぼくは登場人物のフルネーム、どころか漢字まで、正確に記憶しているのである。なぜかというと、何回も読んだからだ。何回も何回も、読んだのだ。おもしろすぎて。
ストーリーをなでただけでも、この小説がいかに「荒唐無稽」かわかるだろう。梶原一騎もびっくりである。もはや古風という表現では物足りない。「古風」という異次元とでもいえばよいだろうか。「古風」という語で指示される時代であっても、本書はおそらく「古風」と表現されていたにちがいない。つまり、この表現が標準だった時代というものは存在しないのである。でもおもしろい。
その理由だが、やはり総二が青春小説的なキャラではない、ということがあるだろう。身につけた空手の技術で相手を打ち倒すことに、いっさいの葛藤が含まれないのである。というか、彼はむしろそれを楽しむ。じっさいそのようなセリフがあるのである。それが、小説内の闘争を技術的なもの、思考実験的な無機質のものにしている。と同時に、ここには小嶺明日香との古臭いがどこか懐かしい純愛もある。いま読むとまた感じ方も変わってくるだろうが、ときおり総二は、いかにも童貞くさい反応を見せて、明日香を笑わせたりしていた。考えてみれば打ち倒した暴走族の首にかかとをふりおろしてあっさり殺してしまう彼と、童貞の総二が同一人物であるという構成もおもしろい。空手を行使しなければならない現実と、青春小説の主人公としての現実は、別次元なのである。本書は極真空手を実戦する作者ならではのリアルな描写に満ちているが、なによりその闘争のリアリズムという点において、傑出しているのである。
第2作『牙の領域』もまた逢川総二を主人公とした小説である。総二は真壁の件で捕まったはずだが、なんやかんやで、大学生になっている。今度の相手は宗教団体である。結城典膳という変態教祖が抱えるのは素手での殺人の生業とする五連凶星という強者たちである。今回も、有為子という女性を経由して総二はこれらとたたかうことになる。こちらも、『Kの流儀』ほどではないが、くりかえし読んだ。特に和歌山城での殺人レスラー・牛窪との決戦は絵が浮かんでくるほどのスリルであった。こちらにかんしてはあまありネタバレしないでおこう。これでもうじゅうぶんだろう。もはやふつうに流通している本ではないので、アマゾンで高いのを購入するか、古本屋でめぐり合うのを待つしかない。それか、講談社のひとでもしこれを読んでいるかたがおられたら、ちょっと、ものすごいおもしろい小説があったことを、思い出してくれないかとおもう。
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