すっぴんマスター2019‐漫画 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

まだ肉蝮のやつとかあるけど、31日まで待っていては更新できないので、ここらへんで漫画の記事書いちゃう。

 

今年、2019年は『ちびしかくちゃん』2巻から『ケンガンオメガ』3巻まで、ぜんぶで117冊の漫画を読んだ。去年、2018年が148冊、2017年が248冊、2016年が272冊。順調に減っていっている。というのは、経済的理由と、あと本を保管する場所の問題もあって、もともと減らしていこうというつもりではいたのである。そこへ、去年は勤めていた書店が閉店することになった。ぼくがたくさん漫画を読んできたのは、コミック担当だったからである。そしてそれは、ぼくがそれ以前まではあまり漫画を読んでこなかったということの反転でもある。たとえば、ぼくはジャンプの黄金期を経験しているが、スラムダンクは大人になるまで読んだことがなかった。そういう劣等感、遅れているという感覚が、コミックを展開するにあたってぼくに無数の漫画を読ませたのである。閉店したときには、まさかまた書店に似た仕事をするとはおもっていなかったから、ある種自暴自棄にもなり、手にしたコミックにかんする知識の、少なくともあるぶぶんは、今後不要になる、というふうにも感じたわけである。というわけで、ぼくはそのとき以降たくさんのコミック購入を中断したのである。それを、いま少し後悔している。しかし、現実問題としてお金と置き場所の問題もあったので、これはいつかは決断しなければいけないことだったかもしれない。まあ、処分すればよいというはなしかもしれないが。

今回は117冊ということで、体感的にも今年はぜんぜん漫画読まなかったなあというのはじっさいあった。というか、読んでるものであっても、ふつうに新しく出たものを買い逃している可能性が高い。原因としては、書店のようなものに出入りしながらも、コミックからは離れたところで働いているということ、また、店としてコミックにちからを入れていないので、そもそも配本がアレすぎて、読んでいても入荷していない可能性が高いということ、そして、書くことはできないが、従業員が本を購入するために踏まなければならない手続きが果てしなく面倒くさいので、ついネットや近所の本屋で偶然出会った状況でしかあまり漫画を買わなくなってしまったということ、この三つである。

買う本を減らそうというのは望んでいることでもあるのだが、不安なのは、やはりせっかく肥えた鑑賞眼が衰え、感性が鈍ってしまうのではないかということである。というか、これはもうたぶんじっさいに起こっている。読解という点ではまだそういうことはないが、新しいものに触れていかないので、感性面での他者との出会いがないのである。そうなれば、むろん、ロゴスの面においても、新しい視点とか、新しい立論のしかたとかは生れてこない。感性が鈍るというのはそういうことなのだ。それは、表現をするものとしては避けたい。ではどうすればいいかというと、やはりある程度は妥協をして、したたかに世界を利用していくことである。というのは、要は電子書籍のことだ。今年は電子書籍でも漫画をよく読んだ。といっても、ほとんどは過去に読んだことのあるもので、なおかつ、紙では入手困難なものばかりだ。たとえば、高橋陽一の『CHIBI』であり、宮下あきらの『瑪羅門の家族』である。特に『CHIBI』は、ボクシングの漫画なんだけど、ほんとうにおもしろくて、ふつうに今年だけで3周くらいしている。いつかも書いたが、休憩時間、タバコの吸えるベランダにいるのだけど、やることがないので、電子で漫画を読むのがいちばん時間の有効利用なのである(読書をしようとするとしっかり集中しなくてはならず、そういう気持ちにはなれないし、ノートを広げてロシア語の勉強もできない)。あとは『軍鶏』も、バキ道で、大相撲サイドから黒道着衆みたいのが出てくるんじゃないか、みたいなはなしをしたときに、思い出して買ってしまった。軍鶏は全巻揃ってるはずだが、もはやこのとてつもない本の山のなかから見つける時間を考えたら買ってしまったほうがはやいし安いということなわけである。そういえば『ドラゴンヘッド』も急に読みたくなって買ったが、途中で止まってるな・・・。ぜんぶ懐かし漫画だし、これじゃ意味ない。もっとむかしのように、いやむしろむかし以上に、直感にしたがって新しい漫画読んでいかないと、これから急速におじさん化していくだろうから、さくさく読んでいきたい。ただ、電子がこわいのは、現金での買い物じゃないから、買いすぎかどうかが手応えでわからないんだよね・・・。

そういうわけで、読書メーターで振り返ってみても、今年はもともと読み続けている漫画か、かつて読んでいた漫画ばかり読んでいた感じであり、新しい出会いというのは特になかったようである。残念だが、しかたない。来年はそのあたりもっと積極的に。

 

さて、今年いちばんの漫画にかんする事件といえば、いうまでもなく、闇金ウシジマくんの完結である。バキも何度か完結を経験しているが、ふつうは完結というものは何度か経験するものではないので、あれらは「完結」ではない。そういう意味で、10年以上毎週感想書いてきた漫画が終わったというのは、ほんとうに大きな経験だった。加えて、一種の功労賞みたいなものとぼくは理解しているが、完結後に発売された公式の『闇金ウシジマくん本』には寄稿までさせてもらったのである。ぼくでは、じぶんの書いたものが紙になったわけで、これが事件でなくてなんだろう。

しかしながらそのあとにやってきた果てしなくうつろな気分はなんとも形容しがたいものがあった。ぼくとしては、まず、ほんとうに根本的なところでは、小説を書いていた。もう15年くらい前のはなしだ。新人賞に投稿などして、じぶんを天才だと信じて疑っていなかったものが、なんか上手くいかず、ひょっとしてじぶんは天才ではないのかもと疑いだし、もう少し外部的な視点を取り入れようと、批評など読み始め、じぶんがどれだけ狭い世界でイキがっていたのかを痛感し、その外部的視座を掘り下げていこうと、ブログが始まったのである。そこでは、原則、読んだ本をとことん読み込む、ということだけが行われていた。いまもそれは変わらない。そのひとつがウシジマくんだったのである。こういう経緯だったから、ぼくの客観的なぶぶんは、ウシジマくんが終わったことにそれほど重大な意味をもたせてはいなかった。あくまでブログは訓練の場所である。さまざまな種目で、さまざまな負荷をかけて、筋肉を発達させる、その実況中継をする現場がブログだったわけである。ウシジマくんは毎週必ず行うお気に入りの種目に過ぎなかったはずである。メインは発達していく身体であると。ところが、そうではなかったことが、その後のうつろな気分によって証明されたわけである。おもえば当たり前のことである。ぼくは、いったいどれだけ多くのことをウシジマくんから学んだか、また、ウシジマくんを読み込むことでどれだけ多くのことを自ら発見したか。いまぼくが、任意の小説を読んで、仮に「いい書評」を書いたとしても、そこで使われている技術や、発想の下地のほとんどは、ウシジマくん感想を書く過程で培われてきたものだったのである。なんとも傲慢でまぬけなはなしだが、これがぼくのほんとうのところであり、おそらく、ぼくの認識の甘さでもあるのである。

 

それから『湯神くんには友達がいない』も完結してしまったなあ。ワンパンマン、ワタモテ、ニューゲーム、ふしぎの国のバード、ペリリューなどと並んで、こころの底から新刊が楽しみな漫画のひとつだった。このときに書いた記事はツイッター上でまあまあの評判だったので、下に貼っておきます。

 

 

・『湯神くんには友達がいない』完結

https://ameblo.jp/tsucchini/entry-12500794430.html

 

 

 

 

 

 

 

もうひとつ、今年いちといってもいいニュースで、ハイスコアガールの続編が、クリスマス発売の月刊ビッグガンガンで開始された。舞台は、本編よりだいぶ進んだ2007年で、中学校の先生になった日高小春が主人公になるようである。小春が教師とかぴったりすぎる、ということに加えて、この手の続編でありがちな、原作や原案というクレジットで名前だけ貸して、創作じたいはべつのひとがしている、というようなものではなく、ふつうに押切先生じしんの手で、続編として書かれるということなのだ。クリスマスのラッピング地獄で疲れきっていたぼくにはうれしすぎるニュースであった・・・。まあ、専門書フロアはいつも通りヒマで、気疲れしてしまっただけだけど。

 

 

 

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