『闇金ウシジマくん本』発売&寄稿 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

 

 

 

 

 

 

漫画家本SPECIALのシリーズのひとつとして、ウシジマくんのファンブック、『闇金ウシジマくん本』が発売された。漫画家本といっても「真鍋昌平本」ではなく、ウシジマ本である。このシリーズは、コミックエリアを離れて久しいぼくは知らなかったのだがいままでにもけっこう出ていて、吉田秋生とか浅野いにおとかあだち充とか、あとさいとうたかを本なんかも出ている。直近だと林田球の『ドロへドロ本』が出ていて、これとウシジマ本が、タイトルを関冠したシリーズの嚆矢となる。つまり、このふたりにかんしては、とりわけその作品が、少なくとも現時点においては、作家そのものを象徴するようなものになっているということかもしれない。

 

もともとは先月の肉蝮やらーめん、アガペーなどと同じタイミングで発売される予定だったが、このようにして6月末に発売は延期となった。だがそれは同時に、丑嶋読者の延命も意味していた。この期間のもやもやはちょっと表現しがたい。なぜなら、おそらく、公式(小学館、および真鍋先生)が、ウシジマくんをテーマにして本を出すのが、これが最後だろうとおもわれたからである。もちろん、読者がじぶんの読解のなかに物語を生かし続けることは自由だし、名作というのはそういうものだ。けれども、ことはそういう感傷的なはなしではなくて、もう今後はそういう動きはない、という現実的なことなのである。

しかしぼくはまた、本書の発売をすごくすごく待ってもいた。すでにコメントなどもついており、またツイッターでもたくさんの反応をいただいているが、おそれおおいことに、本書にはぼくの短い書評も載せていただいたのである。「寄稿」である。まさかじぶんにそんなことが起こるとはおもってもみなかったので、いや、厳密にいうといつかそういうことが起こらないか、どこかから本を出そうといわれはしないか、ちらちら周囲に目配せをして生きてこなかったかといえばむろん大嘘であり、待ち望んではきたが、まあ、たぶんないんだろうな、というあきらめもだいぶ出てきたところでもあったので、こういう語を、それもウシジマくんのファンブックで使用する日がくるなんて、なんというか人生わからないものである。

 

ウシジマくん公式の運動が停止するところを見たくはない、だが見届けたい、そしてウシジマ本はいろいろな意味で早くみたいと、そういう葛藤のなか、ぼくは6月中ずっともやもやしてきたのだが、それというのも、以上のような卑屈さもあって、ぼくはメールでおはなしをいただいたときから、どことなく半信半疑でもあったのである。発売したあとにそんなことをいうのはちょっといくらなんでも礼儀を欠くんじゃないかという気もするが、要は、「このはなしはほんとうなのか?!」ということである。いやだって、毎週好き勝手にウシジマくんの感想書いてたらスピリッツの編集部を名乗るかたからGメールがきて、真鍋先生のご希望も込みということで、寄稿をお願いできませんか、なんて書いてあるんですよ、信じられますか? まあ、ぼくはすごい信じて一瞬で書き上げましたが。Gメールにかんしては、ツイッターの知人などを真似して、特にそう書いてあるわけではないけど、「なにか仕事的なものがあったらメールください」的なニュアンスで、プロフィールのところにアドレスを貼ってあった。それをやっておいてほんとによかったと、このときは心底おもった。

 

あんまりやりとりをぺらぺらしゃべるのもちょっと大人としてどうかとおもうのでふわっとさせて、すでにお読みになったかたはおわかりのように、枠組みとしては真鍋先生への私信というか、ウシジマくんをめぐる個人的な体験・経緯ということにしたわけなのだけど、ようやく手に入れたウシジマ本を開いてみたら、呉智英先生とかも書評書かれてるわけですよ。最初期からウシジマくんに注目して取り上げていた、高橋源一郎にとっての吉本隆明みたいなかたですよ。イキってラディカルぶったこと書かずに個人的な内容に絞ってよかった。

 

というわけで、ウシジマくんが終わることと、じぶんの書いたものが載るかもしれない、というはざまで、6月中はずっともやもやしていた、というのはついさっきも書いたけど、ほんとうに載るのかな?というのはやはりあった。編集のかたからはOKもらったし、載らないわけないんだけど、ちょっと、光栄すぎて、まだ信じられてないわけ。最終的には真鍋先生ご自身も目を通されるので、改めてあたまがぼうっとしてしまうが、卑屈すぎるのも困りものである・・・。

 

以下は完全にぼくの想像になるので話半分に読んでもらいたいが、本書の役割についてである。というのは、ぼくが6月中ずっともやもやしていたことの理由のひとつに、あまり宣伝がない、ということがあったのだ。宣伝というか、言及がない、といったほうがいいだろうか。これはあくまで皮膚感覚で、いや本誌でやってたよとか、完結記念サイト更新されてるじゃん、とか、そういうふうにいわれると、それはそうかもしれない、というしかないのだが、それが、なんでなのかなと、ずっと考えてた。本書を手に入れて、ちょっとわかった気がするのだ。ぼくの文章だが、編集のかたからは細部をちょっと変えるかもといわれていたのだけど、原稿と見比べてはいないけれども、そう変わってるとはおもわれない。というか、ぼくは、この大量のひらがなとか、口語的なリズムのための読点とかが、ひょっとすると直されちゃうかな、とかおもってたのだ。だけれども、見てわかるように、あそこに載っているのはいつものぼくの文章で、直っているとしたらおそらく明らかに文章がおかしいところとか、あるいは誤字脱字のたぐいではないかとおもわれるのである。そこには、どうしても傲慢ないいかたになってしまうけど、いちファンにすぎないものの書いた感想を尊重する、真鍋先生のスタンスのようなものが感じられるのだ。なかばにはアシスタントのかたたちによる「同人誌」、また座談会が編まれている。ぼくは絵を描かないが、先生のもとで絵を描いていて、ウシジマくんの名のもとに出される書籍に、じぶんの描いた絵が載る、ってなったら、それはすごい興奮するとおもうんですね(ころころ口調が変わってしまってすいません)。じぶんなりの立ち位置を築いたラッパーが若手をフィーチャリングする、“フックアップ”だとおもうんですよ。それから呉先生。呉先生はもちろん大先生なので、フックアップもなにもないけど、ウシジマくんが大成するまでにあるいは不可欠だったかもしれない、ある種の権威性のようなもの、といってわるければ「ハク」のようなものは、かなりのぶぶん、あの最初期のころの先生の論評に負っていたとおもうんですよ。そういう、ウシジマくんがあの最終話を迎えるために必要だったすべての構成要素に敬意を払って、それをかたまりにして本にした、というような印象があるのです。だから宣伝しない、というとなんかつながらないけど(そもそも語弊がある)、なんというのかな、卒業文集じゃないけど・・・。

 

 

今回はちょっといままで黙ってたぶんじぶんのはなしばかりしてしまった。すみません。まだぜんぜん読んでないので、内容についてはまた改めて書こうかとおもいます。インタビューでは真鍋先生も、柄崎たちの存在によって丑嶋は生きつづける、というようなことをいっていて、書き下ろし漫画も示唆的だ。語り尽くせるような漫画ではないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

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