すっぴんマスター2019 映画・アニメ | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

映画にかんしては、夏にバイトの子と3人でチャイルドプレイを観にいったときにレイトショーを経験したので、これからも仕事終わったあとに映画観にいけるな、というふうにぼくらのあいだではなっていた。いや、レイトショーのことはもちろん知っていたけど、「どのようにすればいまの生活で映画館にいけるか」というふうに、観劇ほどには本腰をいれて考えてはこなかったということもあって、現実感がなかったのである。で、いまは『シャイニング』の続編でユアン・マクレガー主演の『ドクター・スリープ』がやっているわけだが(といっても、ぼちぼち終わりの劇場も出てきているかもしれない)、ちょっと長いせいか、終電で帰ってこれる範囲の映画館では微妙に早い時間しかやっていなかったのである。せっかくほんとうに観たい映画は映画館で、という習慣が出来つつあったのに、悲しいが、物理的に無理なのだからしかたない。なんなら相方だけ観にいかせてぼくは迎えにいく、なんて方法も考えられたが、ふつうに忙しくてむりそう。

 

といってもぼくらはどこまでもコタツ映画ファンというか、基本は家で観るライトファンなので、今年も映画館には2回しかいっていない。そのチャイルドプレイと、エンドゲームである。お芝居はじっさいに生で舞台をみなければすべてを見渡すことができない、一回的な体験とならない、という言説のレベルと同じく、映画は映画館で観るようにつくられている、ということについて同意するものではあるが、ぼく個人も子どものころから淀川長治などテレビを通じて映画に親しんできた人間でもあるので、それほどこれが悪習だというふうには感じていない。観れるんなら映画館いったほうがいいが、むりならしかたないだろう、くらいの感覚だ。加えて、平成が終わるときの記事にも雑に書いたけど、ぼくはひとつの作品をくりかえし鑑賞するタイプのファンでもある。その結果としては、ある分野にかんしては突出しているが教養という意味では浅い、ぼくのようないびつな人間が出来上がるのである。

 

このはなしとも関係してくることで、最近はネットフリックスをよく使っている。たぶん使い始めたのは今年だったとおもうのだが・・・どうだろう、バキのアニメが去年の夏からだったけど、最初はおもにアニメばかり見ていた。バキも見たし、ハイスコアガールも最初から見直した(テレビ放送時は相方に録画してもらってテレビで見ていたはず)。それからワンパンマンもぜんぶ見たし、あとは、見てない回もあるが、斉木楠雄もほとんど見た。どれもこれもすばらしい出来栄えで、とりわけ実写モノと比べたときの、アニメをつくっているひとたちの原作理解にあたまがさがるが、そういう感じでアニメがメインだった。というのは、映画をみるとなると2時間は時間を確保しないといけないわけだが、それができなかったからである。最近になってようやく、どうすれば相方とふたりで時間を捻出することができるのか理解(わか)ってきたようなところがあって、懐かしい映画や、気になってはいたがDVDを買ったりとかいうほどではないようなものを観たりを、まあそんなに頻繁にではないが、できるようになってきている。ウルトラマンタイガもYOUTUBEやネットフリックスがメインである。ああそうだ、タイガの批評も書かないと・・・。ピリカ・・・。

そういうわけでネットフリックスはたいへん便利なもので、たぶんアマゾンのアレとかも似たような感じだとおもうけど、こういう決まった期間に対してお金を支払って利用する方式をサブスクリプションという。ビジネス用語とかに疎いので、ビジネス書を展開するにあたっては「これはなんの本か」ということをいちいち読んだり調べたりしなければならず、そのぶんちょっとずつ物知りになりつつはあるが、サブスクリプションの本も一時期はたくさん出ていた。このビジネスモデルについて研究したわけではなく、ただちょっと、いってみたかっただけなので、ここからはなにも始まらないが、ともかく、じっさいにこの語が付された本を展開していて、モノにたいする価値、モノと価値の関係性、また考えかたは、大きく変わりつつあるのだな、という感想を抱かずにはいられないわけである。ぼくは、書いたように、少年時代においては、父親の録画した大量のビデオ、その「個体」そのものを手に持って、デッキに差し込む、その動作こみで、ひとつの作品をとことん見てきたのである。電子書籍が漫画そのものの描かれかたを変えつつあるのと同じく、こうした動作もまた、物事の価値観を決定する要素のひとつだ。そのようにして、じっさいに手で触れ、偏執的に熟知するありようは、とりあえずぼくにとってはVHSやDVDあってのものである。もちろん、ネットフリックス時代にもそうした触れかたは個別には可能である。しかしながら、なんというのか、あたまのなかで事物と事物をかかわらせる地図のようなものを想定したとき、その形式や方法論は、やはり異なってくるわけである。別にそれが悪いということでもなく、偏執的なアナログレコード収集家的ありかたが良いということでもないだろう。差異はあって、その差異がどのようなものかをいうことはできるが、知性的に誠実である限りで、どちらがいいとか悪いとかいうことはないはずだ。たぶん。サブスクリプションの時代に入っても、ひとつの分野に突出するものは突出するし、広い教養に価値をみるものは勝手にそうするだろう。ただ、そういうスタイルが衝突する現場にあっては、事物の関係性を配置で示す脳内の地図のようなものが、VHSとサブスクリプションでは異なるということは、忘れないほうがいいかもしれない。

というはなしをしたあとでなんだが、ネットフリックスはほんとうにすばらしい。ありとあらゆる映画が入っていて、それが見放題なのである。興味が偏っているので、「ある時代に当然通過しているべき常識的作品」みたいなものが世の中にはあるとおもうが、ぼくはそれを見ていないばかりか知らないなんてことがふつうにある。しかしネットフリックスのおかげでそれはだいぶ解消されつつあるのだ。来年はアレだな、「いつかは見ておきたい、けどいまじゃないかな」という感じで何年もスルーしてきたエヴァンゲリオンを見ようかなとおもう。東浩紀とかの論文読んでてもふつうに出てくる作品だし、いい加減見とかないとな・・・。まあ来年でいいや。

 

アベンジャーズにかんしてはよくもわるくもエンドゲームで燃え尽きたようなところがあって、さすがに熱はおさまりつつあるが、これからもはなしは続いていく。とりあえずブラック・ウィドウの新作は、エンドゲームがあのような展開だっただけに、すごく気になっている。スカーレット・ヨハンソンはいい女優になったよねえ。エンドゲームのサンドイッチ食べてるくだりとかほんとうによかったし、なんかあれだけで泣けてくる。

 

 

 

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