第492話/ウシジマくん78(最終回)
闇金ウシジマくん、最終話です。
いつものあの歌舞伎町の光景。ニギニギとひとが行き交うなかで、丑嶋が取り立てをしている。丑嶋は、路上生活者にも容赦ない。建物の裏側みたいなところにいる女性っぽいひとは2万いくらかの金をどうにか用意したようだが、ふつうに道に横になっているおじさんからは1000円だけ回収している。酒とおでんを買うためにとっておいた金ということだが、借りた金は返せと丑嶋はいう。あとの展開も考えると、ほんの少し気になる言い方だ。「借りた金を返す」は、債務者が主語なのである。
久々の菊地文香。前に登場したときは初めてこっそり本番をしていた感じだったが、いまでは実務的に中出しまで行っている。
文香は多栄子という典型的ウシジマ世界の住人の家に居候している。あくまで置いてもらっている身だから強いことがいえず、なにかとたかられることが多いので、お金をためて自立したい、というようなことを以前はいっていた。
多栄子の話題は転々と変わっていく。文香の出身校のフェンスに特定の人物(仲山快斗)に向けた殺害予告のビラが貼られているのだ。どうしてそういうはなしになるのか、その犯人がいじめられて引きこもっていた弟じゃないのかと、多栄子はいう。だが、そうおもうのにはイメージ付けのようなものもあって、弟の辰也は姉の仕事を知ってショックを受けてからストーカーのようになっているが、そのことを文香は気づいており、多栄子にはなしているのだ。また、例の鳩を殺していた件も聞かせている。あの状況、よくわからなかったのだが、「無表情で鳩を殺してたのを見た」という文香の言が真実なら、なんというか、辰也は姉のためにそれをやったのかもしれない。あのとき、なにしているのかと丑嶋にいわれて、文香は、鳩が巣を作って母親やおじさんがイライラするから、というふうに応えていた。母親とおじさんがイライラして、たとえば殴られるとか、なにかが起こる。だから、辰也はその原因である鳩を取り除いたのである。
辰也は学校はどうしてるのだろう。「3R5D3S」という、そういうものなのかよくわからない名前で動画配信をしているようだ。工場勤務のバイト面接に落ち続けてかなり損なわれている。あたまも金もないから進学もできない。なにもしたくない。
辰也は、じぶんが弱者だというふうに感じている。だが、たとえば勉強して進学しても、満員電車の日々が待っているし、なんらかの理由で大金稼いでいる人間はみんな詐欺師、という具合だから、世の中に絶望している、という感覚が近いかもしれない。生きている意味が感じられない、うつろな日々。だから死にたい。いちばんいい自殺は、誰かを殺して死刑になることだという。まず、誰かを殺す、というところに、ふつうでは得られないものがあり、さらに確実に死ねるから後遺症などの心配もないと。まずは親に復讐したいから、派手に事件を起こしてさらし者にする。いじめられていた仲山快斗にも復讐したいがこわい。というか、どういうつもりでやったのかわからないが、その、多栄子のいっている貼紙の件で特定されてしまっていて、仲山快斗には姉を買ってやりまくるというふうにまでいわれているのだ。そんなことはさせない。仲山快斗は殺せない、が、姉は殺せる。というわけで、いまからそれを実況中継するのである。
さてさて、無事滑皮のもとから生還した柄崎と戌亥である。「みんな」はまだきてない。「みんな」といっても、もう東京にはこのふたりと丑嶋しかいないじゃないかとおもったら、ほんとに「みんな」だった。まず、加納の奥さんの麻里と、加納から一字もらって晃という男の子があらわれる。たぶんほとんど同時に小百合も。晃は、じとっ・・・っていう感じの目つきとか、無口なとことか、加納にそっくりである。お母さんがこれなわけだし、たぶん女性の趣味も父親とそっくりになることだろう・・・。
高田は夜合流。彼はいま沖縄にいる。そして、その場所にはマサルもいるのである。
微妙な言い方だが、高田は沖縄でうさぎカフェを始めたそうだ。丑嶋社長からもらったお金をタネに、ということで、どうもうーたんたちを使っているようだ。その前の2年間、高田は大量のうさぎたちと暮らしてきたので、すっかりうさぎ人間になってしまったのだ。そのカフェのことはマサルも知っていたが、その店主が高田だとはおもわなかった、みたいなことだろうか。マサルは金融をやっているということである。これは、どのタイミングになるのかな・・・。逃亡者くんでマサルが丑嶋に殴られたときから半年後にマサルはのどかのところを訪れてお別れを告げている。その半年間、マサルは大阪で日雇いなどやっていた。だが、その後は不明であった。ウシジマくんで描かれた「現在」は、ヤクザくんから2年後、ということは、マサルとのどかがお別れしてから1年半後である。その間いろいろあって、のどかとは接触しないが、金城など頼って、そう遠くない場所で仕事を続けて見守っているのかもしれない。
今日は丑嶋の誕生日らしい。それでみんな集まっているのだ。高田はこれから東京に向かう。そこでマサルは、せめてその間のうさぎの世話を任せてくれないかという。じぶんはのこのこ誕生日会に顔を出すことなどできない。でも、せめて限られた時間のうさぎの面倒だけでも、ということで、なかなか立派になっていて泣ける。もうアウトローの気配はまったくないのだ。逃亡者くんでも、マサルにはどこかまだ子どもっぽさがあった。しかしもう彼は一人前の大人なのだ。
小百合たちがいないところで、戌亥と柄崎が深いはなしをはじめる。滑皮はあれから逮捕され、死刑を求刑されている。戌亥の動画がどこからどこまでを撮っていて、どれくらい編集された状態で公にされたのか不明だが、少なくともあの外国人殺しにかんしては確実だろう。また、丑嶋に罪を着せるためにわざわざ放置した豹堂にかんしても明らかになっている。続けて、鹿島殺しも発覚して組からは絶縁、なぜか熊倉、飯匙倩殺しも疑われているらしい。猪背も解散させられる可能性が高い。もし死刑を免れても、同業を殺しまくった(ことになって収監される)滑皮はそうとういじめられるだろう。
鳶田は死んでしまったのだろうか。残ったチューボウがさびしげに滑皮の面会にやってきている。ヤクザ仲間はひとりも来ないであろうことはまちがいない。信頼しているものたちはみんな死んでしまった。チューボウだけが残ったのである。彼は滑皮の前で泣く。滑皮はそれを優しいことばでなぐさめる。俺はどこで何をしていても俺のまま、変わらないと。
柄崎はそれを因果応報だという。戌亥はなにかを予感したかのように、丑嶋に連絡をとるようにいう。
多栄子の家では文香と多栄子が喧嘩している。文香は、カウカウの借金があるから貸している金を返してもらいたいが、多栄子は居候させてやってるという立場でなかなか応えてくれない。文香は、なぜか床に落ちていたお金を拾ってもっていこうとしたのである。そこでもみあいになった。そのときに、そとから缶ビール的なものが飛来し、窓を破る。あいた穴から手が差し込まれて解錠され、あたまに動画撮影のスマホを装着した辰也が包丁片手に侵入するのだ。
だが、なぜだか、部屋には丑嶋がいる。丑嶋がやってきたことで、文香が金を盗んだことが発覚した、という流れだろうか。男の声に驚いた辰也は一瞬動きをとめる。しかし、彼が殺したいのは丑嶋ではなく文香である。突き進む辰也の前に、舌打ちをしながら丑嶋が立ちふさがる。
丑嶋を刺した辰也は、なんか爆笑しながらどっかに逃げていく。文香は救急車を呼ぼうとするが、丑嶋は断って、金を預かり、これで完済だと告げる。そんなはずはない。いちどで完済できるようなら、こういう生活にはなっていない。せいぜい利息分だけのはずだ。不思議そうにする文香を残して丑嶋は去っていく。む、途中から多栄子の姿がないぞ。
道すがら、丑嶋はおでんを買って、さっきの路上生活者のおじさんのところに置いていったようだ。これは、丑嶋がかけたということかな、集金が終わったことを丑嶋が柄崎に伝える。柄崎は、みんな待ってると。
辰也に刺された傷は深かった。柄崎たちが「待ってる」と、そのことを聞き届けて、満足したようにスマホ片手の丑嶋が倒れる。彼の集金は、そのようにして、ほんとうの意味で終わったのである。
おしまい。
辰也が、丑嶋じしんのまいた種であると同時に、作品が自身の終わりに向けて配置したものであったことは明らかで、その意味では、多くのひとが想像したとおりの最終回になっていたとおもう。しかし、おもっていたものとはだいぶ感触が異なっていた、という感想もまたぼくのなかにはある。連載が15年弱、ぼくも「若い女くん」のころからスピリッツで読んできて、感想も10年くらい書いているので、さすがにこの結末、また最終回という事実はこたえるなあ、という気持ちはあるが、同時に去来するのは、なにかもやもやが清められたような、浄化の感覚なのであった。
今回はだいぶページも増えていたし、展開をなぞるだけでもけっこう文字数がいってしまっている。また、ウシジマくん最終回の感想をたったひとつの記事で終わらせられるはずもない。なので今回は、そうした、別々の気分が同居する不思議な感覚を保存したまま、ポイントだけおさえる感じで書いていこうかとおもう。
丑嶋の誕生日は同時に彼の命日ともなった。このことで即座に思い出されるのは、フリーエージェントくんでの戌亥とのやりとりである。いや、即座に思い出されるといっても、なんかそういうやりとりがあったという感じで、見つけるのに時間はかかったが、話数でいうと第340話だ。戌亥の母親が誕生日の準備をして待っているというはなしで丑嶋は、誕生日より命日を祝う人間のほうが多いんじゃないのかと冗談っぽくいうのである。もちろん、東京で丑嶋を待つ柄崎たちは、丑嶋が死んだことを祝っているのではない。誕生日のお祝いをしているだけだ。だが、それが同時に命日となることによって、結果としては丑嶋の予言はあたったことになる。「ウシジマくん」という生は、集金を終え、奪う/奪われるのゼロサムゲームから解放されて、命日を区切りに完結したのである。丑嶋の「選び取る人生」の哲学の先に、辰也(債務者)からの攻撃は欠かせないものであり、その行動が呼び込む必然でもあった。だとするなら、そうした、狂った債務者に刺されて死ぬこともまた、彼の人生においては必然だったのである。そして、このあとまたくりかえすことになるとおもうが、誕生日と命日が同一になることも偶然ではないのだ。なぜなら、「選び取る人生」は幻想だった、というある種の悟りの向こうに、丑嶋は信頼関係によって非常に困難な作戦を達成させることができたのである。滑皮に毒を飲ませたあの一連のプレーは、いままで丑嶋がその全能性でコントロールして実現してきたものとはわけがちがう。それは、柄崎なら、戌亥なら、また逆に社長なら、丑嶋くんなら、やってくれるはず、という、ある種の丸投げがなければ、成立しないものだった。完結したいまのこの瞬間、丑嶋はそこに宿っている。奪う/奪われるの構造のなかで、辰也に刺殺されることは、いってみれば「ものの道理」なのである。ブーメランがもどってくるように、高所に保持してはなした卵が地面に落下して割れるように、丑嶋の生はもとの位置に戻る。それが、誕生日と命日が同一のものになっていることの意味である。そして、「選び取る人生」の外側の、「ただの人間」の関係性のなかに宿った丑嶋は、このとき、柄崎や戌亥たちとの関係性のなかに、やはり「ただの人間」の記憶として、息づいていく。正しく、この日は誕生日なのだ。
辰也の感情は非常に複雑だ。複雑なものを単純に語るのは気が引けるが、ごく大雑把にいうと、彼は姉が大好きである。文香が多栄子に明かしたことを信じるなら、あの鳩殺しは、姉弟で行ったものではなく、どうも辰也が勝手にやったことのようだ。それは、おそらく姉のためである。姉が、鳩のせいで親がイライラする(そして実害がある)、と判断したから、彼は無邪気に鳩を排除したのである。しかし文香のほうはというと、弟のことは大切におもっているだろうが、ストーカーのことなど、あまり信用していない多栄子にはなすくらいだから、ちょっと違和感を抱えているのかもしれない。描かれていない期間、もっときわどいこともあったのだろう。想像できる範囲でいうと、たとえば、店の近くにあやしい男がいる、ということになって、あれは辰也だ、というふうに多栄子とのはなしが始まり、仕事のことは秘密にしていたのに弟にバレてしまった、彼はこれこれこういう事情で鳩を殺してしまったこともある、思い込むとそこから逃れられなくなるのだ、というふうに説明したのかもしれない。
いずれにせよ、弟は姉が大好きで、大好きなものがあれば、絶望的でもこの世は生きるにあたいするものになる。ところが、その姉が汚されている。彼は、それを、強要されている、環境のせいだ、すすんでやっている、というようないくつかの原因からさかのぼってとらえたにちがいない。というのは、彼自身がそうだからである。彼自身が、親のせいで嫌な毎日を送り、貧乏はいじめを誘うととらえているのであって、では貧乏でなければよいのかというとそういうこともなく、この世はもはや生きるにあたいしないと、そういうふうになっている。「原因」のない絶望のなかに生きているのだ。鳩のように原因が明確にあるのなら、もっと別の狂いかたをした可能性はある。また、同級生のいじめっこや、姉に仕事を与えるカウカウファイナンスは、鳩よりずっとこわい。こういう状況で、彼は、じぶんと姉を同時に救う方法を、姉を殺すというところに見出したのである。
この辰也の複雑な感情は、辰也じしんの資質もあるが、物語としては自然なことでもある。丑嶋は、彼自身に向かってくる刃には、きっと対応してしまうからだ。辰也は、「風吹けば桶屋が儲かる」ではないが、じつのところ丑嶋の行動からはかなり遠いところにいる。しかし、丑嶋の行動が間接的に、波紋が広がるように及ぼした影響が辰也を動かせていることはまちがいない。その、そこにいたるまでの複雑さが、そのまま辰也の感情である。丑嶋は「原因」のひとつでしかない。だから、特段辰也のあたまにも、カウカウが憎悪の対象になっていたりはしない。もしそうなっていたら、丑嶋はこれを倒していただろう。奪う/奪われるの円環に含まれない、余剰物としての暴力、これが辰也なのである。
滑皮は逮捕、そして死刑という運びになった。裁判の手順や、なにが決め手となったのかなど、具体的な展開についてはともかくとして、ここではごく短いチューボウとのやりとりについて論じることにしよう。滑皮のあの「変わらない」という宣言は、明らかにこれまでの彼の生き方を踏まえたものだ。逮捕され、どうあっても地獄が待っているこの状況でいささかも動じない「かっこいい兄貴」を、唯一残ったチューボウの前で示してみせること、これが彼のヤクザ的ありようの根本だからである。その先に、手段を選ばないあの、頂点を望んだ滑皮があるわけだが、彼のヤクザとしての原風景はそこにある。じぶんが、かっこいい熊倉に憧れてヤクザになっていったように、下のものにはそれの姿を見せなければならない、そして同時に、その仕組みを悟らせ、下のものにも、その下のものに同様のふるまいをさせなければならない、こういうふうに滑皮はふるまってきたのである。いま彼はそのもっともシンプルな姿に戻っているのだ。
そして、ここで重要なのは「変わらない」ということである。お気づきだろうか、ここでは、丑嶋が、命日と誕生日を同一にして、柄崎たちの関係性のなかに「ただの人間」として息づくのと同じことが起こっているのである。冷静に読むと、死刑が求刑されている、それを免れても生き地獄だ、というような戌亥のセリフのあとに、どこにいても変わらない、という滑皮のセリフがくるのは、少し変なのである。だが、これもそのようにとらえれば問題はない。その哲学、腹が減っても高楊枝、金がなくても「かっこいい兄貴」でいつづけること、この生き様がチューボウに伝わったとき、滑皮の生もまた円環を閉じて完結するのである。そして、チューボウがその哲学を守る限り、滑皮は変わらない。死刑になろうが、いじめ殺されようが、不調になってもかっこよかった熊倉が滑皮のなかで変わらず生き続けたように、チューボウの血肉となって持続するのである。
この話運びにおいては、最終章「ウシジマくん」の完結と、丑嶋の死、ウシジマくんの死が等しいものとなった。彼は、彼のありようがよびこんだ必然的な暴力の余剰物に当たって重傷を負う。このとき、丑嶋はたぶん、そのときがきた、というような感覚を覚えたのかもしれない。彼の「選び取る人生」は終わった。同時に、集金も終わる。高く放り投げたボールがもとの位置にもどってくるように、丑嶋の生はその内側でだけ起伏の感じ取れるものとして、同時に、客観的にはまるでなにごともなかったかのように、結ばれるのである。丑嶋の「選び取る人生」じたいが無価値であるということではない。それはそれじたいとして完結した。おでんのおじさんにかんしては、彼が今生で唯一行った「ただの人間」としての行いといえるかもしれない。しかし外部の無関係な目線からすれば、丑嶋の激動の人生も、もとの位置にもどっただけで、なにも起こっていないようである。それが、彼の死を路上で具現する。だが、そうではないことをわたしたちは知っている。「ただの人間」として丑嶋を記憶する柄崎たちにとってもそうである。滑皮も同様だ。いったい、人生の価値とは、どこに見出すべきなのか。これが、ぼくが読後抱えた感想、予想通りではあるが予想とはちがった、というものの正体だろう。丑嶋の生は、路上で朽ち果てるものとしてふさわしい、外部的にはなにも起こっていないゼロサム的なものでありながら、同時にそうではないのである。これは普遍的なことなのかもしれない。わたしたちは、今回のはなしの受けとめ方で、人生そのものの枠組みについても問いかけることになるのである。
戌亥、竹本、柄崎、マサルなど、まだ語らなければならないことはたくさんあります。しかし、最終話ということで、今回は感傷にひたることを優先しようかと。すでにだいぶ長いし。当ブログではまだまだウシジマ関係の記事を書いていく予定なので、さびしくなったらのぞいてみてください。
そして真鍋先生、本当にお疲れさまでした。優れた漫画はたくさんあるけれども、ひとの人生に影響を与えてわずかにでも動かすような作品というのはそうないでしょう。ぼくは大学の部室で拾ったスピリッツではじめてウシジマくんを読みました。「若い女くん」だったように記憶しています。その後、さまざまな偶然が重なって、現在の生に至っていて、そのことは、丑嶋が「ただの人間」として、偶然性のなかに最後の困難を突破したことと通じ合います。こういう見解も、ウシジマくんを通してでなければありえませんでした。というか、ぼくがいま、ほかの漫画や小説作品を解釈する際に用いるほとんどの方法が、ウシジマくんを通して獲得されたものです。さんざん好き勝手に解釈してきて申し訳ありませんでした(もう少しそれは続きます)ということとともに、ほんとうにありがとうございました。今後のご活躍にも期待しております。でも、しばらくはゆっくりお休みください。
というところで。読者のみなさまもお疲れさまでした。こんなくそ長い文章につきあってくれてありがとうございます。今後ともよろしくです。
※追記(2019/12/22)
この記事のあとに書いたウシジマくん関係の記事のリンクを以下に貼付します。
・ウシジマくん童貞問題
https://ameblo.jp/tsucchini/entry-12455206394.html
質問があった「ウシジマくんは童貞か否か」ということを真面目に考えたら、ふつうに作品じたいの読解も深まった感じの記事です。
あと誕生日/命日のことや梶尾問題についても書きました。
・ウシジマくん回想① ウシジマ本・柄崎問題・誕生日について
https://ameblo.jp/tsucchini/entry-12514721872.html
・ウシジマくん回想② 梶尾問題
https://ameblo.jp/tsucchini/entry-12526768113.html
それから、この記事を書いていたときには想像もしていなかったことですが、2019年6月末に発売された『闇金ウシジマくん本』に寄稿させていただきました。ブログの批評とは異なった随筆ですが、あわせてごらんください。
管理人ほしいものリスト。執筆に活かします↓
真鍋先生の新連載です↓



