すっぴんマスター

(※注:ゲーム攻略サイトではありません)読んだ小説などについて、かってにべらべらしゃべってます。基本ネタバレしてますので、注意。異論反論、論理的矛盾、誤った知識などありましたら、コメントにて指摘していただけるとうれしいです。


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自重トレーニングマニアたちの新しいバイブルとなるであろうすばらしい筋トレ本が絶賛発売中です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

表紙は『バキ』に登場する筋肉魔人、ビスケット・オリバだが、じつのところ本書の内容とオリバにかんするつながりは監獄という点だけで、ほとんどオリバのありようとは真逆のことが書いてある・・・。とおもったけど、よく考えるとオリバって、具体的にトレーニングしてる情景っておもったほどないな。ヘリを引っ張っていた例のやつと、刃牙道の最初のほうでカールをやってる絵が描かれたくらいか。モデルのひとがセルジオ・オリバという伝説のボディビルダーなので、トレーニングの内容はやはりウェイトだとはおもうのだが、本書ではそれらのトレーニングが完全に否定されている。自重トレ固有の魅力を紹介するのではなく、ウェイトを否定するというところが重要だ。自重トレを推奨するときには、たいていのばあい、まずその安全性が語られ、ウェイトトレーニングをしなくても同様のことは可能なのだ、というふうに、ある種の代用とされることが多い。要するに、ウェイトトレーニングのような危険なことをしなくても、自重で同様の効果を得ることは難しくない、しかも安全、ということである。ところが本書はそうではない。ウェイトトレーニングやそれがもたらす種類の肉体が“魅力的である”というイメージは広告が作り出した幻想であって、真に強く、また、これがポイントだが、大きく迫力のあるからだをつくることができるのは自重トレーニングだと、こういうことなのである。

 

 

作者のポール・ウェイドは、なんの罪でなのか不明だが、1979年から19年間、アンゴラやマリオンというアメリカのタフな監獄のなかで暮らしてきた。よく映画などでも描かれる光景だが、アメリカの監獄というのは妙に自由である。ふつうに金が行き来して(そういうルートを確保している長期服役囚が必ずいる)、当たり前のように監獄にあるべきではないものが流通しているし、つつましく暮らしているとはとてもいえない環境で、ゴリラのような体格の男たちがうろうろして、新入りのもやしのような青年がボコボコにされたりレイプされたりしている。これらは映画を通した認識だったが、どうも、現実もそれと大差ないようだ。このあたりのことはくわしく語られないが、作者は監獄に入ってすぐ、なにか「厄介事」を体験し、185センチ70キロという、相当痩せ型だった彼は、このままではまずいと痛感したのである。たんに強くなることも重要だが、強く見えることも重要である。大きく、またじっさいにちからのあるからだがほしいと、こうなったわけである。彼の幸運は、最初の監獄で特殊部隊ネイビーシールズ(沈黙の戦艦でセガールが属していた部隊)の元隊員と知り合えたことだった。そこで、彼はキャリステニクスの基本的なことを学んだ。キャリステニクスはCalisthenicsと書く。海外の自重トレ動画などを見たことのあるひとならこの単語も知っているだろう。僕はなんと発音するのか本書を読むまで知らず、ずっとキャリなんとかと読んでいたが、これの語源はギリシャ語の「美」と「強さ」をあわせたものだという。ここから、そもそも、ギリシャ彫刻などに見られる見事な肉体をもった古代のアスリートたちはバーベルやケーブルをつかってトレーニングしてきたわけではなかった、というふうにはじまる。映画『300』でも非常に魅力的に描かれたスパルタの男たちは、まさしくこのキャリステニクスで圧倒的な肉体を作り上げていた。ローマのグラディエイターたちもそうだ。いまわたしたちが、自重トレときいて思い浮かべるごくかんたんなトレーニングやエアロビクスのようなものではなく、たぶんいちばん近いのは体操競技だろうが、じしんのからだをどうコントロールしていくかということに主眼をおいた、ほとんど曲芸的なトレーニングが行われてきたのである。

このキャリステニクスの理論じたいは、ほんの100年くらい前まではふつうに伝わってきたようである。作者が出会ったもっとも重要な人物であるジョー・ハーティゲンという終身刑囚は、71歳という年齢で、人差し指だけでプルアップができ、また片方の親指だけでプッシュアップができたという。彼自身がキャリステニクスの媒体であると同時に、歴史の証人として、そうして自重で鍛え上げた超人たちを彼はたくさん知っていたのだ。しかしその技術も、1900年代に入ってバーベルのプレートやケーブルなどの開発が進むにつれ、失われていったのである。そして、非常に皮肉かつ幸運なことに、キャリステニクスの技術が正確に受け継がれていたのが、監獄だったのである。監獄にも最近はジムがあるようだが(映画でも中庭でベンチプレスしているこわそうな黒人集団などがよく描かれる)、原則的にはやはり囚人であり、一日の大半を監房で過ごさなくてはならないこともある。ところが、それと同時に、彼らはふだんの生活とは比べ物にならない緊急度でからだを鍛えなくてはならない。強くなければ食われてしまう、そういう世界なのだ。そうしたなかで、作者は研究に研究を重ね、キャリステニクスをきわめていった。やがて、新しく入ってきたひょろい青年が、彼をたずねてくるようになる。いますぐ、強い肉体がほしいと。かくして、彼は監獄のなかでお金をとりつつトレーニングを教えていくことになり、ひとからは「コーチ」とあだ名されるようになったのである。

 

 

 

さて、最初にも書いたように、本書が特別なのは、自重トレが、ウェイトと比較して、あるぶぶんにおいて優れており、代用できる、というような調子では語られないということである。ふつうにとらえると、技術の発達によって優れた道具が開発され、筋トレも合理化されていき、それにともなってビルダーたちのからだも大きくなっていったのだから、それはまちがいではないと考えられる。ところが作者はそれを否定する。「“強い”の意味が違うのだろうが」(45頁)などと留保はつくものの、一貫してかなり強い調子でこれを拒絶する。わかりやすい例として、キャリステニクスでは背中を鍛えようとしたらまず懸垂の動作を極めていくことになる。もしウェイトでこれを行おうとしたら、たとえばベントオーバーロウを行うことになる。木かなにかを登るようにからだをうえに引き上げる動作は、自然であり、人体の構造として理にかなっている。しかしベントオーバーロウでは、あの不自然にお尻をつきだした姿勢になる。というのは、ウェイトの理念は、基本的にアイソレーションにあるからである。鍛えるべき筋肉を分離させ、意識から取り出し、そこだけを集中的に鍛えていくことで、ひとつひとつの筋肉を大きくしていくのが、ボディビルの発想なのだ。しかし、自然な運動機能という点だけでみたとき、コンセントレーションカールのように、肘を固定した状態で上腕二頭筋のみをつかってなにかを持ち上げるということはまずないのである。このあたり、ボディビル的な発想と自重では交わるところがないようにも感じられる。それこそ、目標地点がちがうのだし、“強い”の意味が異なるのだ。けれども、おそらく作者が、ほとんど怒りとともにこれらのトレーニングを否定するのは、それが「健康」を標榜した広告のもたらしているものであることによるようだ。ボディビルもあるレベルになってくれば、なにか当たり前のようにステロイドがつかわれはじめてくる。ビルダーが、目標としているものに向けて励むのは、個人の自由である。僕にもあこがれのビルダーは何人かいる。しかしそれをロールモデルとして、健康産業のうちに回収し、ジムに年会費だけ払って大半のものが特に変化の見られないまま脱落していき、それでもうけをとるものがいる、そういう状況が、どうも腹が立ってしかたないようなのである。

 

 

監獄がもたらすある種の限定は、幸運にもキャリステニクスの技術を保存することになった。また、監獄ほど、強いからだ、また大きいからだが必要とされる場所もない。かくして、キャリステニクスは、保存されると同時に、その効果を囚人たちの肉体に刻印していくことになった。自然な動きの反復によって運動機能を賦活していく自重トレーニングは、筋肉を部位ごとに鍛えわけるより、その連関性において非常に優れている。古代ギリシャの彫刻や体操選手の見事なからだは、すべてそれによって彫琢されたものなのだし、現在では作者がいうほど自重トレはマイナーではないので、動画検索してみれば、圧倒的な肉体とパフォーマンスを披露しているひとたちが世界中にたくさんいることがわかるだろう。「ボディビルダーのようなからだ」は、もちろんビルダーのようなトレーニングをしなければ手に入らないだろう。けれども、「強く、大きいからだ」ということであれば、キャリステニクス以外ないと、こういうことなのである。そもそも、そうしたビルダーのような肉体がすばらしいものだという価値観じたいが、広告業界の捏造なのである。

 

 

筋トレにかんしては、個々人の肉のつきかたや体型、性格などもあって、これをやれば完璧というマニュアルは、じぶんでつくるしかない。そうしたことを拡張して、本書も、トレーニーのひとりの説得力あふれる発言のひとつとして忘れることは可能だ。しかし、僕個人としては、日々自重トレを続けていながら、先に書いたように、ジム通いできないことの代用として自重をとらえている面があり、体感としてはその効果と、また楽しさをよく知りながら、その弁護ということになると説得力に欠けるぶぶんがあった。これを、本書は完全にカバーしてくれた。俺は間違ってなかったと、こんなふうに思わせてくれる書物なのであった。

 

 

トレーニング本ではあるのだけど、ほとんどが文字なので、実はまだぜんぶ読めていない。最初の数十頁が作者の経験やキャリステニクスがなぜ優れているかの説明で、まんなかに大幅に頁を割いて具体的なトレーニング法が書かれている。ごくかんたんにいうと、全身を6つのパート(ビッグ6)にわけ、それぞれ究極のトレーニング(たとえばワンアーム・プッシュアップを100レップ)にいたるまで、10の段階にわけ、それをさらに3つにわけている。このプッシュアップの項目でいうと、いちばん最初の種目はウォール・プッシュアップ、壁に向かって腕立て伏せということで、これの最初の段階、つまり初心者の段階では、10レップを1セットとなっている。見て分かるように、これは超かんたんである。たぶん健康な成人男性でこれができないひとはいない。どんなにひ弱な男でもできる。説明のところにもリハビリにいいというようなことが書いてあるくらいだ。このレベルわけでいうと、ステップ5がふつうの腕立て伏せになっている。ごく当たり前の感性として、特にふだんからトレーニングをしているひとであれば、壁腕立て伏せなんかかんたんすぎてやってる場合ではないということになる。すぐステップ5か、あるいは6に進んでしまうだろう。ツイッターなどで検索してみても、いきなり最難関に挑戦したりしているかたが散見された。しかし、それは「馬鹿げたやり方」(296頁)だと作者はいう。このメニューは、ステップ10の上級者(プッシュアップならワンアーム・プッシュアップ100回)に到達するために計算されたもので、それをなしとげるための「貯金」が、ステップ1の初心者のメニューから含まれているのである。気の遠くなるような地道な作業になるが、トレーニングが好きなひとというのは地道な作業が好きなものだ。僕も通常のトレーニングを少し減らして、最初からちょっとずつ取り組んでいきたい。

 

 

 

 

有名な動画↓

https://www.youtube.com/watch?v=RFPsvF3UOdo&t=212s

 

 

 

 

 

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