今週の闇金ウシジマくん/第434話 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第434話/ウシジマくん⑳

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

竹本優希が運営する会社は雑誌とのタイアップなどがうまくいって、非常に羽振りがいい。専務のよっちゃんはアイデアマンで、スタッフにキャバ嬢をつかうことで、これを効果的な広告とし、さらに売り上げを伸ばした。けれどもよっちゃんはなかなか危なっかしい男のようで、ついに獅子谷に目をつけられ、型にはめられてキメセク写真を撮られてしまう。よっちゃんは地元の先輩である熊倉に相談しようとしているが、竹本は乗り気でないと、そんな相談を丑嶋にしたところだった。

 

 

よっちゃんは吉澤敬純(たかずみ)という名前らしい。シシックの道場に呼び出されたのか、獅子谷兄と直接話している。

獅子谷は緊張しているよっちゃんの視力を訊ねる。そばには、鯖野だろうか、海老名の友達の彼が耳を落とされてうずくまっていて、メガネが落ちている。要するに、耳を落とされたメガネをかけられなくなるので、大変だよね、ということだ。ウシジマくんに出てくる不良たちのこういう言い回しは見事なものである。よっちゃんは両目1.0なのでとりあえずメガネは必要ないけど、こういうはなしをすることで急に耳を落とされる状況が身近に感じられてくるのである。

今日の獅子谷兄はまた一段と腕が太い。よっちゃんを脅すためにパンプアップさせてるんじゃないかとおもわれるほどだ。いかつい入れ墨のだまし絵的な効果か、なんか腕も長く見える。そうして、太い腕を組んで立つ獅子谷の首には、いくつもの人の耳を通したネックレスがまわっている。

 

 

 

 

 

 

「ミイラの技術は宗教儀式の一環として生まれたんだって。

 

 

死者の魂が永遠に生き続けるように」

 

 

 

 

 

 

獅子谷が巻いているのはただ切り取った耳に紐を通しているだけのものではなくて、煙で燻した耳ジャーキーなのだという。獅子谷が暴力を通したシシックの方針について語る。歯向かったり、あるいは要領が悪かったりするものは厳しく教育する。聞き分けの悪いやつはガスコンロで焼肉パーティー、それでもダメなやつは心が折れるまで徹底的に教育したあと、こうして耳ジャーキーを作って形に残すのだという。分かりやすい形の恐怖は永遠の服従につながると。最初の「教育」の段階というのは、鯖野でいうと最初に登場してアッパーされたときのあの感じだろう。ああして、上下関係をはっきりさせ、死に物狂いでがんばらせることが最初の教育だ。次に「聞き分けの悪い奴」とあるが、これはたぶん、逆らうものと要領の悪いもの両方にかんしてのことだろう。逆らうものが痛めつけてもまだ逆らい続けるなら、耳を切って焼く。弟の甲児が現在やっているようにそれをじっさいに食わせるのかどうかはよくわからない。でもそうしないと焼く意味ないから、食わせるのかもしれない。そして、もし鯖野があのままずっと最下位のままだったら、やはり聞き分けの悪い、指示をよく理解していないものとして焼肉パーティーとなる。で、いまがそうなのだろう。これでわからなかったら耳ジャーキーをつくると。もしこのまま、鯖野が逆らって暴れるなり、獅子谷兄のご機嫌を損ねるようなことをしたら、いま切り取った耳が焼きあがる前にジャーキーになるのかもしれない。しかし、たいていはそうではないだろう。とすると、段階としては3番目になるこの耳ジャーキーは、すでに片方の耳を落とされて焼肉にされているものに対して実行されることになる。つまり残ったもういっぽうの耳である。耳ジャーキーにまで到達したものは、こうみるとけっこういるようだが、おそらく両耳がないのである。

 

 

獅子谷が求めているのは1億円だ。よっちゃんは竹本社長と相談中だとするが、獅子谷はもう待ってくれない。明日までに用意できなければ、以上のはなしを踏まえたうえで、それを実行に移すと。ついでに精神的にゆさぶりをかける。よっちゃんの実家が父親と母親、それに妹の三人で仲良く切り盛りしているラーメン屋だということまで獅子谷は調べている。よく燃えそうな家だから用心しろよと、こういうのである。これはよっちゃんも痛みの恐怖を越えてぞっとしたことだろう。

 

 

 

久しぶりに滑皮秀信の描写だ。美優紀というキャバ嬢といっしょにホテルにいる。美優紀はひとりでしゃべっていて、滑皮はときどき頷くくらいだ。なにか気になっている事柄があるか、女といる時間にそれほど魅力を感じないのかもしれない。美優紀はおしゃべりではあるが比較的落ち着いたしゃべりかたで、この状況に焦ったりとか、間がもたないから喋り続けたりとかしているというわけではないようだ。いつもこうなのだろう。今月ナンバー1になったのだが、それは滑皮のおかげなので、今度の日曜日になにか高い買い物をするつもりだ。

 

 

そこに電話がくる。電話がくることをタイミング的に知っていたのか、それとも年中こうやって電話をかまえて待っているのかわからないが、滑皮が気のない返事をしていたのはどうもそういうことのようだ。熊倉からの電話に、滑皮は美優紀を静かにさせてワンコールで出る。出かけるという滑皮に対して美優紀はさびしがるが、滑皮はそれを黙らせて、30万寄越せという。

家に着いた滑皮に、かっこよかったころの熊倉の兄貴は朝飯をふるまう。オイルサーディンとネギを炒めて土鍋で炊いた飯にのせると。オイルサーディンがなにかわからなかったが、塩水につけてオイルで煮込んだいわしのことらしい。雅子という女が出てくるが、看護師の仕事の夜勤明けということで、熊倉は寝かせる。いつものサイヤ人食いをして滑皮は美味いという。ふたりとも仲がよさそう。この描写を踏まえてから、ヤクザくんでの熊倉の肘打ちの場面を思い返すと、なかなかさびしいものがある。

次に光輝という小学生の男の子まで出てきて滑皮にあいさつする。滑皮とも当然顔見知りのようだ。

そして出発。まずはスナック幸子に向かい、熊倉は幸子を満足させる。外で待機している滑皮が戸惑うほどのでかい嬌声である。次は紀美江。愛人めぐりなのである。最初の雅子はどうなのだろう。ふつうに家があるし、滑皮はまずそこに迎えにいっていた。いちおう、正妻(という呼び方が正しいのかどうかはわからないが)は雅子ということになり、熊倉の(年賀状とか送るときの)住所はあそこということになるのだろうか。雅子は看護師ということだが、小学生のいる状態で、ひとりで一軒家を手に入れることは難しいだろうし、あの家にかんしては熊倉が金を入れているはずである。熊倉は、愛人喜ばすのも重労働だという。稼いでもらうモチベーション上げてやらないと、と。となると、滑皮にとっての美優紀みたいなもので、いざというとき金を手配する保険みたいなものとして愛人を囲っているのではないかと考えられる。同時に男の、ヤクザの甲斐性も周囲に示すことができる。しかし雅子にそんな金銭的余裕はないだろう。

運転しながら滑皮は2時間後によっちゃんのアポが入っていることを告げる。竹本の会社は「サンバーバィ」というブランドのようだ。このはなしをすらすら空で滑皮がくちにしたので、熊倉はほめる。ふたりは紀美江のところに行く前によっちゃんと会うことにする。

2時間後ということだったから、熊倉たちのほうが先についたのだろう。熊倉は呼び出しておいてなにあとから来てんだ?と理不尽なことをいう。よっちゃんは、5分前には来てたんですが・・・とよくわからない言い訳をする。5分前にはロビーにきてたけど、約束の地点には行かなかった、時間ぴったりに行ってみたらすでに熊倉が待っていたと、こういうことだろう。たぶん5分前に直行しても同じこといわれたとおもうけど。

 

 

そうして、獅子谷に負けず劣らずこわい熊倉の兄貴に、よっちゃんは恐喝の件を相談し始める。しかし熊倉はその前に社長はどうしたのかと、竹本の行方を尋ねるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

つづく。

 

 

 

 

 

 

 

 

熊倉もヤクザなので、どうやれば金がいちばん手に入るかを第一に考えている。たんに地元つながりでよっちゃんを救うだけが仕事ではない。そのことで金をたくさん手に入れたい。だから、この件によっちゃんのうえにいる竹本を混ぜて、会社ごと手中におさめたいのだ。社長を経由してこの件が依頼されたことになれば、会社からの金も引き出しやすくなるし、なんならケツモチになってやるとか、そういう竹本からしたらめんどくさい交渉も今後しやすくなる。

 

 

なんだかもりだくさんすぎて、わくわくする回だったが、順番に振り返ってみよう。まずは獅子谷の支配者としての発想である。シシックのランキングシステムは、洗脳くんで神堂が上原家にもうけたシステムと同じで、組織内で競争をさせ、上位になればなるほどいいことがある、というだけでなく、下位になると悪いことが起こる、ということを徹底させて、利益をあげていくものだ。これは基本的な構造としては学歴社会の進学校における生徒のあつかいと同じで、成績がよければそれなりの栄光が得られるし、悪ければ他人の目が苦しくなる。トップの売り上げをあげれば、獅子谷は喜ぶし、祝杯をあげてくれる。しかし最下位になると、鯖野や海老名のように痛めつけられ、耳をちぎりとられる。ほとんどのものはトップになって得られるものを期待するより、最下位になりたくない一心で仕事をがんばるだろう。というのは、祝杯や給与アップがなくても生きていくうえで特別支障はないが、痛いのは誰だって嫌だし、耳を失うのはふつうのペナルティの次元では考えられない損失だからである。ランキングシステムは、その構造上、上位のものが優れているということを示してしまうために、そう明文化されなくても、下位のものは優れていないということを内に含んでしまう。それが努力で覆ることなら、対象となっているものにとって原動力ともなるのかもしれないが、トップになることがそうかんたんではなく、場合によっては運に左右されるような状況では、成員は上を目指すより下を回避する方向にあたまを働かせる。これを示す状況が、洗脳くんではじっさい起こっていた。しばらく最下位を続けてしまいあとがなくなった母の和子は、娘のみゆきにある失敗をさせて、足を引っ張ることで、これを逃れようとした。洗脳くんの場合は通電という罰だったが、これから逃れるために、彼女たちはトップ争いではなく最下位争いに終始してしまい、結果として競争相手の売り上げ(成績)を落とす方に向きを変えていったのである。こうなると、上原家全体から利益を吸い上げる神堂としては、ランキングシステムはあまり有意なものではなくなってしまう。成員がじぶんのランクにかんして熱心になればなるほど、足のひっぱりあいが激化し、全体の売り上げは落ちていくことになるからである。だから神堂はこれを長期的なものとしては見ていなかった。精神状態としても健全とはいいがたく、ほいほいひとが死ぬということもあり、神堂は短期的に家を支配し、ある程度吸い上げたところで全員滅ぼし、乗り換える、ということをくりかえしてきたのである。学歴社会の競争原理は批判も多く、とりわけ偏差値重視の成績判定は、それが相対的なものであるぶん、足の引っ張り合いを強化してしまう面がある。日本中の同学年の人間が全員知性に問題があれば、じぶんはそうがんばる必要がないからである。しかしそのいっぽうで、競争原理経験者の市民の多くは、いまでもこのしくみを支持しているようにも見える。じっさい、では競争をいっさいなくしてしまったら、どういう教育が可能なのかということを考えると、欧米のやりかたを取り入れるのだとしても、なかなか気の遠くなるような経過を必要とするのではないかともおもわれる。つまり、原理的には問題含みであるが、それを結果としてはよかったとするものも多数いるという状況なのだ。これはおそらく、神堂の「乗り換え」を踏まえると、学校生活というのが比較的短期であるからではないかと考えられる。学校は、成績優秀者を輩出し、東大とか京大とかにすすむ高校生を出すことで、利益を得ることができる。しかし、1年ごとに学年をかえ、高校生なら3年で卒業することになる彼らは永遠に学校から吸い上げられる存在ではない。わたしたちには何度かそれをリセットするチャンスがあるのだ。

はなしが飛躍してしまったが、シシックもその競争原理を採用している。ただ、今回の語りを見ると、そのシステムによって売り上げを向上させることが目的なのではなく、罰を含んだシステムによって支配を強化することが本質的なことのようである。歯向かうもの、つかえないものを徹底的に教育し、二度と歯向かわず、しくじらせないようにすることで、シシックは成り立っている。興味深いのは、「歯向かうもの」と、要領の悪いもの、つまり「つかえないもの」が同列で語られていることである。少なくとも、シシックの罰が向けられるのはこうしたものたちであり、両者にかんしては公平に、等しく罰が下される。つまり、さすがにシシックや不良業界という枠内ではということに限られるとはおもうが、獅子谷にとっては「つかえない」ということが歯向かうことと等価なのである。ここに、獅子谷の、ワンマンというのとはまたちがう、あふれる野心に支えられたあの立ち位置が浮かんでくる。たとえば獅子谷が「5分以内に焼きそばパン買ってこい」と、ふたりのものに命令したとする。ひとりは「歯向かうもの」であり、なぜそんな命令を聞かなければならないのかとその場を動かない。もうひとりは「つかえないもの」であり、急いで出発したが、足が遅く、アホなのでレジに手間取り、戻ってくるのに10分かかってしまった。両者は獅子谷的には等しい。いずれにせよ「5分以内に焼きそばパン」という命令は果たされなかったからである。「歯向かうもの」にかんしては、それを打ちのめすことで、歯向かうことをやめさせる、つまり服従させる、という理屈はわかる。しかし、後者の人物にかんしては、足が遅いのはしかたのないことだし、ふつうは海恕の余地がある。しかし獅子谷としては、そんな先方の事情など知ったことではない。ただ必要なのは「5分以内の焼きそばパン」なのであって、それができないのであれば、それは歯向かってその場を動かないのとなにもちがわないのである。

ランキングシステムは、特に下位のものに罰をもうけるとき、その効力を激減させてしまう。罰が強烈であればあるほど、下位のものたちは上位にあがることより近くのランクのものを落とすことに熱心になるだろう。おもえば海老名は、友人の鯖野が最下位を脱出したとき、ほっとしていたが、あれはのちの裏切りを示唆していたとも考えられる。海老名はそのときの最下位だった。ほっとしている場合ではないのである。にもかかわらず、じぶんのランクより鯖野の心配をするということは、ランキングで何位になるかということが、おそらく獅子谷が見抜いたように、海老名のなかでは最優先ではなくなっていたのである。ばあいによってはすでにいまの裏切りにつながる意図が芽生えていたのかもしれない。彼にとって決定的だったのはおそらく、いつだったか、獅子谷の気分で、最下位でないのに最下位あつかいされたアレだろう。そうされたくないから必死こいてがんばっているのに、そうなるのだったら、このシステムにいったいなんの意味があるのかと、そうなって当然なのである。

海老名のばあいは、上原家のように、彼らを支配するランキングシステムが「全世界」にはなっていない。鯖野の無事を喜ぶ程度には、シシックが相対化されている。だからこそ、シシック内での足の引っ張り合いという方向には力は向かなかった。ではそれはどこにいくのかというと、その相対化によるシステムの否定ではないか。ただ、現状の裏切りは、獅子谷兄弟から金を奪って、彼らに丑嶋を殺させるという筋書きになっているので、システムの否定としてはまだ弱いかもしれない。これが「獅子谷を殺す」ということになっていないのは、獅子谷兄が徹底的に暴力で支配してきた結果だろう。要するに獅子谷兄弟を仮に闇討ちでも襲うのは、端的にいってこわいのである。

 

 

そしてシシックのこのランキングシステムだが、これはたぶん売り上げ向上のために考案されたものではない。たぶん、順序としては、まず罰がある。順位が生じ、その処遇を考えたあとで罰が出てくるのではない。まず、獅子谷の意に反するもの、つまり「逆らうもの」と「つかえないもの」が出てきて、これを処罰する動作が先に生じる。それがランキングの原点になる。だから、そんなやりかたでは利益を上げられない、などとさかしらにいってみてもしかたない。じぶんの価値観とは異なるものをいっさい認めない独裁者と同じ方法で、まず獅子谷は、他者との共存ではなく、それを「教育」するところから仕事をはじめている。獅子谷への恐怖がシシックの原点であり、または動機であり、これを除くことはできないのである。

 

 

いままで滑皮のくちからしか語られることのなかった「かっこよかったころの熊倉」が描かれつつあってうれしい。滑皮はそうした美学の観点からヤクザ社会を見ており、舎弟にもそれが身につくことを期待しているようである。ヤクザくんでくりかえしみたように、まずこのころの不良の前提として、ヤクザは稼げない、暴れられないということがあり、そんなものになるくらいならよく知った仲間たちとつるんでいたほうがいい、ということがある。獅子谷のセリフにはじっさいそういうものがあった。その意味では、美学にこだわる滑皮のありかたはヤクザくんのとき以上に相対化されていくかもしれない。そうした面は、たしかに事実であるかもしれないし、あるいはやりかた次第では乗り越えられるのかもしれないが(当時の熊倉やいまの滑皮は水準以上に稼いでいる)、ともかく、滑皮は「ヤクザになる」ということベースを美学に見出している。熊倉にもし金がなくても、かっこいい彼に、滑皮はあこがれたにちがいない。そんなふうになりたいと願うことができれば、それでヤクザになる理由としてはじゅうぶんなのであり、それが今後のヤクザ社会も維持していくことになる。だから滑皮は、みずからが「かっこいい兄貴」であり続けようとすると同時に、じぶんもそうやって熊倉を見て育ったのだ、ということを、梶尾たち舎弟に隠さない。

今回のような熊倉のふるまいは、滑皮のヤクザ的美学の原風景となっているのだろう。滑皮の脳裏にはつねにこのころの熊倉の姿がある。雅子との一般家庭ふうな所帯を維持しつつ、愛人をしっかり満足させ、滑皮のよいところをほめ、地元の後輩の相談を受けにいく、こういう思い出がある。だから、鼓舞羅に殴られて男を落とし、ひょっとすると知性も落とし、なにもかもうまくいかない感じになってイラつく熊倉が肘鉄をくらわせてきても、反応しない。滑皮は熊倉に感情移入ができるのである。

 

 

 

 

 

 

 

↓闇金ウシジマくん 40巻 7月28日発売予定。