第136話/騒乱
バキアニメ化ッ!
それも、今度出る限定版についてるOVAじゃないぞ。テレビアニメだ!
時期等は不明だが、死刑囚篇をやるらしい。限定版についてるやつが、死刑囚たちの登場シーン、つまり『バキ』1巻をやるということだったから、実質アニメの第1話が収録されてる感じになるのかな。それとも、そこから先をアニメでやることになるのか・・・。
ブックオフでの立ち読みからバキに入った僕では、死刑囚篇が最初の衝撃だった。多くのひとが熱く語る最大トーナメントを読んだのは、じつは第2部バキの死刑囚篇を一通り読んでからだったのである。それでも、バキたち白格闘士と死刑囚たちが対面するシーンでは血液が沸騰する感じを強烈に味わった。あそこに並ぶバキや烈や花山や独歩や渋川剛気がどういう人物か知らないのにもかかわらず、である。キャラの孕む意味を知らずして、起こっていることの意味を体感しているとしたら、その原因はもう、絵の迫力としかいいようがないとおもう。この漫画はすごいと強く感じた瞬間だった。
さて、本編では、おそらく予定になかったトラムプ大統領の描写をはさんで、武蔵がテレビに出ているというはなしに戻っている。背景は暗くなっていて、どういう感じの映像なのかよくわからないが、ミヤネ的なひとが椅子に座って武蔵と対面しているのである。なんでこんなことになっているのかはさっぱりわからない。ともかく、事実としてミヤネ的なひとの前に武蔵が座っていて、それが中継されているのである。
ミヤネ的なひとも、業界人なので、これまでさまざまな人物を取材してきた。そんな百戦錬磨の彼が、顔中から汗を噴出して緊張するほどの迫力だ。中継であり、テレビは、というかこのひとの番組はというべきか、ただ事実を事実として伝えるだけでは足りない、形容詞でかざりたて、必要以上に誇張し、煽りに煽らないと、番組はおもしろくならない。緊張しつつもミヤネ的なひとは仕事をまっとうしているようである。
武蔵じしんを前にしつつ、「ものすごい迫力」「まるで猛獣」「経歴が醸す威容」「つ・・・強そう」等の慇懃無礼な表現を、自覚があるのかないのか、謝罪しつつくりかえす。そして視聴者に「宮本武蔵さん」と紹介するのである。
ミヤネはどういうつもりでこれを行うのだろう。ふつうに考えて武蔵が生きているわけはない。じぶんは武蔵だと名乗っているちょっとおかしいひと、しかしたぶん番組的にはおもしろくなりそうなひと、そのくらいの認識であろうとおもわれる。それが、たぶんこの慇懃無礼というか、パフォーマンス的な表現になって、武蔵に届いていると考えられる。
テレビを見ているのはバキと本部と紅葉だ。バキの「あっちゃあ~」というリアクションが自然すぎておもしろい。事情を知ってるものからしたら「あっちゃあ~」としかいいようがないよね。本部は真剣な顔で画面を見つめている。武蔵と多少でも認識を共有する唯一の人物である。これからなにが起こるかを予想しつつ見守っているのだ。
武蔵の映像は街の巨大なテレビ、武蔵じしんが「板」と呼んだものにもうつされている。動画サイトとかで武蔵の顔は知れ渡っている。しかしネットをやらないひとというのもこの国にはまだまだたくさんいるのだ。そもそもパソコン、携帯をもっていないひとというのも、若いひとでもけっこういるのである。それを考えれば、テレビの影響力というのはいまでも絶大だ。
ミヤネは緊張しつつ、宮本武蔵さんですかと、大事なことを確認する。武蔵は、何故いまさら名前を聞くのかという。武蔵だからここにいるのだろうと。ちょっとよくわからない返答である。武蔵本人であることを疑われている、そのことにいらいらしているのも、あるが、この言い方だと、武蔵ということでじぶんはこのわけのわからん場所に呼ばれている、それをなぜまた確認するのかと、こういうことにおもわれる。つまり、まあ当たり前だけど、武蔵はテレビというものを、中継というものを理解していないのである。ミヤネと武蔵は、番組の前にいちど顔を合わせている。武蔵としては、ミヤネとの、あるいは番組、この状況とのコミュニケーションはそれで完結している。ミヤネは、それをテレビを通じて全国に説明しなければならない。だから同じことをもういちど聞く。しかしテレビを理解していない武蔵は、この人物は(あるいはこの番組、状況は)、なぜ先ほど告げたことをもういちどいわせようとするのか、ということになるのである。
ミヤネは視聴者の代弁もしなければならない。いやいや、武蔵が生きてるわけないじゃないですか、そうおもうのがふつうじゃないですかと、こういうことを勇気を出していわなければならない。
そのミヤネの左手を、武蔵がイメージ刀で落とす。バキたちは画面からそれを見たようだが、一般人の反応はない。この時点ではまだ伝わっていないのかもしれない。ミヤネは斬られたことを認識している。こんなことは宮本武蔵でなければできないことである。しかと受け止めたかと、武蔵はくりかえす。
手を斬られたことを説明するミヤネの、今度は首を、武蔵がイメージで斬る。まだミヤネは、手を落とされた結果、武蔵と信じるかどうかということに応えていない。どうもやはり、「視聴者に説明する」という冗長な態度が気に入らないようだ。命の危機を感じるでもなく、ふざけているように見えるのだろう。
もし本当に刀をもっていたら、いまじぶんの足元には首が転がっているのだとミヤネは説明し、「武蔵さんて 斬るのが好きなんですか」と明るく訊ねる。常識人ミヤネとしては、400年前の剣豪が生きているわけはない、という確信がある。つまりこの人物はへんな人物である。しかし、そうではあっても、どうやら武蔵並みの技量をもっていることはまちがいないようである。つまり危険人物なのである。そうした結果が、彼により番組的な「笑い」を求めさせたのだろう。武蔵を名乗るへんなひとが、イメージでじぶんをすぱすぱ斬ってくるのだ。まずそれを事実として、あなたは斬るのがお好きなんですねと、こういうのである。
そこで武蔵が立ち上がる。それを映像を通してみている通行人たちは、バキたちと同じく、異状を感じ取る。腰に差している刀が、彼らにもうっすら見えるようになっているのである。
「斬り登ること
それが業だ
貴様のその無礼――
さき程から極まっとる
目的が俺を憤怒(おこ)らせることなら
もう十分果たされている」
この人物が武蔵であろうとなかろうと、ヤバそうな感じであるということは、ミヤネもわかっていたはずだ。そしてその人物を怒らせてしまった。しかも腰には刀が見えている。ミヤネは激しい緊張で、ろくなことがいえなくなってしまう。
そうして、武蔵はイメージの刀を抜いて、彼を一刀両断したしまうのだった。
(全世界に映像配信されることとなる
「『生放送』エア惨殺事件」
武蔵の命運を決定付ける事となる)
きぶんを害した武蔵は、どこかにいるらしい付き添いの光成を呼びつけ、倒れたミヤネをあとにスタジオを去っていくのだった。
つづく。
どうやらこの件で武蔵の存在が全世界に知れ渡る、という展開のようだ。とすると新キャラもあるか?あるいは、ゲバルとかアライジュニアとか、いまなにしてるのかわからないかつての強キャラの参戦もあるかもしれない。特にゲバルは忍術を基本とし、素手で武器と渡り合ってきた経歴もあるので、期待できる。胆力やカリスマ性も申し分ない。ガイアがああなっちゃって、本部戦も終わってしまった以上、もはやそれなりに勝負できそうなものというと彼以外いない気がする。それをいったらオリバもそうかな。あのひとは、武蔵登場以前から、なにかに突き動かされてトレーニングをしていたようだが、武蔵じたいにはいちども関与していなかった。これで存在を知ったらなにかリアクションをとるかもしれない。でも、オリバみたいにからだで技を受ける系のキャラは武蔵に対しては圧倒的に不利なんだよなあ。ピクルレベルの肉体でも最終的にはずたずたなわけだし・・・。まだ加藤のほうがまともな勝負をしそう。
スタジオには光成もきている。武蔵がどれだけ偉大な剣豪でも、ひとを殺していいわけではないし、警察がそれを見逃したのも、光成パワーと、ことがまだ内々で片付くレベルのものであったからだろう。しかし大衆がそれを知ったとなればはなしは別である。警察は、暴かれる前にじぶんからもみけしを認めてしまうかもしれない。だいたい、倫理的にタブーであるクローン技術が実行されているということが明るみになることもまずい。この件がバキ的に滞りなく運ぶとしたら、そういう問題はとりあえず無視されて、世界の強者たちが武蔵に挑んでいくという展開になるだろうか。でも、光成的にはやはり武蔵の存在は秘密にしておきたいはずだ。大衆が武蔵を「武蔵と名乗っている、武蔵並のちからをもつへんなひと」と、うまく誤認してくれたとしても、である。ではこの出演は武蔵が望んだものなのだろうか。しかし武蔵はテレビというものを理解していない。いや、仕組みは理解したのかもしれないが、それが世間に中継されるということの意味までは把握していないようである。いったい誰が望んでこんなことになったのだろう。
考えられる展開としては、武蔵は不特定多数へのメッセージは望んだが、テレビというものを特に把握してはいない、ということだろうか。もっと強者と出会いたいと武蔵が言い出して、悩む光成に、あの板に出るにはどうしたらいいか、というようなことを武蔵が言い出し、しぶしぶ光成が段取ったと。
ともかく、いずれにしても、武蔵の修羅の道はこれからさらに厳しいものとなっていきそうである。これは本部の守護道と照らし合わせると、どういうことになるだろう。本部は武蔵の孤独を共有することで解消した、と、少なくとも本部は感じている。みんなのイメージする「宮本武蔵」を破壊することで、相手が武蔵の実力を見誤ることも、また「宮本武蔵」という価値を求めてこれに向かっていくことも、なくなったとはいわないが、効果を弱めることには成功したはずである。バキの謝罪がそれを示している。
ただ、このはなしは武蔵がほんものの「宮本武蔵」なのだ、という信憑があってはじめて成立することである。バキたちは光成の財力を知っているし、クローンでよみがえったといわれたら、そうなのだろうとおもうほかない。だから彼らは、武蔵と対峙したとき、そのあいだに各自抱える「宮本武蔵」というイメージを重ねてしまっていた。そのことが、武蔵を孤独にし、また武蔵と、それに対する相手をともに危険にさらすことになっていた。本部の達成はこのイメージを取り払うことだった。
だが「大衆」はどうだろう。彼らは、この武蔵が、クローンでも奇跡的長寿でもあやかしの類でもなんでもいい、ほんものの「宮本武蔵」だと認識するだろうか。たぶんそうはならないのではないかとおもわれる。くりかえすようにおそらく、彼らは武蔵を、「武蔵と名乗っている、武蔵並のちからをもつへんなひと」認識するにちがいないのである。
これなら、とりあえず本部が問題にした武蔵の孤独や、見誤りはなくなる。この「武蔵っぽいひと」に対峙するひとは、彼が強いから対峙するのであり、「宮本武蔵」の価値におぼれているのではない。もし彼が武蔵の実力を見誤ったとすれば、それはたんに実力不足であるのだし、孤独という観点からしても、相手は目の前にいるその「武蔵っぽいひと」を見ているにちがいないのである。武蔵の宿す技術は、本部にだけ共有される現代と断絶したものではなく、それに対するものと地続きの「高み」としてとらえられるだろう。かくして、武蔵は「イメージ」から解放され、かみ合わないたたかいや孤独のとらわれから逃れることはできた。そしてそれと同時に、この状況は武蔵が存命だった時代に近いかもしれない、たんに「強いひと」としての武蔵を強者たちが求めるという、そういうふうに事態が変化していくのではないだろうか。
これは武蔵の名声欲的に見ても、現代であらたに武勇伝を積み立てるという意味では、それなりに有意だろう。ある意味武蔵は、これで現代人になったのである。まあそれもこれも、光成が世間から糾弾されるとかいう事態にならなければのはなしなのだが・・・。お金パワーでなんとかしてください。たぶんそれならトラムプとかも協力してくれるよ。
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