雪組東京公演『私立探偵ケイレブ・ハント/Greatest Hits!』 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

 

 

 

ミュージカル・ロマン
『私立探偵ケイレブ・ハント』

作・演出/正塚 晴彦

舞台は20世紀半ばのロサンゼルス。探偵事務所の所長を務めるケイレブは、共同出資者である探偵仲間のジムやカズノと共に高級住宅街に住むセレブ達の浮気調査やトラブル対応に奔走する日々を送っていた。スタイリストとして働く恋人イヴォンヌとの関係も良好だったが、互いの生き方を尊重する二人は、新たな段階に踏み出す機会を見出せずにいた。そんなある日、行方不明となった娘アデルの捜索依頼にやって来たメキシコ人夫婦が直後に事故死するという事件が起きる。ケイレブは夫婦の願いに応える為、早速調査を開始。やがて、とある会員制の超高級クラブでアデルらしき女を発見するが、別の調査を進めていたジムとカズノが追う人物も、このクラブの関係者であることが判明する。果たしてそこは犯罪組織の隠れ蓑なのか。クラブのオーナーであるマクシミリアンと接触する為に彼の屋敷を訪れたケイレブは、そこで思いがけずイヴォンヌの姿を見かける…。仲間達と力を合わせ敵に立ち向かうケイレブと、その身を案じながらも彼を支えるイヴォンヌとの大人の恋の行方を描くミュージカル。粋な都会的空気感の中で、雪組トップコンビ早霧せいなと咲妃みゆが恋する男女の心の機微を繊細に演じあげます。



ショーグルーヴ

『Greatest HITS!』
作・演出/稲葉 太地

人々の心を酔わせ、躍らせる名曲の数々で構成するショーグルーヴ。熱いエネルギーを放つソウルミュージックに乗せて繰り広げるプロローグに始まり、誰もが知っているクリスマスソングで綴るシーンなど、時に甘く、時に切なく、それぞれの時代に燦然と輝き、今なお愛され続ける数多の楽曲に乗せて、クールでありながらもホットそしてセクシーな魅力を持つ早霧せいな率いるグレイテストな雪組出演者が、煌めくハーモニーと情熱的なダンスをお届け致します

 

 

 

以上公式サイトより

 

 

 

 

 

 

雪組東京公演、『私立探偵ケイレブ・ハント/Greatest Hits!』観劇。12月2日13時半開演。

 

 

前回るろうに剣心を見逃しているので、1年以上ぶりの雪組観劇だぞ!

早霧せいなにかんしては金髪もけっこう好きなので、前回るろうに剣心、その前が芝居は星逢一夜だったから、そういう、ごく標準的な白人男性の役も楽しみだったりした。加えて望海風斗が悪役・敵役ではなく主人公の味方というはなしも聞いていたので、ものめずらしいことばかりやってきた雪組では意外と見たことなかったような作品っぽくて、楽しみだった。

『私立探偵ケイレブ・ハント』の演出は正塚晴彦先生。ちょっと振り返ってみたのだけど、かなり名のある演出家の先生なのに、びっくりするくらい見ていない。古いものだと「ブエノスアイレスの風」とか「FAKE LOVE」とかは見てるけど、最近は全然作品を拝見していないのである。ハードボイルドな世界観で、男の友情とかダンディズムを追求する・・・という強いイメージがあるのだけど、現実としては作品をほとんど見ていないので、一般的なイメージをそのままうのみにしていただけとおもわれる。あとあの独特のヴィジュアル・・・。

 

 

いつもなら相方の感想を聞いてじぶんの考えを相対化するのだけど、今回は彼女の体調が非常に悪くて、よりにもよって複雑なサスペンス仕立ての作品であったため、まだあまりはなしができていない。なので僕的にもまだつかめていないところがある。じっさい人間関係や事件の内容などけっこう複雑で、ようわからん箇所もかなりあった。が、はじまってすぐに感じていた不安感というものはまあ信用ならないもので、細かいところ追おうとしたらそりゃ何回も見ないとだめだけど、大筋を理解することはしばらく見ていれば別に難しくない。ここでいう大筋というのは、誰が主人公で、このひとがなにを目的にしていて、それを邪魔するのは誰かと、そういうことです。で、細かいところの理解をあきらめてしばらく眺めているとどんどんおもしろくなっていって、サスペンス的材料に引き込まれるようになっていった。じっさいそういうふうに見ることができるようにつくられているとおもう。はなしとしてかなりおもしろかったです。

早霧せいな演じるケイレブ・ハントは、望海風斗のジム、彩風咲奈のカズノとの共同経営で探偵事務所を開いている。基本的には、現実の探偵事務所同様、危険な仕事ということもなく、地味な作業をくりかえしている感じなのだが、担当していた映画監督の撮影所で女優が死亡するという事件に遭遇する(いまさらふと気づいたのだけど、このひとの死因はなんだったのだろう)。事務所に戻って恒例のミーティングを行うと、ジムやカズノが担当している事件にも、女優が所属していた「マックスアクターズプロモーション」が関与していることがわかる。いかにも臭うわけである。そうしてケイレブは、誰から依頼があるわけでもなく、この会社について調査をはじめ、ひとつひとつ謎を解いて、核心に迫っていくのである。

物語のスリルは申し分ない。線の細い早霧せいなも、これまでとはまたちがう発声のしかた(ルパンからユーモアを取り払った感じ)で正塚作品に対して襟を正している感じがある。望海風斗はその実直な人柄が役に反映されているようで、「じぶんはけっこうユーモラスな人間だとおもっている真面目なひと」みたいな役柄が、こういってはなにだが実にぴったりだ。

ケイレブの恋人である、咲妃みゆ演じるイヴォンヌはスタイリストで、やがてマックスアクターズプロモーションにも仕事でかかわることになる。ここのボスがマクシミリアンといって、月城かなとが演じているのだが、これが仰天するほどかっこいい。このひとは異動が決まっており、雪組での出演はこれが最後となるが、強烈な爪あとを残したとおもう。かっこいいし、裏表ある人物として、しれっと嘘をつきながらも機に応じて態度を変えるさまは実に素晴らしかった。もっとも先が楽しみな男役のひとりである。

 

 

脚本については、細部を理解できていないのでなんともいえないが、では正塚作品らしさというのはどういうところにあるだろう。個人的にはやはりイヴォンヌとのやりとりである。とりわけマクシミリアンをめぐっておこる喧嘩の場面は最高だった。男と女が、どちらかの過ちではなく、見解の相違で喧嘩するときって、ぜったいこうなるよね・・・。つまり、「いまそんなこといってもしょうがない」とか、そういうやりとりのことです。あそこは笑っちゃうほどリアリティがあった。

このイヴォンヌとケイレブは、ケイレブが女々しい男ではないので、それなりにうまくいっている。というか、表面上はそうなるよう、たがいに努めている。しかし、ケイレブは「危険な仕事ではない」としつつも今回現にこんな危険な目にあっているし、事務所じたいも繁盛しているから忙しい。イヴォンヌも仕事が軌道に乗り始めているようで、なかなか、すれちがいのぶぶんがあるようである。印象的なのは、じっさいに危険な目にあってはじめてマクシミリアンが悪党だと納得したイヴォンヌが、それでもまだ仕事を続けようとするケイレブをとめる場面である。彼はいうのである。意地とか価値観ではなく、これがじぶんにとっては当たり前で、じぶんがやるしかないのだと。つまり使命感である。

正塚作品にくわしくないので、本作にかぎっていうともうひとつ、このふたりには、仕事をしている最中にばったり出くわす、という状況が2度訪れる。“ばったり”出くわすということじたいが、ふたりの関係において共有しているものの大きさを示してもいる。マクシミリアンはどうあれ豪腕の実業家なわけで、そこで彼女がケイレブにそういうはなしをしていないというのが、「仕事をしているときのイヴォンヌ」と「ケイレブの前にいるときのイヴォンヌ」との距離をあらわしているのである。現代人においては、仕事とプライベートをわけて考えるのはごく当たり前のことかもしれない。しかし、だとしたら、1日が24時間で、人間の生も限界である以上、仕事の占める時間が増すほど、プライベートはおろそかになっていくのである。イヴォンヌが最後まで問題にしているのは、まさにこのことだろう。最後のほうで、パリに旅立つことをいきなり告げるイヴォンヌは、じぶんたちの関係を考え直すいい機会だ、的なことをいい、選択肢はふたつだという。ケイレブは三つ目があるといいな、というようなことをいうのだが、ここは謎めいている。なんのことだかわからないのだが、こうして考えてみると、おそらく、イヴォンヌがいっているふたつの選択肢というのは、要は仕事とプライベート、ひとりの人間としてどちらをとるべきなのかということだとおもわれる。しかし、ケイレブからしても、イヴォンヌに仕事をあきらめてほしいわけではない。三つ目というのはそのふたつをあきらめないなんらかの方法ではないかとおもわれるのである。

それと同時に、この「ケイレブの調査している場所で実はイヴォンヌが働いていた」という反復には、タナトス的なものも感じられる。タナトスとは、不快な記憶を悪夢などで反復することで、次に同じ状況がやってきたときにショックを受けず対応できるよう準備をする欲動である。厳密には作品の構造的にということになるが、これをもしケイレブじしんの無意識のあらわれだとすると、彼は、ああはいっても、イヴォンヌを仕事に奪われることを恐怖している可能性がある。だが彼女ができるスタイリストであることは疑いなく、またじぶんじしんの仕事も繁盛している。だから、部分的に彼女を仕事に奪われることは回避できない。それが、彼に彼女がかかわっていそうな職場を無意識に探させているのである。

人生を仕事とプライベートにわけて考えたとしても、ケイレブにとってイヴォンヌはほかのなににも変えることができない。だが、両者をわけて考えている以上、仕事に傾けば傾くほど、彼女についてはおろそかになる。彼に悪気はなくても、デートに遅刻し、彼女に「2回目の記念日だ」と厳密なことを指摘されるのも、そうしたことのあらわれである。しかしそれは避けられない。なぜなら、ケイレブにとっても仕事は使命だからである。見たところほかにそれをやるひとがじぶん以外いない、だからやる。じっさい仕事というものはそうやってはじまっていく。それはイヴォンヌにおいても同じことだろう。言い換えれば彼らは、神から与えられた使命と、個人の欲望のあいだで揺れ動いているのである。

 

 

パリに行くというイヴォンヌを前にして、ケイレブは恐怖が実現したと感じたかもしれない。しかし、彼は彼女を行かせる。仕事のためもあるし、彼女が選択するのを待つためでもある。が、もういちど彼女に会いたくて、彼は空港まで見送りにいくことになる。もうひとり重要な登場人物として、香稜しずる演じるナイジェルという、優れた狙撃主であったがいまは落ちぶれている戦友がいる。彼はピンチのケイレブを救ってもくれるのだが(僕は最初からナイジェルはピンチのとき助けてくれるとおもっていたよ)、空港には旅立つナイジェルの姿も見え、車が故障したせいで走ってきたケイレブをびしょ濡れだと指摘して去っていく。そのあとあらわれたイヴォンヌと抱き合って、彼女がパリ行きをやめるところで幕なわけだが、ここで不思議なやりとりが見える。イヴォンヌもまた、ケイレブがびしょ濡れであることを指摘する。それに対して、ケイレブは雨は好きだと応える。君の事も、君の髪もと。髪、なのである。

まず状況として、天気が悪いせいで飛行機の出発が遅れているということが要求されてはいる。しかし、ケイレブの車の故障は果たして必要だったろうか。それがなくても、たんに出発の遅れで混雑したロビーを探し回るだけで、この場面は成立するようにおもわれる。つまり、この場面におけるケイレブは、はなしの展開のためという以上に、濡れていなくてはならなかったのである。じっさいには舞台上の早霧せいなはびしょ濡れではない。しかしナイジェルとイヴォンヌの両方から続けざまにそう指摘されることで、わたしたちには彼がびしょ濡れに見えるようになっている。そこに、「髪」の発言である。観客はここでなにを連想するだろう。僕はすぐさま、イヴォンヌの、びしょ濡れではない、かわいたいいにおいのする髪の毛が想像された。びしょ濡れであることは、むろんたんじゅんにケイレブの「着の身着のまま」なあわてぶりを示してもいるだろう。それを含めてもよい。おそらくこれは彼の現況そのものなのである。戦友のナイジェルは、彼を捉えていた彩凪翔を含めても、ケイレブ以外の人物とはほとんど会話をしない。彩凪翔との場面がなかったら、ケイレブのオルターエゴなんじゃないかとすらおもえていたかもしれない。じっさい彼はそういう役回りである。危険が感じられても使命感から突っ走らずにいられないケイレブの前に頻繁にあらわれては、「危険だぞ」とわかりきったことを告げて去っていくのである。いわば彼はケイレブにおける客観、もっといえば超自我なのである。彼が狙撃手であるというのもなにか象徴的である。ナイジェルは、スコープ越しにケイレブの周辺を見張り、安全を図ろうとする、父親的な存在なのだ。

そのナイジェルは、最後にケイレブをびしょ濡れだと指摘して、おそらく永久に去ってしまう。彼が去っていくのは、ケイレブがもう大丈夫だと判断したからだろう。精神分析的にいえば、克服された父性は超自我となって内面化される。つまりこれは、彼の行動を外部の規範をもとに戒める存在としての父を内面化した瞬間なのである。

そんなナイジェルが残した最後の客観が、「びしょ濡れ」であるということなのだ。着の身着のまま、突っ走るから、ケイレブはびしょ濡れになる。危険を顧みず、使命感から、命まで危険にさらす。そのさまが、「びしょ濡れ」なのである。そして、ナイジェルが去っていくとともに、ケイレブはじぶんの状態を確認できるようにもなったはずである。もう、びしょ濡れかどうかを確認するために、ナイジェルの指摘を必要とはしない。そうしたとき、目の前にあらわれた美しい恋人のかわいたボリュームのある髪の毛が目に入る。つまり、彼が髪の毛のことを唐突に持ち出すのは、おそらくそれが「びしょ濡れではない」という意味においてなのだ。

ここで少し遡ると、ケイレブは仕事にイヴォンヌを奪われることをおそれていたふしがあったわけである。それが、彼に「仕事中にばったりでくわす」ということを反復させていた。しかし「彼女を仕事に奪われる」とはどういう意味だろう。彼女は彼の「もの」なのだろうか。所有物なのだろうか。たぶん、父としてのナイジェルは、ケイレブがそのレベルを乗り越えたということを見て取ったのである。彼女は、彼とは異なる存在なのだ。イヴォンヌとしても、びしょ濡れになってあらわれた彼を見て、こころを動かさないでいることは難しい。それは同時に、使命をまっとうしようとする彼の不器用な生き様に心動かされるということでもある。かくして、彼らは「仕事とプライベート」というたんじゅんな二元論を乗り越える。彼女の生き方は、彼のものとはまたちがうのだし、彼女にとっての彼も同様であり、そしてそれが愛おしいのだと、たがいに気づくためのよすがとして、ここでは濡れた髪とかわいた髪が対比されたのである。

 

 

 

なぜだかむりやりな考察をしてしまったが、話半分に読んでもらうとして、ショーは稲葉先生による「Greatest Hits!」である。だれもがよく知るポップスを中心とした音楽で練り上げられたカラフルなショーだ。通常こうしたコンセプトのショーを組み立てると、本作でいうサマータイムみたいなスタンダードナンバーが中心となるのだが、そうではないのがなかなか斬新かもしれない。齋藤先生くらいになると個性的すぎるし・・・。個人的には「You can’t hurry love」が大好きなので、いかにも現代っ子っぽいうたいかたをする咲妃みゆがうたってくれたのは観劇だった。なかでも望海風斗は圧倒的というかあたまひとつぬけている感じがしたが、ほかにも香稜しずるや舞咲りんなど、非常にうたのうまい組子が多いので、通してうたいまくりでもむりがない。ただまあ、季節だからしょうがないとはいえ、クリスマスの場面がんばりすぎじゃないかとはおもった。いや、みんなきれいな曲で楽しかったのだけど、もう少し別のうたも聞きたかったかなと。それはまあ、雪組のうたのレベルが高すぎて、たんにもっと聴きたいとおもっただけなのかもしれないが、でも全国ツアーでもこのショーをやるみたいなのだけど、クリスマスとかゴーストバスターズの場面はどうするのかな・・・。