今週の闇金ウシジマくん/第420話 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第420話/ウシジマくん⑥

 

 

 

 

 

 

 

熊倉を殺したのは丑嶋だと見抜いている滑皮は、熊倉の三回忌の香典に3億を要求する。丑嶋なら払えなくもないのかもしれないが、法外すぎる額である。とりあえずその場を流すために出すような金額ではない。彼がどう返事をしたのかは不明だが、あやしい戌亥に連絡をとり、丑嶋は滑皮のいまの状況をくわしく知るのだった。

あくまで噂程度の情報だが、滑皮は通常のクスリとかオレオレ詐欺とかいう細かい仕事以外に、半グレを脅して金をとるということもしているらしい。そのなかには獅子谷という、丑嶋とも因縁のある男がいたのである。獅子谷は見るからに凶暴そうな男であり、表向き警備会社などを経営しているぶん、あたまも働きそうだ。肉蝮と鼓舞羅を足した感じだろうか。半グレの完成形みたいな男である。その獅子谷が、鳶田と梶尾の待つキャバクラに呼び出されてやってきたところである。

 

 

丑嶋や獅子谷のような凶暴な不良がヤクザにならないのには、それぞれの理由があるはずである。丑嶋はたんにヤクザが嫌いということがあるだろうし、その搾取のシステムも認めていない。では獅子谷はどうなのだろう。調子にのる鳶田たちと険悪な雰囲気にならないか心配だったが、威圧的ではあってもそれはこのひとたちなら当たり前なことだし、獅子谷もいちおう敬語をつかって、クールに話している。まあまあ最低限の常識はありそうでよかった(三蔵タイプでないだけマシ)

 

 

獅子谷は近くで警備の仕事をしていたからすぐこれたようだ。いまは優秀な部下に任せてあるという。梶尾が、すでに頼んであったなにごとかについて訊ねる。羽田という者をシメてくれという依頼があったらしい。いわれるまで忘れているというのがすごいな。

獅子谷は切ったというよりもぎ取った感じの羽田の耳を焼いている動画をふたりに見せる。鳶田もドン引きする拷問である。とりあえずそれで羽田は音をあげて、屈服したらしい。で、今回はもうひとつ依頼が追加されるというはなしである。いま丑嶋を3億わたすよう脅している。もし逃げたら、あるいは払わないようなら、身柄をさらうことになるだろう。そのときに何人か貸してくれと、こういうことである。

まだ描かれてはいないが、丑嶋と獅子谷にはなにか因縁があるらしい。獅子谷も敏感に丑嶋の名前に反応している。丑嶋は重要でないひとの名前とか顔をあまり覚えない人間である。獏木なんか、一回金属バットフルスイングされてるのに「眼帯野郎」呼ばわりでしかも若干すでに記憶が薄れかけている雰囲気だったからな。あたま目がけてバット振りぬいてきたやつのことなんてふつうは一生忘れないとおもう。

それは、じっさい眼中にないものはすぐ忘れてしまう、ということに加えて、覚えているということはそれがそれだけ印象深い出来事だったということを示してしまうから、アウトロー的に小心を表現することになりかねないので、覚えてないふりをする、ということでもある。そんな丑嶋が、獅子谷のはなしが出てきたときに「忘れるわけない」というような反応をするのだから、相当のことが過去にあったのだろう。しかも、丑嶋の名前を聞いて少し獅子谷のからだが硬く緊張していることからして、ただなんか喧嘩とかして、どっちかが負けて、というような単純なことではないっぽい。互いに忘れられないということなのだ。

 

 

どこでどうはなしが転んだか、戌亥の実家のお好み焼き屋には柄崎だけが来ている。戌亥と会う前に丑嶋が集合をかけていて、中止を柄崎に連絡しなかった感じだろう。なんか前に柄崎が店にきたときもこの席だった気がするなあ。

 

 

ホテルの自室に帰った滑皮は、例のバカ高いルームサービスなのか、カレーをがつがつ食べ終えて、夜景を背後にビールを飲みながら風呂につかっている。そんな滑皮が想うのは熊倉の兄貴である。これは重要な描写だ。周囲には誰もいない状況で、いかにも感傷的になりそうな装置に囲まれながら滑皮が想起するのは、亡くなった熊倉理事長なのである。滑皮が熊倉を慕う気持ちは「構造的なもの(ヤクザは上を立てるもの、という原則)」ではなく、本心であった可能性がこれで一気に高まったとおもう。

 

 

そして熊倉の三回忌である。なんというか、子分も含めた関連するヤクザ数十人が集合する感じを想像していたが、幹部レベルの偉いひとたちが集まっているだけのようだ。鳩山と猪背は、暴排条例でどこの店も出禁だから、熊倉の奥さんがやってる店で香典がわりにたくさん飲もう、なんてのんきなことをいっている。

滑皮に歩み寄るのはヤクザくんで地下にもぐったきりだった豹堂である。本部長と呼ばれている。なんとなく、滑皮と同世代か少し下の、筋肉要員のようにおもっていたが、今回見るとけっこうベテランのヤクザのようだ。熊倉とは兄弟関係で、滑皮も敬語だ。その豹堂は、滑皮に対してなんとなく感じが悪い。熊倉が死んで、その理事長の枠に入るはずの鹿島も行方不明。しかし、最近組長になったばかりの滑皮はどうやらもうそのあたりのポジションにつきそうな感じのようだ。やたら羽振りもよい。裏でなにをやってるのかと、実態がつかめないから、あやしんでいるのである。滑皮は墓の前だから勘弁してくれとごまかす。

熊倉と鹿島は、当初は鳩山のポジションにつく候補だったはずだ。トップの虎谷がどうやらまだ引退していないようなので、この順繰りの昇進は行われていないようだが、ここで豹堂がいっているのは要するに、たとえば熊倉が鳩山のポジションにつくのだとしたら、今度は熊倉のポジションがあくわけで、そこには鹿島が入るちがいなかったということだろう。鹿島が昇格したら、熊倉はきっとそのままだったんだな。で、そのふたりが一気に消えて、ほぼ同時に滑皮がなんだかわからない躍進をしていると。まああやしまれてもしかたないのかもしれない。

 

 

自宅に戻った丑嶋はまたいつかみたいにラットプルダウンをして、滑皮への怒りをぶつけている。あとで部屋も描かれるのだけど、以前までとまったく変化がない。丑嶋がいない2年間、自宅はそのままだったということだろうか。警備が厳しいということだから、滑皮たちも部屋にまでは入れなかったのかもしれない。

丑嶋は高田に電話をかける。高田は地元で金融屋をやっているらしい。元気かときかれて高田はうれしそうにするが、丑嶋が聴いているのは高田に預けたうさぎの状況である。が、そのあとすぐに高田も元気そうでよかったと付け加えもする。丑嶋は新宿に戻ってきたわけだが、まだ面倒な事態は続いている。だからうさぎはまだ預かっていてくれと。うさぎの画像を送るという高田に、珍しく丑嶋は「ありがとう」といって、できたら動画を送ってくれともいう。丑嶋は部屋のなかでひとり、もそもそ葉っぱをたべるうーたんの動画をさびしそうに眺めるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

つづく。

 

 

 

 

 

 

次号より休載、再開は6号、2017年1月7日発売号ということである。1月7日号ではなく、1月7日発売である。というわけで、今回は今年最後のウシジマくんなのだった。

 

 

とりあえずは獅子谷が「あ!?」とか鳶田にいうタイプでなくてよかった。

彼は滑皮ともめていたということだが、おそらく集団で襲いかかるか、なにかして、どうもボコボコにされたようである。そういうことをこの手の人間は(いわゆる面子問題をぬきにしても)非常に根にもつので、獅子谷にもその危険性はある。特に彼の場合は組織を抱えている、ある意味ではヤクザよりも厄介なタイプなのだ。しかしまあ、暴力に屈服したのか、滑皮のアウトローとしての姿勢になにか感じ入るものがあったのか、それともたんにじぶんの利益を考えてか、それは不明だが、とりあえずいまのところ反抗的な感じはなさそうだ。

獅子谷についてはまず、なぜ半グレなのかということもある。作中で具体的な説明はなかったので、考慮にいれるのは逆に気が引けるのだが、彼らのふるまいの背後には暴対法というものがある。彼らはもはや街で喧嘩することさえできない。それで警察がくれば、はなしが組長やさらにそのうえにまで及ぶので、結果としては「上」に迷惑をかけてしまうことになるからである。銀行口座もつくれないし、部屋も借りれないし、今回描写があったように、ふつうの店が出禁になったり、ほとんどまともな生活も送れないような状況なのである。よほどうまく、それこそいまの滑皮のように、身内にさえ手段がよくわからないようなルートでもつくらない限り、ヤクザをやっていて稼ぐことはもうできない。それどころかまともな喧嘩さえできない。そうして、若い不良たちのヤクザ離れがはじまっていった。稼げないし暴れられない、それでいて上納金はしっかりある、そんな組織に属するより、気の置けないむかしからの仲間と好き勝手にやっていたほうがよほどよいではないかと。それが数人規模のものであれば、かんたんにつぶされたり吸収されたりしたかもしれないが、おそらく獅子谷が抱えているような集団はそんな小さなものではない。稼ぎかたも、いまならともかく、以前までの滑皮とは比較にもならないはずである。

つまり、この意味でいえば、彼らは「稼げない/暴れられない/組織に属したくない」というような理由で、業界入りを拒んでいたわけである。獅子谷もたぶんそのあたりを理由に半グレのままでいたのではないかとおもわれる。これが滑皮に取り込まれた。「取り込まれた」というのがなにを意味するのかわからないが、今回、羽田の拷問や丑嶋拉致について依頼していることから考えると、半グレは半グレでヤクザからすれば使いでがある。むしろ半グレのままでいてくれたほうが、獅子谷くらいの実力者なら、じぶんから暴力をふるうことが非常にリスキーであるヤクザ的にはよいわけである。ただ、この依頼だが、これは金を払ったりはしていないのだろうか。このあたりはけっこう重要な気がする。ヤクザに顎で使われることも、仮にこの依頼が金でなされているとしても、獅子谷的には不満なのではないかとおもわれる。稼げて暴れられればそれでいいというはなしではないのである。報酬がないのであればなおさらである。やはり、不良としてヤクザを目指さなかったことが、獅子谷の半グレとしての台頭につながっているのだとすれば、やはり彼が暴力への屈服か滑皮へのポジティブな感情からヤクザ入りを認めるようになったとはおもえないわけである。梶尾や鳶田は絶対にこの男に油断しないほうがいいだろう。

 

 

だが、そういうリスクはもちろん滑皮も了解しているはずである。豹堂があやしんでいる点にかんしても依然として不明である。滑皮の熊倉への感情はほんもののようだ。彼はヤクザ組織という組織のありかたそのものを認めるものである。下のものは上のもののかっこいい姿を見て、そうなりたいと願うことで、ヤクザ業にはげむ。だから、根本的に滑皮の態度は半グレのものと相容れない。滑皮のありようは、この時代の「世知辛さ」へのアンチテーゼとして機能してはいるが、彼自身の認識としては、そもそもヤクザとはそういうものであって、稼げない苦悩や法律による縛りは、二次的なものなのではないか。稼げても稼げなくても、彼が知っている熊倉がかっこよかったことはまちがいなく、だから彼も、稼げても稼げなくても、梶尾たちに対してかっこいい兄貴でいようとするのである。

これは構造的なはなしである。じぶんの属している場所ではそれが当然のものであるから、そうしているだけである。朝の弱い人間でも、それを理由に遅刻を正当化しようと、またそれによるペナルティに文句をつけようとはせず、等しい出社時間について疑問にもおもわないことと同様である。ヤクザとはそういうものなのであって、滑皮の真意とは無関係なのである。だが、どうやら滑皮が示しているふるまいと、彼がこころの底に抱えているおもいは、どうやら一致しているようである。

問題は、それでいて、いくつか不可解な点がないでもないということである。いちばんは丑嶋である。彼には熊倉殺しの犯人が丑嶋だという確信がある。だとするなら、たいした証拠がなかったとしても、彼が丑嶋を殺そうとするほうがずっと自然におもわれるのである。しかしそうではなく、滑皮は3億という法外な金を要求する。戌亥のはなしでは、これが払われないようだと、丑嶋は殺される。少なくとも、獅子谷のように「取り込まれる」ということのようだ。これが、今回梶尾たちが獅子谷に依頼していた「攫う」という状況に該当するだろう。要するに攫ってボコっていうことを聞かせよう、なんなら殺してしまおうと、こういうことのようだ。金を引っ張れるだけ引っ張って、最後に殺せばよいと、そういう発想も、ヤクザならするかもしれないが、滑皮の熊倉への感情はほんものである、そういう発想にはどこか違和感が残るのである。

それから、このヤクザ組織の構造がもたらす「かっこいい兄貴」たろうとしている彼が、稼ぎにたいして非常に熱心になっているようである、ということもある。そりゃもちろん、稼げないよりは稼げたほうがいいに決まっているし、この状況で稼ぎまくるヤクザも、それはそれで「かっこいい」だろう。しかし果たしてこの状況は、熊倉が存命であったとしたときにも同じように発生していたものだろうか。滑皮の顔にはときどき、なにか悲壮な覚悟をしたもののような表情が浮かぶことがある。熊倉にかんしての感情とヤクザとしてふるまうべきものは、いままでは一致していた。しかしここにきて、それが反発しあうような、アンビヴァレンスな動機が生まれてきているのではないだろうか。

 

 

丑嶋のなかで滑皮への怒りとラットプルダウンはセットのようである。以前このトレーニングをしていたときに考察したように、引きの動作で背中を鍛えるこの種目は、事態の受容を示している可能性がある。丑嶋の部屋にはベンチもあったはずだし、押しの動作によるトレーニングも可能はなずだが、それはされない。怒りを発散するという意味でも、内部に蓄積した負の要素をはじき出すという意味でも、ここでは押しの動作が適切であるとおもわれるが、丑嶋は執拗に滑皮とラットプルダウンを共存させようと努めるのである。丑嶋がどんなに拒否感情を抱えていても、この仕事をしていたらヤクザとの関係は断つことができない。丑嶋はラットプルダウンを通して滑皮という存在を反復し、これをしかたのないもの、やむを得ないものとして馴染ませようと無意識に努力している可能性があるのである。

続けてうさぎの動画を見てなにかを回復しているのも印象的である。うさぎという存在は母親の形見であり、無垢な時代の表象でもある。それは、関係性のなかにおける責任とか重圧とかとは縁のない、守られた時代である。ここに回帰しようとすることは、一種の現実逃避でもある。人間の身体はいつまでも緊張し続けることはできないので、そうした時間は誰にでもあるものだが、丑嶋ではそれがうさぎなのだ。しかし、たんに緊張とそれがもたらす疲労から逃れるためにそこにすがるのではなく、解決の難しい問題を抱え、どうやらそれを受容するしかないらしいという事態で彼がうさぎを眺めるのは、なかなかショックなものがある。要するにこの瞬間の丑嶋は思考停止しているのである。丑嶋は、嫌で嫌でたまらないヤクザとの関係をタナトス的に筋トレで反復することで、受容しようとするが、今回はいよいよそれが受容しきれないものになりつつある。それが、彼にうさぎを求めさせたのである。