今週の闇金ウシジマくん/第417話 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第417話/ウシジマくん③

 

 

 

 

 

 

 

 

あの事件から2()年後、台湾に逃げていた丑嶋が東京に戻ってきた。それを、なぜかホテル暮らしの滑皮はいちはやく知り、鳶田が向かうことになる。

丑嶋はいままでの遅れを取り戻そうとするように、ふつうに取り立てを再開する。いないあいだは苅部がやっていたはずだが、ずいぶんなめられていたようだし、どうなってるかわかったものではない。ちゃんと帳簿とかつけてたのかな?カマかけて先月完済したとかいうやつ出てくるかもしれないぞ。

 

 

菊池千代(先週は菊地だったような気がする)は、返せない利息分を相談するということで、丑嶋をじぶんの店らしきところに連れ出した。しかしそれは実は鳶田の罠で、おそらく丑嶋が回収にきそうな債務者と連絡をとっていて、あらわれたら呼ぶようにいってあったのである。

 

 

丑嶋と鳶田が会話をしている描写は、なかったとおもうが、会ったことはある。漁港に呼び出されたとき、鳶田はものすごい丑嶋をにらんでいたし、だいたい、ハブとの件で鳶田は頭に銃弾を受けているのである。ふつうの感覚だと、あの一件は丑嶋のせいで起こったことなのであるから、鳶田があたまの傷について根に持ってても不思議はない。しかしそういうふうにはならない。あくまであの事件は、ケツモチとして責任を果たした結果であって、丑嶋の不祥事はそのままじぶんたちの不祥事でもあり、それに対処するのがケツモチであるという、ある意味では見上げた思考法が採用されているらしい。丑嶋はふつうに挨拶をして、頭大丈夫ですかと訊ねる。あたまおかしいんじゃないか、という意味で鳶田はそれをとるが、もちろん傷のはなしである。それを、鳶田はあっさり「俺は不死身だからな」と流してしまう。「お前のせいでこんなことになってしまった」とはならないばかりか、そんな発想すら浮かんでいる様子がない。丑嶋がハブを殴らなければ、そうでなくても滑皮のいうこときいてヤクザになるとか、土下座して金積んでハブに許しを請うとか、そういうことをすれば、あの緊迫の接触もなかったかもしれないわけで、とすれば鳶田は死にそうな大怪我を負わなくても済んだはずなのだ。これは、雇い主の感覚がいちばん近いかもしれない。バイトの失敗でクレームがきて、客の自宅に菓子折りもって謝りにいくことがあっても、まともな雇い主は「バイトのせい」というふうには考えない。バイトと雇い主では立場が対等ではないからだ。次は同じようなことがおきないよう、厳しく注意するということは当然としても、憎んだりはしないのである。

 

 

鳶田はとりあえず丑嶋を責める。勝手にいなくなって、そのうえで勝手に「ノズラ」でもどってきて、勝手に仕事はじめているのである。「ノズラ」の意味がわからなかったが、「野面」ということだろう。勝手に逃げておいて、そ知らぬ顔して戻ってくるなんて、ずいぶんずうずうしいじゃないかと、そういうことである。

丑嶋は公式に滑皮たちをケツモチとして認めているわけではない。だからすっとぼける。戻ってきたのになぜ報告しないのかといわれてすいませんと謝れば、ほんらいは報告すべき関係だと理解していることになってしまう。だから、なんの報告ですかととぼけるのだ。

とはいえ、逆らえる相手ではない。具体的なことをいわれて、はいかいいえでしかこたえが許されないような状況では、やっかいな相手である。鳶田は丑嶋に顔を貸すようにいう。しかし丑嶋は取り立ての途中である。じぶんは、菊地千代の借金を立て替える人間がいるということでここにやってきたと、それだけ丑嶋はいう。それを受けて、借金を立て替えろということかと、鳶田は解釈し、丑嶋は肯定する。菊地の払う額は5万円。丑嶋はほんとうに、それを手に入れない限りこの場を動かないかもしれない。鳶田にもそんなのは面倒くさいというか、はやく滑皮のところに連れて行きたいという気持ちがあっただろうから、これを払ってしまう。丑嶋からは、立て替えろとはいっていない。顔を貸すに際して、丑嶋は鳶田に、じぶんの仕事を完了させたのである。鳶田としても、無理矢理連れて行かされたというような状況にはしたくないだろうし、あくまで丑嶋の意志で命令にしたがってもらいたいところだろう。丑嶋はその心理を利用して、用事を済ませたかたちになる。

とはいえ、鳶田はけっこう丑嶋を気に入っているんではないかという気もする。丑嶋は終始渋い顔だが、冗談っぽいやりとりもちょこちょこあるのである。

 

 

そして、なぜか丑嶋はいったんひとりになる。これも、丑嶋じしんの意志できてもらわないと困る、という鳶田の心情のあらわれかもしれない。おそらく、少なくとも鳶田においては、暴力やその気配で強制するのではなく、自然と命令が通るような関係が理想像として丑嶋の向こう側に見えているのである。

車のなかで丑嶋は速やかに柄崎に連絡をとる。柄崎は柄崎で、別の場所で取り立てをしている。やはり遅れを取り戻すという感覚は強いのかもしれない。そして、地元に帰っている高田と小百合にも、念のためしらせておくようにもいう。ここでふたりの無事が確認される。高田はうさぎまみれで、小百合はまた変なシャツ着てる。ポ・・・ポエ・・・?カポエイラかな?

柄崎は、じぶんもすぐ社長のところに向かうというが、丑嶋は断る。というか、あの事件から2年しかたっていないのに、戻ってくるばかりか柄崎が丑嶋をひとりで歩かせているというのがじっさいかなり奇妙だった。だがその理由はすぐに判明する。

 

 

丑嶋は次に戌亥に連絡をとる。ほとぼりが冷めた(から戻ってきても大丈夫)と丑嶋に言ったのは、戌亥だったのだ。

戌亥はいつもの調子で、じゃあ実家の例のお好み焼き屋で飲もう、などといっている。戌亥のお母ちゃんは丑嶋のことが大好きなのだ。

そこで、丑嶋は、滑皮にじぶんがもどったことをチクッたのはお前かと、戌亥に訊ねる。そこで、戌亥は2コマほど黙ってから、まさか、勘弁してくれよなどといってごまかす。ここは、微妙な描写である。丑嶋はまだ滑皮に呼び出されているはなしをしていない。まあ、ふつうに考えて、こういうからには、滑皮に見つかって呼び出されているのだろうと推測できるが、「滑皮がどうかしたの?」くらいの反応があっても不思議はないはずである。

とりあえず、戌亥はちがうといっているのだから、ちがうのだろう。丑嶋は疑って悪かったと謝り、また連絡をするという。しかし電話を切ったあとの戌亥の表情は冷たいものである。

 

 

丑嶋のうしろについていた黒い車が鳶田のものらしい。ふたりはホテルに到着する。滑皮の背後にはもうひとつ影があるので、おそらく梶尾もいるのだろう。かくして作中最凶のふたりが二年ぶりに再会したのであった。

 

 

 

 

 

 

つづく。

 

 

 

 

 

 

 

 

まだまだわからないことだらけだが、次週は休載である。たぶん滑皮が、いつものあの説明くさいセリフで明らかにしてくれるとおもうけど、みんな隠し事が多すぎてなにがなにやらさっぱりわからん。その意味でいうと、珍しく丑嶋だけが隠し事をしていない。鳩山も、滑皮一派も、戌亥も、裏になにか発言とは別の意図がありそうな感じはするが、とりあえず丑嶋はいまのところそれがないのだ。「ウシジマくん」たるゆえんだろうか。

鳩山の口調からすると、事件の真相、つまり、ハブ一味と熊倉を殺したのは丑嶋であるということは、どうも鳩山、滑皮には共有されてそうな感じだ。しかし、鳶田にはそのことで丑嶋をゆすろうとかそんなつもりはないように見える。考えられるのは、まず鳶田はそのはなしを知らないということであるが、噂レベルで猪背の耳に入っているくらいだから、最前線でヤクザしてる鳶田がそのはなしを知らないとは考えにくい。とすると、それを知っていながら、滑皮の先輩である熊倉の件について、わだかまりはないということになる。おもえばそれも自然かもしれない。梶尾や鳶田は、ヤクザの親子関係のシステムに組み込まれてはいるし、滑皮に諭されてそれを理解しようとは努めていたはずだが、だからといって熊倉を尊敬するようになったとはとてもおもえないのである。尊敬する担任の先生がいて、その先生が生徒のときに担任だった教師がいまだに健在で、同じ学校に勤めていたとする。担任はその老教師を尊敬しているが、「最近の若いやつは」的なことを授業ほったらかしでぶつぶついっているようなどうにもいやなやつである。そうしたとき、わたしたちは担任の顔を立てるために老教師に表面上丁重な対応をするかもしれないが、果たして担任に感じるような尊敬の念を老教師に感じているだろうか。

そう考えると、鳶田たちは熊倉が消えてくれてうれしいかもしれないし、むしろ丑嶋を徹底的に利用しようという気持ちが強いかもしれない。それが、今回のあの、キレつつもくだけたような、不思議なはなしかたにあらわれているのではないか。

しかし、では滑皮はどう対応するだろう。というのは、滑皮の「ふるまい」というのは、じっさいにどう感じているかということとは無関係だからである。少なくともこれまではそうだった。彼は組織の人間であり、ヤクザ組織というものをそれとして持続させるために、理不尽な熊倉の要求にも黙って耐え、梶尾たちも諌めてきたわけである。内心熊倉のことを、丑嶋みたいに「死なねーかな」とおもっていたとしても、滑皮はそれを「ふるまい」と分離させることができる、ある意味大人である。そこにはおそらく強い野心があったことだろう。たんに、じぶんをヤクザとして一人前にしてくれた「構造」への感謝から、そこに身を捧げていると、そうおもいたい気持ちもあるが、滑皮はそこまで誠実なお人よしではないだろう。どちらかというとそれは、じぶんを納得させるための方便であった可能性もある。じぶんが、組織に属する以上、熊倉を立てるのは構造上自然なことであり、しかたのないことであると、言い聞かせることができれば、目的としてどのような野心があったのかはともかく、じしんの行動をつねに(精神衛生的に)正当化することもできるはずである。

 

 

滑皮はこういう男だから、戌亥ばりに「真実」の見えない感じが強い。このあと滑皮が丑嶋にどんな要求をするのかわからないが、それがどのようなものであっても、滑皮はそれを真実にすることができる。内心熊倉を死んでくれとおもっていることと、熊倉を先輩として立てることが、同時に真実として成り立つ男なのである。というか、滑皮の場合は、野心があるにせよ、たんに感謝の念からそうしているのであるにせよ、そちらのほうが重要なのであって、“じっさいに”熊倉のことをどうおもっていたかは、まったくどうでもいいことなのだ。

 

 

おもえばハブは、そしてハブ組の連中は、どれをとっても単刀直入で、ある意味ひどく真面目だった。滑皮が真面目ではないということではないが、なんというかハブたちと比べると、裏がありすぎて、ぜんぜん油断できないのである。ハブが、じしんの成り立ちにこだわり、それをどのように正当化、また実現していくかということに固執した「主語的」なヤクザ観だったとすれば、滑皮は「述語的」なのである。ハブもまた、ヤクザの本質が暴力であると定義し、それを“行う”ことでしかじぶんを再定義できないとしているわけで、これはいかにも乱暴なわけかたではあるが、ハブが「ほかならぬじぶんが」なにかしらを行うことが重要であるに比べて、滑皮においては、じぶんの主観的な感情の起伏は放棄され、「なにを行うか」が自己を規定するものなのである。

滑皮やその一派は、いくつもの行動が、述語として集まることで、主語のある場所をふちどり、その場所をおぼろげに指定していく。これはたぶん、組織に、つまり人間の関係性のなかで生きていくことを重視した結果だろう。当たり前だけど、組織でなにか大きな仕事をするとき、その部分であるにすぎない成員の個人的事情は、そのなにごとかをなすために設計されたプランには想定されていない。大勢の人間がかかわっていればいるだけ、プランのほうから成員のに歩み寄ることは難しい、だから成員は、じぶんから、望まれているポジションの鋳型に身体を合わせることになる。朝が弱いからといって、その人物だけ昼出勤でいいことにはならない、ということである。そうした成員としての「わたし」は、組織の文脈における述語的に形成されていく。朝が弱いのをたゆまぬ努力で克服しても、組織の文脈においてはなにも起こっていないのである(遅刻が減ったりということであればまた別だが)

鳶田は丑嶋を見つけて滑皮のもとに連れていったが、最初に見たように、これはあくまで(表面上は)丑嶋の意志でそうなっている。丑嶋が、鳶田の誘いに応じたかたちになっているのだ。それぞれ車に乗っているのだから当たり前といえばそうだが、あの状況で丑嶋が逃げないとも限らないわけで、あの描写も示唆的である。強制的にしないために、鳶田は金まで払っているのである。ここには深い意味はないだろうが、鳶田のなかにすでに滑皮的ありようが定着していることを見て取ってもいいかもしれない。これは要するに、滑皮が熊倉の件について「昔はかっこよかった」と梶尾を諭したのを同じことではないか。「オレも納得はいかないが熊倉を立てる、だからお前らも納得しろ」とは、滑皮はいわない。あくまで事実を事実として告げ、梶尾たちにみずからの意志でそうさせるのである。組織の文脈でいえば、とるべき「ふるまい」は決まっている。親を立てることが典型だし、上からの命令というのがそれの実現したかたちだ。しかしそれに与するにあたっては、納得が必要なのである。組織において述語的にふるまい、それにより自己規定するためには、それが正当なものであるということに同意しなければならないのである。そう考えると、述語的動作も、最初は主語的な目的意識があって成立しているので、この概念は今回きりの思いつきになるかも。

 

 

さて戌亥だが、やはり表面には少しも浮かび上がることのなかった裏側があるようだ。彼が滑皮とつながっているかのような描写は以前にもあった。しかし、この件についての戌亥の感想はなく、じっさいのところ戌亥がどういうつもりで丑嶋と仲良くしているのかはわからなかったのである。丑嶋も鋭い男だし、戌亥が滑皮と関係があることは悟っているのではないかとおもわれる。それを承知でつきあっていると。前回書いたように、戌亥は“仕事として”丑嶋を売ることもあるかもしれないが、じぶんのことも“仕事として”守ってくれるかもしれない。だが、今回のことを読むと、完全に丑嶋たちをだまして東京にもどしているわけである。こうなると、これまでの丑嶋への親しみも、どこまでが本当だったのかわからなくなってくる。戌亥もまた述語的な人間なのだろうか。