第357話/ヤクザくん④
勤務を終えて飲んでいたところ急に滑皮に呼び出され、早朝までかかって千葉の港にやってきた丑嶋。用事については特にいわれず、朝飯でも食おうやということだったが、滑皮はほんとうに朝飯を用意して待っていた。といってもコンビニ弁当だが。
愛沢の非常に印象的な表現のおかげで、なにかあの地元のワルモノたちにおける二大巨頭という感じの強いふたりだが、同年代ではなく、滑皮のほうが年上である。丑嶋たちが中学生のころ、すでに彼はモンスター連合の総長だったわけだから。まあ、小学生で総長だったとしたら年下になるけど。
加えて滑皮の組は実質カウカウのケツモチなので、表面的にでも丑嶋は低姿勢を崩すわけにはいかない。すぐそばでは梶尾と鳶田が微動だにせずに丑嶋をにらみつけている。
弁当とは別に用意されていたコロッケにソースがついていないということで、あわてた鳶田がすぐ言ってくるというが、滑皮はソースなしのほうを丑嶋にわたす。丑嶋が到着する時間を計っていたわけではないだろうし、すごい冷めてるだろうなこのコロッケ。育ちの悪さを示したものか、滑皮はいつものあの汚い食べ方でサンドイッチに食らいつく。
滑皮がはなしをはじめる。飯匙倩の件である。ハブのことについてはすでに元ホストくんで、熊倉が鼓舞羅に殴られたあの会合のときに話しているが、丑嶋はとぼける。だが、丑嶋がハブをぶっ飛ばしてしまったことは業界では有名なはなしだそうである。意外なほど冷静に、ふつうに会話を続ける滑皮は、お前殺されるぞ、という。素人が筋者を殴っちゃだめだろうと。ヤクザはメンツで食べている。ヤクザであるという表示によってシノギを成立させている。それが、素人にあっさり殴られるようでは成り立たない。成り立たなければ生きていけない。つまりハブは、生きていくために、丑嶋を殺すという身振りによってあの一発を取り消さなければならない。
そこで、滑皮は意外なことをもちかける。猪背組にこいよというのである。そうすれば、ハブの属する薮蛇組になんか文句はいわせないと。
丑嶋ならいつそういうはなしがきても不思議はない。丑嶋としてもとっくにそういうことにかんしては腹を決めているのだろう。彼はあっさり「自分のケツは自分で拭きます」という。
そこで滑皮がキレる。げんに拭けてないからじぶんらが出張ってるんじゃないかと。まあ、ハブが殺す殺さないというはなしは噂レベルであって、まだなにか問題が出てきているわけではないのだから、拭くも拭かないもないのだが、逆らってもしかたない、丑嶋は淀みなく「すいません」と応える。
その件についてはまた後日、今日呼び出した用事は別にある。じっさいに丑嶋に来てもらわないと困ることだ。2、3日預かってほしいものがあるのだと。ヤクザからの預かりものなどまず合法のものではない。そういう危険はおかしたくない。勘弁してくださいというが、滑皮は、いまの丑嶋の状況ならじぶんに貸しをつくっておいたほうが得策だぞとかってにはなしをすすめる。しかし滑皮がこんなに会話のキャッチボールがちゃんとできるやつだとはおもわなかったな。ヤクザ社会にもまれていろいろ柔軟になったのかもしれない。丑嶋の家はセキュリティーしっかりしてそうだし、家にうさぎとベンチプレスしかないというのなら、置く場所はあるはずだと、ヤクザ独特のことば尻をとらえた話運びでなんとなく預からせる方向に滑皮はすすむ。近くにあった倉庫のなかには箱があり、それをもって4人は船に乗る。船は苦手だということでふたりで氷を捨てさせられた梶尾と鳶田が訝しむ。
沖合いに出たところで箱を開けると、小分けの袋がいくつも入っており、少なくともそのひとつは拳銃だった。滑皮はそのリボルバーを手にとり、鳶田に弾をわたすようにいう。なんで鳶田が弾だけバラでもってるのかわからないが(あるいは箱のなかに入ってるのをとれということだったのかも)、滑皮が小指のない手で5発の数字を示したので、迷いつつも鳶田は4発渡す。指で示すよりくちでいったほうがずっと楽だとおもうが、鳶田をからかっているようにも感じられない。
滑皮の用事というのは、このチャカを預かってくれというものである。丑嶋としてはそんなものはもちろん預かれない。たんに隠すだけなら以前していたように墓に隠すとか、いろいろ方法があるが、2、3日というのはいかにもあやしい。なにか事情があるから、いまだけ、手元においておけないわけである。
滑川は弾をこめながら小指がないことについてはなしを向ける。滑皮が小指を失ったのは、熊倉が鼓舞羅に襲われたからだ。あのとき、熊倉の電話が鳴ったことで、それをたよりに鼓舞羅は、暗闇のなか熊倉を襲ったはずである。だから電話の相手がこの件について重要参考人になるにちがいない。しかし番号を調べたら「トバシ」の携帯だったという。あのとき柄崎は184をつけていたので、表示は非通知設定になっていたはずだが、番号そのものはどうやって調べたんだろう。「トバシ」というのをググってみると、他人のものや架空の名義をつかって契約したもので、カウカウでいうと要するに債務者の名義をつかっているもののことだろう。なんらかのルートをつかって非通知設定の番号を調べられるくらいなら、その名義人にまでたどりつくこともできるのかもしれない。しかし滑皮は、その携帯の持ち主まで探り当てたようなことをいう。丑嶋のよく知ってる人間だと。しかし丑嶋としては、そこまではわかるはずがないということのようだ。たんにカウカウの顧客のものをつかってるとは限らないし、仮にそうだとしても証拠にはならないということだろうか。ともかく、丑嶋はそれを「カマをかけている」というふうに読み取る。じゅうぶんありえることだ。滑皮なら、ハブの配下のものたちが推測したように、なんかへんだと気づいても不思議ではない。そして丑嶋はあの現場にいたのだから、電話をかけることはできない。とすれば「よく知る人間」がかけたはずだ。
4発の弾をこめたリボルバーをまわし、預かってくれないならロシアンルーレットだと滑皮はいう。6分の4の確率であたまをぶちぬくと。脅しついでに、氷について滑皮があっさり種明かし。ゴミ処理をやっている企業舎弟のちからをつかって、死体をマイクロ波の焼却炉で焼くと灰だけになってしまうのだという。それを水と混ぜて凍らせて、海に落とす。重たい氷はそのまま海底にまで落ちていき、やがて溶けて泥に混ざり、完全に消えてなくなる。そうなりたくはないだろう、だからチャカを預かれと、そういうはなしなのであった。
つづく。
4人のヤクザものらしき男が雀荘でマージャンをしていて、ひとりは猪背組長と呼ばれている。猪背組の組長は鳩山大成だったはずだが、彼なのだろうか。ちょっと振り向いている男がそうだとしたら、ずいぶん顔変わったなあ・・・。組長は、熊倉と連絡がとれないというはなしを誰かとしている。この流れでこういうはなしなのだから、処分された死体が熊倉である可能性がかなり高まってきた。とすると、冒頭死んでいたヤクザは熊倉なのだろうか。たしかに体型は近いものがあるが、見たところ射殺ではなく、絞め殺されていた。滑皮が拳銃を預かってくれというのはこの件とは無関係なのかもしれない。愛沢のはなしでは、ふつう、発砲された銃というのは、処分されるか、ダイヤモンドやすりで旋く条痕を変えてそのまま保持されるかするそうだし、それも「2、3日」預かってもらうというのはちょっと変だ。なにか丑嶋をはめるような意図があるのかもしれない。
それにしても滑皮からの提案は意外だった。まあヤクザなので、どんな意図があるのかわかったものではないが、ともかくそういう提案がなされた。あそこで丑嶋が「はい、明日からお世話になります」ということも可能だったわけである。
滑皮の考えていることは現時点ではまるでわからない。ケツモチとして、ハブとはもめたくない、というかヤクザどうしでもめたくはない、だから丑嶋を組に引き入れて、ヤクザ的交渉で解決したいと、案外そんな理由かもしれないが、よくわからない。というか、『暴力団』を応急的に読んではみたけれど、基本的にヤクザ的思考というものがまだぜんぜんつかめていない。ハブについて、めんどくさいのか、そうでもないのか、それとも丑嶋に貸しをつくる機会だとでもとらえているのか、そういうこともまったくわからない。これは、ヤクザくんを批評的に読み解いていくのは、僕の力量ではたいへんそうだなあ。
ともあれ、鼓舞羅の件を持ち出して、はっきりした証拠はあるいはなくとも、それを匂わせはしたわけだから、滑皮としてもたんに便利屋として丑嶋をとらえているわけではなさそうである。なにか目的があるのだ。そして、それはおそらく、冒頭の、熊倉のものとおもわれる死体と関係がある。ヤンキーくんのころ、組長に気に入られるために滑皮は誕生日に高級車まで用意したのだが、組長はあっさりそれを、滑皮の目の前でキャバ嬢にあげてしまった。ヤクザとして大成しようという野心の強い滑皮だが、上手く出世できていない可能性もある。組長はそんなだし、熊倉にもよく殴られていた。もし仮に滑皮が熊倉を殺したのだとして、それでどうなるのか、出世できるのかというのはよくわからないが、ありそうなはなしである。そして、もしかするとこれはマサルの丑嶋越えと呼応するものかもしれない。これまでずっと、作中において滑皮と丑嶋は鏡だとおもってきたが、あるいはマサルがそうなのかもしれないのだ。もし滑皮が、じぶんよりうえの先輩ヤクザを殺してのしあがろうとしているとしたら、それはなにを意味するだろう。ヤクザ社会では擬似的に親子や兄弟の関係を構築する。しかしこれは、兄弟杯などを通して契りを結び、親子同然の関係を結んでいこうと、そういうことだけではないようにおもえる。柳田国男を論じた『遊動論』に柄谷行人は書いている。
「今も、親分・子分という言い方が残っているが、それは労働組織を擬似家族的にするものであるかに見える。しかし、実はその逆である。オヤとコは本来、親分と子分の意味であった。父や母は、ウミノオヤ、つまりオヤの一種である。父母をオヤと呼ぶのは、家を労働組織と見なすことである。ゆえに、家は血縁的であるよりも、労働組織である」151頁
くわしいことは省くが(僕もよく理解していない)、日本の親族組織のありかたは、父系でも母系でもなく双系だった。母系でも父系でも、単系制の社会であったなら、その血筋をもとにして集団がつくられていくが、それが双系であるとき、ひとびとは「場」を重視する。それが「家」だったというおはなしである。それが日本に養子縁組の習慣をもたらしたのであり、たとえば中国では原則的に血縁者しか家族の成員にはなれないのだという。これだけでわたしたちはすぐさま「会社人間」というようなことばを思い起こすかもしれない。じっさい、この本でもその直後に中根千枝の名著『タテ社会の人間関係』が言及されている。日本では個人の技術や能力よりも、そのものが属している家や学校や会社などの「場」が重視され、そこからタテ社会が生まれる。それもまた双系制に由来する日本人的な思考なのである。
この仮説が柳田国男のものなのか、それともそれを踏まえた柄谷行人のものなのか、いま拾い読みしただけではよくわからないが、いずれにしても興味深いはなしだ。最近はヤクザも、なにかやらかしてしまったときのことを考えて、構成員たちにも名乗るのをひかえるように指示していたりするらしいのだが、ちょっと前まではそうではなかったわけである。ふつうに、ヤクザの事務所が、堂々と街中にあったわけである。それが西洋の人間などからすると異様なわけである。マフィアなどは原則的に非公認の組織で、存在することじたいが違法なのに、ヤクザは堂々と名乗り、看板、つまり「場」の名前で仕事をして、ひとびとも彼らのふるまいなどからすぐにそれと悟り、なかば認めてしまう。ヤクザをとりしまる法律からして、なぜか存在じたいを違法とはしないのである。それもまた、双系制云々についてはとりあえずおいたとして、属する「場」を重視する日本的思考法にかかわってくるかもしれない。どこの組に属するのかということがまず重要なのであり、カタギのものとしてもそういう思考法で日々生きているので、そのことについてそれほど違和感を覚えないのである。
そうしてみると、親族構造というレベルで組織を見たときに、仮に滑皮が熊倉や鳩山を殺すようなことがあれば、マサルが自己否定を実現するために丑嶋を潰そうとするのと同様、それはまぎれもない親殺しなのである。そう考えると、殺人じたいが大罪であるのはまちがいないとしても、それが親であるかどうかというのは、関係性の距離の問題であることになってくる。関係が直接的であるほど、相手はわたしじしんの存在にかかわってくる。丑嶋がいなければいまのマサルも存在していない。だから、マサルの丑嶋を殺したいという願望は、現状のじぶんを否定したいという無意識の願望と等価なのだ。そして、一見そうはおもえないが、もし滑皮が熊倉に手をかけるようなことがあるとすれば、それもまた同様である。ただ、それは自己否定というよりは、「『場』に属することで自己表現するわたしのありかたの否定」である。熊倉というのは、要するに「場」の表象である。それを、滑皮は個人の力量で乗り越えようとしているわけである。これが、組織頼みのヤクザというありようの崩壊を示すものか、あるいは個人主義的な現代人のヤクザ的あらわれと見るべきか、まだなんともいいがたいが、少なくともおだやかなものではない。そして、この発想じたいは、なるべく少ない人数の信頼できる仲間と動き回り、組織にはたよらない丑嶋のありかたとも似ている。
また先走ってしまった。まだあの死体が熊倉と決まったわけではないし、滑皮の考えていることもはっきりしないのに書きすぎてしまった。そうなるだろうなとはおもっていたけど、これはほんとにおもしろくなってきたぞ。しかしこのタイミングで3号休載。再開は12月8日。うーん待てない。
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