蘭寿とむ主演『ifi』 | すっぴんマスター

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公式サイト




主演:蘭寿とむ


作・演出:小林香

音楽:スコット・アラン、扇谷研人

ifi(イフアイ)

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ダンス&ソング・エンターテインメントショー。
一つのストーリーから生まれる二つの結末。
運命の選択を迫られたとき、
あなたが選ぶ道がもし二つあったとしたら?



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蘭寿とむ宝塚退団後初主演の『ifi』を観に青山劇場に行ってきたぞ!9月19日14時開演。




とむさんはほんとうにエネルギーのかたまりみたいなひとである。というのは、退団してから次の仕事に移るまでの時間のことである。退団は今年の5月のことなのだ。生活があるとはいっても、トップスターというのは責任重大な仕事である、そこから解き放たれて、とりあえず一息つこうとなっても不思議はないだろう。だいたいとむさんは男役なのである。十何年も男()としてふるまい、プライベートも少なくともファンの目の届くところでは同様のスタイルを通して、ほとんどそのことだけを考えて生きてきたはずなのである。それは一ヶ月やそこらで抜けるようなものではない。それと関係あるのかどうかわからないが、近年まれにみるダンディズムを体現していた大空祐飛は退団してから1年くらい消息がわからなかった。いまテレビに出てるようなひとでも、ふとしたときに、たぶん自覚はないんだろうけど、男役だったときの癖が出てしまっていることもある。スカートはいてるのに足を開いてしまう、女性と歩いていると男になってしまう、などというのは、癖を抜くというよりは、逆に「座るときに足をとじる」という癖を新たに習得しなければ除くことのできないものなのだ。だが、とむさんはちがった。退団して、それを悲しむ間もなく、すぐさま次の舞台の報が入ってきたのである。このひとはほんとに休む気がないんだなと、ギフトとして授かったスターとしての素質を、退蔵することなくすべて使い切っていこうとしているのだなと、在団中からのことだがまたひどく感心してしまった。

とはいえ、それもまた、とむさんの意志というよりは、資質が呼び込んだ状況なのかもしれない。本作はダンスがメインの作品である。演出は小林香というかたで、共演者には世界のケント・モリや安室奈美恵の振り付けなんかをしている大村俊介(ここではSHUN名義)の名前がある。ケント・モリは退団公演となったTAKARAZUKA夢眩で、大村俊介はオーシャンズ11でいっしょに仕事をしている。もちろん、企画の段階で彼らがかかわっているということではないとおもうが、そうでなくても、あんなダンサーだったのだから、退団後の仕事にかんしては関係者は目を光らせていたことだろう。今回のような、ほとんど踊っているような作品なら、いってしまえば、男役のまんまでも大して問題ないんじゃないか。



そういうわけで、僕としても久々の、宝塚以外の舞台作品である。ウエストサイドストーリー以来かな。軽くストーリーを予習しただけで、特に出演者については調べていかなかったのだが・・・。これは、ほんとうに、ものすごいメンバーだった。とむさんはもちろん宝塚歌劇団のなかではトップレベルのダンサーだったし、外部にも通用するとはおもっていたけど、まさかこんな世界レベルにすごいひとたちが集まるとは。宝塚歌劇団というのは、いってみれば「学校」である。下級生は、「見込み」も含めてさまざまな場面を任され、うたい、踊り、芝居をする。そのことがどれほど不思議なシステムで、またそれがどれほど劇団の生徒さんたちに多くのチャンスを与えているのか、今回痛感しないわけにはいかなかった。それが悪いということではない。宝塚には宝塚の文脈があるので、そのうえで通用するのであれば、とりたてて騒ぐほどのことでもないのだが、そのシステムがもたらしている多くの恩恵については、ときどき思い返してみてもいいだろう。とりわけ、100周年を経験して、多くの新規ファンが開拓されているであろう時期である。システムそのものはこれでいい。こういう機能が、これほどの規模できちんと稼動するというのは、むしろすばらしいことである。しかし、新規の観劇をするものというのは、当然、新しい種類の価値観を抱えている可能性が高いのである。新規に、まっさらな状態でそこに触れたものは、長い間見ているものが当然のように感じ取っているコノテーションを考慮しない。もし、ファンの様子などからそのコノテーションを彼が感じ取ってしまったなら、それはむしろ生臭い閉鎖性へとつながっていくだろう。これは単純化したビジネスのおはなしである。新規ファンを獲得していくためには、どうしても、どういう文脈かということより、個々人の価値観を超えて伝わってくるパンチ力が必要になってくるのである。




いちおうストーリーのあるはなしなのだが、骨組みを抽出しようとするとかなり難しい作品だった。いろいろ細かいところが曖昧なのはいつものことだが、観劇後相方と話し合ってみて、じぶんがかなり多くのセリフや演出を見落としていることに気づかないわけにはいかなかった。見ていて謎が残るぶぶんもかなりあるのだけど、そういうわけだから、僕にはそれを解くことができない。よくそれではなしを理解できたな、というくらい見落としているのだけど、おそろしいことに、それでじゅうぶん、見ている最中は納得していたし、感動もしたのである。本作はダンス・ミュージカルであり、それ以上でもそれ以下でもない。こういうストーリーがあって、ここでこういって、こうなって・・・という骨組みを抽出することは、できなくはないけど、そうすると、当たり前だけど、もともとのダンス・ミュージカルは消えてなくなる。そういう当たり前のことを改めて実感する作品なのである。蘭寿とむがいて、ケント・モリがいて、彼らが踊ることではじめてそこに作品があったことが判明するような、そういう、ほかの存在のしかたができない脚本なのである。とにかくもういちど見たい、それがだめならDVD化してくれとおもうばかりだが・・・どうなんだろう、こういうのって映像化されるのかな・・・。



そして、もっとも贅沢なのは、メンバーの豊かさが、ダンス、つまり本作における語彙を考えられる以上に贅沢にしているということである。厳密な区別は僕にはわからないが、いま一般に西洋音楽にのせて踊られるほとんどすべてのジャンルが投入されているという印象がある。そういうなかで際立つのはやはりケント・モリ、そして彼にくっついて離れないストーリーボードPというひとのダンスだ。無知な僕は知らなかったのだが、夢眩に振り付けで参加されてから調べてみてわかったことで、ケント・モリさんというのは「マジですごいひと」なのである。マドンナやニーヨのバックダンサーをされているかたで、マイケル・ジャクソンの「THIS IS IT」のオーディションにも選ばれたそうである。マドンナにかんしてはPVに出演したりなんかもして、マドンナいわく、「踊る姿はまるでマイケル・ジャクソン」ということなのである。

まあこういうことは僕が書かなくてもたぶんみんな知ってるだろうし、ググればわかることなんだけど、これが、「THIS or THAT」という食料雑貨店の一角にたたずんで占いをしている。見るからにあやしい人物で、ウシジマくんに出てきたG10みたいなうさんくさいオーラが出まくりなのだが、それが、作品全体で見たときある効果を生んでいる。ケント・モリがどういう経緯でこの作品に参加することになったのかはわからないが、ある種の異質感を求めて演出家はここにケント・モリをおいたはずである。彼の横につねにまとわりついて(実際に「まとわりついて」いる)、セリフもなしに不気味に漂うのはストーリーボードPという黒人の青年である。ダンスについては不勉強でぜんぜん知らないが、ロボットダンスというのかなんというのか、ちょっと考えられないような無重量的な動きをくりかえして、ケント・モリや、彼に相談しにやってきた人物にタコのようにからみつく。そうした動きをとりいれているダンスも別の箇所で見られたが、原則的にこの異質感にかんしては彼らふたりが担当している。つまり、たとえばバレエとかは、人間の肉体の量的拡大であるぶぶんがかなりある。主に自重を用いたトレーニング動画を筋トレ中によく見るのだが、それも超人的なレベルになってくると、どことなくダンスに近づいてくるものがある。なにかそれと似たものを、たとえば今回でいうとアレクセイ・ジェロニモというひとやライアン・カールソンといったひとから感じたのである。なにかこう、身体を運用する過程で起こりうることを最大にまで拡張したような動き。ところが、ケント・モリやストーリーボードPの動きというのは、端的に「人間の動きではない」のである。



そのことから、あの「This or That」っていう店はなんなのか。夢と現実のはざまみたいな雰囲気を出しつつも店をしめるとかしめないとか現実的なはなしも多くてよくわからないし、だいたい、占い師のケントはなんなのか、あれは店の営業の一環としてやっているのか・・・等々浮かぶ疑問が解決できるかと最初はおもった。つまり、彼らは、占いをしたいとおもったひと、当初とむさん演じるユーリが否定していた悩みを抱える人々にしか見えないのではないか・・・ということを相方と話し合ったのだが、でもよくよく考えてみるとふつうに店のドアから入ってきた気がする、そしてドアの鈴も鳴っていて、周囲のひとたちも挨拶していた気がする・・・という具合に曖昧になり、やはりこの手の分析はできそうもない。だからとにかく、ふたりの異質感についてだけを記しておくことにしよう。



ただ、もしかすると、こういう「よくわからない」という感覚は、最初に書いたように、本作が「ダンス・ミュージカル」であるがゆえかもしれない。別の方法、ここでいうと「言葉」による翻訳を、そもそも本作は想定していないのである。だから、よくわからなくても感動できる。

夢現というのも、現(うつつ)というのはひとことでいえば言語的世界のことだ。当初のユーリ(とむさん)はこの世界にいる。だから、占いなんかに依存するひとの気持ちがわからない。しかし、いろいろなことがあって恋人を失い、世界がそうはっきりと自存したものに見えなくなってきたとき、占いが、つまり「ケント」が視界に入ってくる。以降のifiの世界が説明が難しいものであるのも、当然なのである。説明できないから、うつつにとどまることができないから、ユーリは占いに向かうことになったのだから。




ストーリーについては公式サイト などを見てもらうとして、とにかくとむさんの女役である。おもったより自然だなというのが率直な感想だ。もともと美人だし、鍛え抜かれたからだの持ち主である。ここまでダンスダンスと言い募っておいてアレだが、おもったよりとむさんが「すごく踊ってる」という印象は弱い。それより年中うたっている感じがした。とむさんというのはちょっと変わったうたいかたをするかたである。その感覚もファントムからずっと見てきて、慣れてしまい、なにについて変わっているとおもっていたのかよくわからなくなってきてしまっているのだが、ひとことでいって、明日海りおが弦楽器的(アナログ)なら、とむさんは鍵盤楽器的(デジタル)なのである。精度でいえば、かなり精確にうたいあげるかただ。歌詞も明瞭で一発で聞き取れるし、声量も申し分ない。たぶん、その精密さが、ちょっと最初のころは妙に聞こえたのかもしれない。くりかえすようにいまはもう慣れちゃってぜんぜんそうおもえないのだけど。

そのうたにかんしては、まあじっさい比べてみるとちがうんだけど、女役になってみてもあんまり変わってない感じがした。そして、歌唱力にかんしてはさらにパワーアップしている。

がばっと谷間見せてミニスカートを履くわけでもあるまいし、女役の衣装にかんしても、わりとすんなり受けとめることができた。なんでもないことのようだけど、これはけっこうすごいことなのである・・・。いまでもオレ久世星佳の女姿に納得できないもの・・・。




本編は実はAパターンとBパターンにわかれていて、僕が見たのはBパターンである。公演日程の前半でAパターンが上演され、つい先日Bパターンに入ったところらしい。これは、演じるかたや細部のみならず、結末まで変わってしまうという趣向らしい。細かな説明は煩雑になるので避けるが、作中、幾度もユーリや登場人物は「選択」をすることになる。そのこたえが、パターンによって異なるのである。で、たぶんおはなしを言葉に抽出するのが困難な原因はこういうところにもあるっぽい。そりゃないっすよーという感じもするが、まあ、くりかえすように、本編は本編で成立しているのだし、パターンがあるのも、「くりかえし見てください」という意図と抽象できないまま「ダンス・ミュージカルとして成立させたい」という動機が共存したものではないかとおもわれる。Aパターンのオチがどのようなものだったか気になるが・・・、なかなか調べても出てこないな。




その他役者さんについてもいろいろ書きたいことがあったのだけど、長くなってきたのでこのへんで。宝塚において、トップとして主演を務めるということは、退団へのカウントダウンがはじまるということであった。とむさんはそれから解放されたわけで、ファンとしてもこれからずっとつきあっていけるんだというぶぶんはあるかもしれない(今回の女役をみることで「もう男役はほんとうに見れないんだ」ということが現実としてつきつけられてしまい、とても見ていられない・・・という気持ちもよくわかるが)。すばらしいメンバーに恵まれ、たぶん日本人のダンサーとしてはこれ以上ないほどの経験を、本作でされることだろう。これからさきのとむさんの活躍もほんとうに楽しみです。






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