筋トレとバイオハザードしかしていないような日が続いている。ブログもあまり書けていなくて、なまってしまいそうなので、とりとめのないことをつらつらと書いてみる。
特別忙しいということはないのだが、知的な作業にはあまり時間をつかっていなくて、「いまのままだとただのムキムキのおっさんだよ」みたいなことを相方にいわれるしまつである(もう少し優しい言い方だったとおもうが)。
宝塚も、いま歌劇でスケジュールを確認して驚いたのだが、4月の花組まで観劇の予定がない。これはちょっとあきすぎである。しかし、その公演は我らが蘭寿とむの退団公演なので、はやくきてもらっても困るのだが。
宝塚を観ることで知的に活性化されるというわけではないが、というか観劇の眼目はそこではないのだが、やはり毎日職場と家の往復しかしていないので、電車に乗ってどこかに出かけるというだけでもだいぶ刺激になる。最近休みの日が変わったので、観劇のあと急いで戻って仕事、というパターンも、これからは減ってくるとおもわれる。また宝塚そのものも、ある程度の緊張を強いるもので、たとえば、てきとうになりがちだった身だしなみとかもそれを機会に整えることになるし、宝塚のグッズ専門店のキャトルレーヴに行けば、いくら相方がそばにいるとはいえ、いまでも男性は珍しく、ポストカードなんかを眺めるのにも他人の目線が気になってしまうし、ひとことでいって大湖せしるの写真を手に取っているところを見られたくはないのである。そうして、その横の彩凪翔の写真を手に取るわけである。いや、彩凪翔も、僕は大好きなのだが、客観的に見てやはり娘役を好きになる可能性が高いことは否めない。若いころはもっとその確率が高かったようにおもう。それはそれで個人の楽しみかただからべつに気にすることはないともおもうけど、「ああ、けっきょく娘役ファンなのね」みたいなふうにおもわれるのはかなり癪である。これは、じっさいに耳にしたことばである。いつだったか、花組公演の出待ちをしていたときだった。ほとんど出待ちの経験がない我々は、柱やなんかの陰に隠れてこっそり見ている感じだったのだが、次第になれてきて、写真なんかもみんな撮っているのをみて、ほとんど認識できないような遠くから、みつるさんなんかを気まぐれに撮っていた。やがて、我々の前に蘭乃はながやってきた。ファンクラブのかたたちがそこに待機していたわけである。「出待ち」というとなにか異様な響きだが、宝塚ファン、特にファンクラブに属するようなかたたちにはごくごく日常的なことで、間近でスターさんを見ることのできる、ファンになれば誰もが興味をもつにちがいないイカした風習である。スターさんたちもそれを踏まえて行動される。そういう日常的な環境のなか、かなり近い距離に、信じられないくらい細くて美しい蘭乃はながあらわれたので、それはもう、これはチャンスだと、ぐいっと前に出て、といいつつも遠慮した微妙な距離に近づいたのである。そこへ、なにやら巨大なカメラを備えた別の男性があらわれ、僕の真横で撮影を開始されたのである。つまり、男性がふたり、ぐいっと前に出る姿勢で、蘭乃はなを撮影していたわけである。その光景を見て、そばにいた誰かが「ほら、男の人が好きなんだ(男の人に好まれるんだ)」みたいなことをつぶやいたのである。たしかに、傍目には、そういうふうに見えたとしてもしかたなかったとおもう。たぶん、道の逆側から同様の光景を目撃したなら、「けっきょく娘役かよ」と僕じしんおもったにちがいないのである。男性が「けっきょく娘役」だったとしても、くりかえすように責められる筋合いはない。だってあんなにかわいくて、美しくて、透明な女性たちなのだから。ただ、それは、たとえばジャズを聴いていて、メロディの美しさだとか、スタンダードが流れたときに「これ知ってる」といってみたりだとか、そういう聴きかたに近いものがある。それでもぜんぜんかまわないわけである。しかし、ジャズには、もう少し、深みというものがある。というか、じっさいに耳にしてみて、それを感じていないはずはない。それはおそらく、たいていのばあい、難解さとか違和感に翻訳されているものであり、そこにとどまるときに、そうしたものは無意識に見落とされているのである。物事の本質に近づこうとおもったら、まずはそうした難解さや違和感に立ち止まってみることである。なにが見落とされているのか検査してみることである。そうしたことをくりかえすうちに、即興演奏の緊張感や、インタープレイの身体性のようなものがおぼろげに見えてくる。どうせジャズを聴くならそこまで踏み込んだほうがおもしろいんではないかと、そういう感想を、僕がというか、熟練のジャズファンが語っているのを目にすることは多い。それと同じで、宝塚を観るなら、やっぱり男役を好きになったほうが、見えてくるものも多いし、転じてその娘役がいかに「ふつうの女性」と異なった、彫琢された後天的な「女性」であるのかということも明らかになってくる。
というのは原理的なはなしで、自身を振り返っても、娘役を好きになることは多いようである(特になぜか月組の娘役に弱い)。それはしかたない。けれども、じっさいにそうおもわれるのはかなり心外なのである。
なんのはなしをしていたのだったか、そう、そのようなわけで、キャトルレーヴをうろつくのはいまでもかなり緊張する。なるべく相方と接近して「連れですよ」というアピールをしつつも、ぜんぜんファンではなくむりやりつれて来られてる、というふうにも見られたくないという複雑な男心である。まれにひとりで来ている男性も見かけるが(そして誰の写真を見ているか遠くから確認する)、いずれにしてもごく少数である。劇場に行ってもそれはおなじなのだが、どちらかというとその手の緊張はキャトルレーヴのほうが大きい。露骨に誰が好きなのかわかってしまうからだろう。子どものころや蒼乃夕妃がいたころはともかく、いまは特に誰かの写真を集めたりはしていないが、それでも見たいものは手にとって見たいし、キャトルレーヴの盛況をうらみもするのである。
4月まで宝塚がないとなると、たぶんキャトルレーヴにもいかないとおもうので、その意味で、気をつけていないとかなりたるんだ毎日になってしまいそうである。読書もいまいちはかどっていないので、知的な劣化が心配である。僕のばあいは文章を書くときにもっともあたまがよく働くので、ブログを書けばいいのだが、感想を書く本を読めていないのだからはなしにならない。やっぱり、他責的ないいかたになるが、いまやっているバイオハザードに「レベル上げ」という概念があるのがいけないのである。この作品の「レイドモード」は、これまでのシリーズのマーセナリーズに近いミニゲームの連続だが、これがかつてない難しさで、それだけに達成感がすごい。ゲームを終えたあとは、YOUTUBEで動画などをあさって、冗談抜きで超人的なプレイ技術を何十分も眺めて時間をつぶすという念の入りようである。これはいけない。とにかく、いちばんいいのは、とっととクリアしてしまって、飽きてしまうことであるが、この難しさと僕の腕では、いったいいつになるのやら見当もつかない。前触れなくいきなりディスクが粉々に砕けるとかしないとほんとうにまずい。
そういうわけで、闇金ウシジマくんのドラマもまだ見ていない。第一話は録画し損ねたのだが、それ以降はまとめてみて、どこかのタイミングで感想を書きたい。
そのいっぽうで筋トレはちゃんとはかどっているというのは、いまの僕の傾向を示しているようでおもしろい。間食を増やし、プロテインを摂取するようにしてから、まだはっきり断言はできないが、体重が増えている感じがある。これまで62キロから64キロの間をさまよっていたものが、65キロをしばらくキープしているのである。もちろんただ太っただけの可能性もあるが、見た目にそれほど変化はないので、希望をもってもよいのではないかとおもう。目標があるためか筋トレの頻度もあがっているし、雑誌や動画などをまねていろいろ変化も加えている。最近やってみたことといえば、相方を載せた腕立て伏せのバージョンである。これまでは腰のあたりに足をたたんで座ってもらっていたのだが、ある動画で背中合わせにやっているのを見て試してみたら、これがすごい胸に効くのである。腰の位置に座ると、当然体幹を維持するためにかなりコアをつかうことになる。僕としては、複合的な効果も得られてよい、くらいに考えていたが、背中合わせにすると、このとき相方の足は地面についているのだが、沈みこむにしたがって重さが増していき、最深部では胸にすべての負荷がかかってくる感触があるのである。たしかに胸に効かせようとおもったら肩甲骨のあたりに座ってもらう、あるいは立ってもらうのがいいんだろうなとは考えていたが、なにしろ肩甲骨がぐりぐり動くのであるから、そこに居続けてもらうというのはかなり難しい。だが背中合わせなら、足はついているし、落下の心配もほとんどない。腰のせも、これはこれで、くりかえすようにコアにも効くから、これからは4セット行う相方のせを半分ずつわけてやっていこうかとおもう。
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