第331話/フリーエージェントくん⑪
最初は仁に目をかけていた清栄真実だが、いまではそれを見当違いだったとしている。しかし天生翔は、ここにきて逆に仁のことを「いい」と言い出した。その真意は、清栄が目をかけていたのと同じ理由で、むかしの清栄と似ているということだった。仁は強者ではなく、情報弱者の代表のような素朴な男である。しかしそれだけによく吸収するスポンジ人間だと。そのように明言されたわけではないが、清栄がしんこchの名前を出してからこのような形容になっているので、おそらく、そういう意味ではしんこchはそれほどのものではないのである。むしろいろいろなことを知っているぶん、頑ななところもあるかもしれない。
そんな仁を天生はこのパーティーで試すという。開口一番、女は好きかと訊ねたのだ。仁は生真面目に「はい、まあ」と答える。「好きです!」と元気よくこたえるのも変だし、「いいえ、ちっとも」というこたえも、意外性はあるがいろいろこじれそう。「はい、まあ」としかいいようがないよな。
天生は大好きだ、という。あらゆる物ごとを金銭で計測する彼ららしく、女が酒のようであり、じっさいそのようなものとして考えているようである。果たしてそれで「女好き」といえるものか、ただ「価値あるもの」として「女」を把握し、快楽さえも金銭による計測を経由させ、みずからの所持する富の、一種の確認の作業をしているだけのようにもおもえる。
女から学ぶことは多いと天生はいう。その一例として、人心掌握、人の心理、ということである。ここにも微妙な違和感が残る。女性というものを、生物としての差異ではなく、人間の傾向ととらえ、「女性的な傾向」をよく観察し、経験したとき、人間全体のこころの動きとか、それのつかみかたが、もっとよくわかるようになると、たぶんそういうことがいいたいんだとおもう。ふつう、男が女を好きになるとき、プラトニックな、純粋なものではない、性欲のみを経由したものであったとしても、まず、その関係とか、直線的な性欲が、前面にきているわけである。結婚ならまだしも、そうすることで生じる、恋愛や性欲などの女性個人との関係性以外のメリットを考慮して、女性とつきあうことなど、凡人にはあまりないだろう。
モテるかと問われ、仁は「全く」と応える。そして、どうやったらモテるのかを訊ねる。ここに逡巡が感じられないのは仁にしてはいささか奇妙ではある。間髪いれず問い返した理由はふたつ考えられる。仁じしんが、日ごろ「モテたい」と考えていたか、あるいは、「ここはすぐさま問い返したほうがいいだろう(天生はそう訊かれることを望んでいる)」と考えたかの、どちらかである。仁も、男の子なので、すれちがうかわいい女の子に目を奪われる程度には渇いているが、あんまりがつがつした感じはない。どちらかというと、金のない現状をなげく延長で、彼女がいないことが自覚されている印象である。その意味で、仁は天生と似ているのかもしれない。恋愛へのあこがれや性欲が独立してはいないのである。となると、仁は問い返すべきだと感じたからそうくちにしたことになる。天生の設定したシナリオに、仁は即興でのっかっていっているわけである。
天生の語る「モテる秘訣」は、まず「女に分かりやすいメリットを見せる」ことだ。まず「モテる」というのがどういう状況のことを指しているのだろう。つまり、パーティーでキャーキャーいわれることなのか、あるいは、その女の子たち全員に「つきあいたい」とおもわせることなのか。文脈からいって「つきあいたい」とおもわせることだろうとおもわれるが、つまり、そうした女の子たちが、「このひととつきあえばこんなメリットがある」ということをかんたんに想像できるようにしろ、というのである。そこから派生したものとしてさらに、「女に読まれない、掴みきれない演出が必要だ」ともいう。たとえば「このひととつきあえばいろんなブランド品を買ってもらえそう」というメリットが見出されたとしても、彼の手の届くレベルが知れてしまっては、手に入るブランド品も限界が見えてしまう。だから、結論として、金持ちになること、これが最優先なのである。
いい機会なのでアピールしておこうと考えた仁は、一年後に必ず年収1億超えをし、その証明としてフェラーリを所有すると宣言する。僕は無知で貧乏なのでそういうことはわからないのだが、年収というのはその一年が終了したときに算出されるものなのだろうか。いまこの瞬間から1年で1億稼ぐというのはかなり厳しいんじゃないか・・・。
それを受け、なにをおもったか、天生は「では私のフェラーリを今ここで購入しないか」という。「では」ってなんだよ。1年後に所有するっていってるのに。たぶん、その宣言が真実なら、どうせ所有することになるのだから、いま買ってしまえということなんだとおもうけど。
そこに女の子がどやどやと入ってくる。最初のほうに出てきた、帽子をかぶった男、丑嶋の顧客のなんとかってやつが街で声をかけて集めてきた現役女子大生10人だ。天生も清栄も有名人らしく、みんな興奮した様子だ。なかに仁が一目ぼれした例の女の子の姿も見えるが、彼女だけは周囲の女の子の興奮を見てポカーンとしている。パーティーそのものも、あのときの描写ではそんなに乗り気ではなかったみたいだし、比較的冷静な子なのかもしれない。清栄によれば、その帽子の男がひとり1万で集めてくるのだという。やはり、「女性」もまた金銭で測定可能な物体なのである。
「女の子は一生の伴侶を求める。
金持ちは一夜限りの関係を求める。」
清栄はシンプルにそうまとめる。仮面の男のディカプリオみたいな感じだ。ひとことでいえば、金持ちは女の子を消費するのである。
仁があの女の子もいることに気づく。それを見ていた清栄にうながされ、仁は照れながらラインを交換しようともちかける。その、麻生りなという女の子は、とにかくその場に気おされて戸惑っているという感じで、特別警戒しているとか、仁なんて相手にしていないとかいう感じはないのだが、たぶんパーティーに乗り気でりなを連れてきたほうの女の子が、いかにも金のなさそうな素朴な仁のなりを見て、りなを引っ張って清栄のほうにいってしまう。
天生のはなしはつづく。フェラーリの件をまだいっている。つまり、この一連の仁との会話において、これにどうこたえるかが重要だということだろう。天生は「今この場で」といっている。だが、その直前に、仁は「1年後に成功して買う」といったばかりである。もちろん、仁がそんな大金をもっているわけはないのだから、これはことばあそびというか、思考実験みたいなものである。「フェラーリ」は、成功の証である。「フェラーリ」そのものの、デザインのかっこよさとか、車の機能とか、そういう固有のものは、ここでは問題とされていない。「ふなっしーの実物大ぬいぐるみ」がもし同じように価値あるもので、ブランドとして意味があるとしたら、それでもかまわないわけである。「フェラーリ」そのものは目的ではない。成功することが目的であり、その証として「フェラーリ」を所有すると、仁はこのようにいったわけである。そして、その「成功する」という宣言が真実なのだとしたら、そのとき同時に「フェラーリの所持」も果たされているはずである。1年後に成功しているのだから、たとえば借金をしたりしていまフェラーリを買ったとしても、問題はないはずである。もし多少でもそれに躊躇することがあったなら、「成功する」という宣言も途端にうそくさくなる。天生は仁が未来のじぶんにどれだけの信頼をおいているのかを確かめたのである。
仁は買うという。ただし、半年支払いを待って欲しいと。清栄メソッド売り上げ一位をとり、半年後に目標を達成する。できなかったら3千万の生命保険に受取人を天生にして入って、300キロで電柱につっこむと。冗談みたいだが、仁は本気の目である。仁は「支払い」としかいっていないので、よくわからないのだが、ひょっとして仁はこれでフェラーリを手に入れたことになるのだろうか。
天生は笑ってこの応答を喜ぶ。そして、失敗をおそれず云々のいつものセリフをたくさんしゃべる。しゃべりすぎて吹き出しで顔の大半が隠れてしまうほどである。何かを得れば何かを失う、と天生はいう。しかし現状は順序が逆で、仁は、積極的になにかを失っていくことで、なにかを得ることに期待しているだけである。
同じパーティー会場だろうか、しんこchが寄ってきて話しかけてくる。先週、仁は竹山という切羽詰った男性にはじめてメソッドを売ることができたのだが、それについて聞きにきたのだ。仁は300万の例のリストをつかったわけではない。そのあといろいろ自慢をはじめたところを見ると、しんこchも多少は気にしているようである。
いつのまにかしんこchにも彼女ができたらしく、彼は彼女とのやりとりさえもブランディングに活用する。かわいくて巨乳の女の子と10万のホテルに泊まってしまう、こんなオレ、というイメージを明瞭にうちたてることで、そんなふうになりたいと感じたものが、情報商材を買っていくと、そういう流れである。しんこchは「好感度」といっているが、べつに彼じしんが好かれているわけではない。というかむしろ、好感度じたいはさげて、それでいてなおひとがうらやむ生活をしている、そういう方法のほうが、商材は売れそうな気がする。「こんなやつにできておれにできないはずはない」という心理が働くからである。
そう考えると、貧乏な生活をさらしている仁は正反対である。「好感度」じたいは、たぶん仁のほうが高いだろう。しかしそのことで「こうなりたい」とおもわせるのは、特にこの商売ではかなり難しそう。
しんこchが相変わらずなおかげで仁のやる気はさらにアップする。加えて、さっきの麻生りながひとりで戻ってきて、ラインのIDを交換してくれた。マサルと合流した仁は、例の計画を実行にうつすことに決める。で、これはこないだの苅べーなのだろうか、なんかちょっとちがう気もするけど、とにかく地元に友人にあたっていく。だが、無職で実家暮らしでは30万円など払えない。仁はローンを組んでやるという。月5万の6回払い。3ヶ月目から利息が発生。借金をするのはちょっと、という感じの相手だが、仁の熱弁に折れたようである。
足で稼ぐ仁はそれで22本の売り上げを達成。しんこchの25本についで2位である。これまでのことを考えるとすばらしい達成といっていいとおもうが、しんこchはそこからまた3本を売り上げてしまった。清栄によれば、焦ったしんこchは天生のメルマガに広告を載せてもらうよう、さらに250万の金を積んだらしい。そりゃー、天生のメルマガなら、すごい効果だろうな。
清栄はこっそり悪い笑みを見せながら、天生の顧客リストがまだ1本残っていることを伝える。つまり、メルマガ広告料250万とリスト300万で550万。それを払えば、しんこchと条件は同じになる。マサルと内緒でことをすすめているので、いま会うのはどうかとおもうが、仁は丑嶋に泣きつく。しかしいかにも返ってこなそうな金をすすんで貸すことはない。丑嶋はあっさり仁を追い返す。理解できないとつぶやく高田に、丑嶋は説明する。ブランド品と同じなのである。価値があるから高いのではなく、高いから、価値があるとおもいこんで、ありがたがって買うのである。
仁は自宅に戻っている。ちょうど両親がいないタイミングである。それは仁がねらったものだ。歯磨き粉も限界までつかいきる、貧乏くさい両親。仁の原風景であり、彼が離れたいと考えている当のものだ。仁は預金通帳を拝借しにやってきたのである。しばらく迷っていたが、「一時借りるだけ」ということで納得し、持ち去る。ばれるかもしれないが、それもまたリスクであり、1年後には成功しているのだから問題はないのである。
つづく。
天生たちの「リスクを先に取る」という思想が、より深く仁の行為に影響をおよぼしはじめた。
リスクといういいかたが厳密でないとしたら、要するにこれは、先に損をする、ということだろう。これは、商売をするうえでは、ある意味では当たり前のことである。たとえば、街角に小さな本屋を開くとして、本を売った利益を先に獲得して、それを資金に店をたてる、ということはできないわけである。まず投資し、利益を見越して損をし、店をたてないことには、はなしははじまらない。しかし、あるいは近くに大型書店ができてしまって、ぜんぜん利益はでないかもしれない。損は取り返せず、損のままかもしれない。それがリスキーであるということである。
しかし、そういう一般的な意味での「リスク」より、仁のものがより危険に響く理由は、その利益を生み出すシステムそのものにある。天生の「顧客リスト」の存在がそれを示している。リストには、前回の竹山のような、「一度以上情報商材を購入して挑戦し、失敗して、しかも懲りていないひと」のアドレスが記載されている。一度だけ挑戦して以後あきらめるひともかなりの数にのぼるとおもわれるが、天生がほんものだと太鼓判を押すほどであるから、情報商材の買い手のほとんどはそうした人物であるにちがいない。器用に立ち回るものもいるだろうから一概に言い切ることはできないが、原則的にこの商売は、成功し、名が売れるほど、成功する。成功したという事実じたいがさらなる富を呼び寄せるからである。だから、潜在的なものも含めれば、情報商材を購入したものはすべて「成功者」か「失敗者」のどちらかになる運命なのである。その「失敗者」もまた、「金持ちになる方法」をすでに手にしているわけであるから、それを信頼するかぎりで「未成功者」に翻訳されるかもしれず、それがまたリストに記載されるひとが多い理由でもあるわけだが、ともかく、重要なことは、そうでないものもいくぶんいる可能性もあるとはいえ、原則的に「成功者」が成立するためには「失敗者=未成功者」に商材を買ってもらわなければならないということである。「成功者」を出すためには、誰かに失敗してもらわなければならない。そういうシステムなのである。そうでなければ、リストが有効なものとして機能することはない。仁は、1年後成功しているかもしれない。1億円稼いでいるかもしれない。だがそうではないかもしれない。システムが持続するためには、どうしても、失敗するものに存在してもらわなければならないからである。じぶんはそうではないと言い切ることは誰にもできない。なぜなら、みんなそうおもっているからである。そうでなければ何度も情報商材で失敗したりはしないのだ。
しかも、失敗したものは、それが失敗であることを自覚することが難しい。くりかえすように、成功する条件はすべてそのじてんでそろっているはずだからである。じぶんはまだ成功していないだけ、いつか成功する潜在的成功者であると、商材を購入した自分自身を肯定するためにも、そう考えざるを得ない状況になるのである。そして、これだけ損を先にとってしまうと、「商材を購入したじぶん」を否定することは難しくなる。ギャンブルにはまる心理と同様のものかもしれない。このようにして、ほとんどの失敗者はパンクするまで金をつぎこんでしまうのではないだろうか。
この「成功」と「失敗(半永久的な未成功)」をわけるものがどこにあるのか、それはわからないが、ここでいう「リスク」が一般的なものより不吉に響くのは、それがおとしどころの見えてこないものだからだろう。ふつう、たとえば本を売るとき、お客さんはその本を読みたいから、本を買うわけである。もちろん、天生のビジネスでも、お客は情報商材の中身を知りたいからそれを買うのだが、その商材の価値は、買い手が成功しないとあらわれてはこない。すばらしいとうわさの小説を買ったが、開いてみたらすべてヒエログリフで書かれていた、みたいなことである。ヒエログリフならまだいい。勉強すれば読めるかもしれない。しかし天生のものは、読めないままに他の誰かに売りつけないと、決してほどけることがないのである。
というのは下手なたとえだったが、ともかく、この条件では、「成功」するまで、仁たちは損をし続けなければならない。そこそこ成功したとか、今月は赤字だったとか、そういうおとしどころがない。そしてそれがいつまで続くかというと、「成功するまで」なわけである。これはリスクというよりは、やはりギャンブルに近い。この「損」を「リスク」と言い換えることができるのは、成功した金持ちたちが過去形でくちにするときだけだ。
だが、仁は、ほとんど洗脳されるようにして、1年後の成功を信じてしまっている。というか、うえに書いたように、ここまで投資してしまったから、それを肯定するためにもそうなってくれなくては困る、という強い願望が、確信とすりかわってしまっているのだ。本当は、「約束」できることではない。失敗者はシステム存続の前提条件だから、必ず出るのだから。しかし、そうであってくれなくては、「損」は返ってこない。そうして、仁は未来のじぶんを担保に差し出してしまった。
今回はいままで姿が見えるだけだった麻生りながからんできた。たぶん、仁においては彼女が重要人物になってくるのではないかとおもう。というのは、周囲の女性たちに比べると、比較的冷静に見えたからである。天生は、くりかえし見たように、女性を金銭で測定可能な物体としてあつかう。その彼の分析では、まずメリットを示せということである。つまり、天生によってくる女性たちはみなその「メリット」を見ているわけである。女性たちもまた天生を財布としてみているわけで、こうなるとお互い様、両者ともにみずからが金銭と交換可能な、ということは「わたしでなくてもよい」存在としてすすんであつかわれようとしているわけだから、どちらにも、誰かから批判される筋合いはないというところだろうが、しかしりなはそういうタイプではないようである。そういうタイプでないということは、金銭で交換可能な存在ではない、無二的な存在になりうるということである。もっとも、天生によれば「掴みきれない演出」も重要だそうだから、仁の気合に可能性をみて青田買いしただけかもしれないが。
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