今週の闇金ウシジマくん/第290話 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第290話/洗脳くん⑱










渇きと空腹、恫喝で神堂のいいなりになってしまう上原まゆみ。

人間の関係性には文脈がある。たぶん、いきなり今週や前回の洗脳くんを読めば、誰でも「なぜこのひとはこんな状況から逃げ出さないのか?大声を出さないのか?すすんで助けを断つようなまねをするのか?」と、腑に落ちないかもしれない。しかし、重要なことは、げんに逃げ出せず、大声も出さず、そればかりかまともな人間関係を絶ってしまうような電話をせざるを得ない事実のほうだ。まゆみには、周到な神堂の準備によって、恋愛感情も含め、「このひとからはもう離れられない」という感覚が植えつけられている。もちろん、いまの状況を当時のじてんで知ることができたなら、はかりにかけずとも、まゆみは神堂と深い仲になることはなかったろう。しかし、神堂の甘いことば、計算された「運命」、そういうものでまゆみは陥落し、さらにそれ以外の関係性・・・はやく結婚をせよと迫り、またすでに仲良くなってしまった家族、婚約を知られてしまった上司や友人、こういうものが彼女に決断をさせることになり、多少の暴力ならがまんしなければと、そういうふうな考えをもつようになってしまった。たぶん、いまのまゆみの心理状態は、この、「少しの家庭内暴力なら耐えられる」というような忍耐の感覚が膨らんでいる状態だろう。もはやそれは「少し」ではない。しかし、みずからが耐えることで「結婚」だとか「仕事」だとか「家族」だとか「世間体」だとか、その他もろもろの、ふつうの社会人が抱える重要な価値を維持するという図式を成立させてしまったために、度をこえた忍耐も肯定的なものになりかねない、そういう状態にあるのかもしれない。そのうえ、神堂の暴力と恫喝、また反対に恋愛感情をくすぐる優しいことばで、まゆみではほんらい「忍耐」をはさんではかりにかけられていたたとえば「世間体」と「暴力」の比較が困難になってきている。じっさいの暴力の大きさ、「世間体」の重要度、そうしたものに対する冷静な判断が不可能になり、ただたんに、両者が均衡を保っているという記憶のみに支えられた空洞の図式のみを持ち込んでいる、そういう心理なのではないだろうか。というより、精神的には緊急避難に近いのかもしれない。どちらのほうが重要なのか、客観的にはかることが難しくなっている、あるいは、難しいのである、だから空洞にし、図式的には正しい行動をもちこんでいると、そういうことなのかもしれない。






相変わらずけばい母親から電話だ。まゆみは親戚中に金の無心をし、断るものを罵倒する電話をした。会社の人間も気づくくらいだから、それで関係を絶つ、というふうになる前に、様子がおかしい、と考えるのはふつうだろう。それで、母親のところに連絡をとったらしい。

神堂はまゆみに「泣き落とし」をせよと命ずる。いわく、「自分が善人と思いたい人間ほど泣き落としがきく」ということだ。まゆみは涙ながらに、困ったことになっている、なにもいわず20万円貸してくれと母親に頼む。母親は「そのお金がないと、神堂さんとの関係も終わっちゃうの」ということばに反応する。まゆみは計算したわけではないだろうが、母親としては、みずからの女のぶぶんを再発見させた神堂とお別れにはなりたくない。

うまくお金を振り込ませたということで、まゆみはやっとお弁当にありつける。神堂は冷たい目でそれを見下ろし、食べ終えたらおろしてこいという。外出するからだろう、神堂は、たぶんまゆみには自覚のない、だがもっともダメージのある、カズヤと大麻を吸っている動画を見せつけ、なぜかまゆみの携帯に送信する。そんなことしなくても、もはやまゆみには逃げ出したり助けを呼んだりするつもりも元気もなさそうだが。




45万おろしてきたところで、神堂は出かけてくるという。金が用意できて一安心したのか、たぶん2日くらい寝ていないまゆみは、ついうとうとして布団に倒れこんでしまう。

やがて神堂の恫喝で目が覚める。なぜ電話に出ないのかと。だが、部屋に電話はない。まゆみの考えでは、金をおろしにいったときに落としたらしい。携帯には神堂が送った大麻吸引の動画が収まっている。まゆみは事態にすっかりおびえきってしまっているが、神堂は、動画にはカズヤもうつっている、彼を共犯者にするつもりかと、そのようにいう。まゆみは現時点では、会社をクビになることをおそれている。だが、ある一線をこえると、そんなことはどうでもよくなってしまう可能性もある。しかし他人のこととなるとどうだろう。ましてや、結婚したばかりの妹の旦那だ。神堂の大声も含めて、まゆみは目の前が真っ暗になるような感覚を覚えたにちがいない。




神堂の携帯で電話をかけると、誰かが出たのだが、どうも様子がおかしい。動画を見て通報しようとおもっていたところだといい、まゆみの名前もわざわざフルネームで、すべてを知っていることを思い知らせようとするかのようにくちにされる。

相手は、携帯を返すかわりに「ゴミ捨て」を手伝いに家まで来いという。




まゆみは襟の深い上着と帽子をかぶって、なぜか人目をはばかるようにしてその家に向かう。待っていたのは松田明日香という女だ。だいぶ前、みゆきの結婚式前夜に路上でまゆみたちと遭遇したあの娘、そして勅使川原が状況報告をしていた父娘の娘のほうである。あまりに顔つきが異なっているのでわからなかった(枠外の登場人物紹介で判明)

携帯はすぐ返される。開いたドアからは香辛料とお香と、なにかわけのわからない匂いがもれてくる。明日香は鉄板のような無表情で部屋のなかを見るなとまゆみにいう。

そしてまゆみは、ずっしりと重たいかばんを手渡される。生ゴミが2種類入っていて、捨て方を電話で指示するということである。

指示通り公衆トイレに入ったまゆみはかばんをあけ、正体不明の液体がたっぷり入った2リットルのペットボトルの中身をトイレに流す。思わず嘔吐いてしまう異臭だ。白黒なのではっきりとはわからないが、色も透明ではないし、なにか濁っている。

指示通り、まゆみは空のペットボトルをよく洗い、どこかのゴミ置き場に捨てる。









「次のゴミは河口に行け。





人目につかないように捨てろ。





中身は『豚骨団子』だ」













つづく。










いよいよおそろしいことになってきた。

こんなに極悪人・丑嶋の登場が切望されるエピソードがかつてあっただろうか。

洗脳くんのモデルとなっているにちがいない北九州の監禁事件も、かんたんな事件の要約を読んだだけで気分が悪くなるようなものだった。いったいこうした事件のどこがそこまでの不快感をもたらすのか、さまざまに考えることはできるが、とりあえずいえそうなのは、洗脳くんに限ることにするが、神堂は決して三蔵のようなブルータルな暴力の持ち主ではない。ハブのようなザ・アウトローでもない。わたしたちの日常にごく当たり前に、酸素のように流れることばと、それがもたらす関係性、そしてことがきわまった際のごく微量の暴力、それだけで、ことを進行させていくそのしかたが、なにか、わたしたちのふつうの日常、安定的に流れていく毎日を急に無意味に、また不安定なものにおもわせかねないのではないだろうか。ヤンキーくん冒頭、まだカウカウに入る前のマサルは、丑嶋を目にした友人に、あのひととはかかわるな、というようなことを聞かされる。もちろん、闇金ウシジマくんは、ある意味では普遍的な物語をあつかってきた。というのは、それが普遍的ではないという意味合いにおいてである。わたしとあなたは永遠にわかりあえない。だが、そこから出発しない限り、そもそもわたしたちは理解の端緒に触れることさえできない。ヤンキーやアウトローの人間にキャラクターを固定しないのはそういうことでもある。彼らはみな、わたしたちとはまったく無関係のにんげんであり、ということは、正しく「隣人」なのである。

そうして、たしかにこの漫画は、ある人物を、読者とは無関係であるという点で関係がある、という文脈で描いてきた。しかし、「丑嶋社長」というのは観念ではなく実在の物体なのであり、かかわらないように努力することは可能である。あるいは、そのような生き方を選択しようと、選択できるようになろうと努力することは可能である。

ところが神堂はそうではない。わたしたちが他人とかわすことば、いままさにわたしがあなたに向けて発信していることば、こうした日常の単位の襞に、気配を殺して潜んでいるのである。じっさいには、神堂が勅使川原をつかっていたように、一種の傾向を見抜き、彼のほうで獲物を見定めているぶぶんはある。しかし、まゆみがそうであったように、知らず物語を書き換えられる被害者には、それを自覚するすべはないのだ。わたしが信じているこの世の物語、それを定めるものの属人的な発現が、神堂大道なのである。その意味では、神堂という存在は原理的な、抽象的なものだ。「神堂みたいなものとはかかわらないようにしよう」とか「洗脳されないよう客観の訓練をしよう」とか、仮におもったとしても、そうした思考のなかに、すでに神堂は生きているわけである。これまでの僕の考えでは、スピリチュアルな方法の洗脳というのは、じぶんでは語りつくすことのできない、わたしたちの人格を根底的に決定するトラウマ的物語を、あたかも分析者のような共作者の顔つきで、じっさいには捏造してしまうということだった。「あなたはこういうひとなのだ」と「決定」するのが神堂や勅使川原なのだ。






さて、ゴミ捨てである。ちょうど洗脳くんが開始する26巻が出たばかりなので開いてみたが、冒頭、つまり1年前ということになるが、誰か女性らしき人物が死体の解体をしているらしい場面、この現場となっているアパートが、ちょうど、今回まゆみがおとずれた、明日香のいた場所とまったく外観だ。というか、流れからいって同じところと見ていいだろう。そして、やはり流れからいって、洗脳くん冒頭のなにものかと同じように、明日香はここで、あの父親を、あるいは少なくとも父親の死体を解体したにちがいない。ペットボトルはミキサーにかけた肉と「血抜きした血」だろう。「豚骨団子」というのは、まだ絵は出ていないが、煮込んでやわらかくなった骨だろう。冒頭では「豚の角煮」という表現をしていた。あちらではネギをつかっていたが、たぶん明日香は部屋の臭いとりに香辛料を用いているのだろう。ただ、冒頭の人物は神堂の指示を受けながらすべてひとりで実行していたのに対し、こちらはやや異なっている。証拠などなくても、神堂なら、「ゴミ捨て」をさせることでまゆみに罪悪感を植えつけることなど他愛もないとはおもうが、さてこれはどう見るべきだろう。そもそもあの冒頭の人物は誰なのか。まゆみということでいいのだろうか。「ゴミ捨て」にまゆみを利用することで、神堂としては明日香に優越感を与えることはできるだろう。まゆみの登場で立場は相対化され、明日香の体感的には、じぶんは神堂側、という感覚が出てきても不思議ではない。しかし、いずれにしても、冒頭の死体処理では協力者はいなかった。可奈子という、いま手をつけはじめた女がいるにも関わらず。となると、冒頭の人物、おそらくまゆみは、神堂にとっては勅使川原なみに重要な共犯者となっていくのかもしれない。






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