- 悲劇の誕生 (中公クラシックス)/中央公論新社
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なにを読んでもなにを学んでいてもからんでくるのがニーチェだけど、そのなかでもっとも読んでみたいとおもっていたものがこの「悲劇の誕生」だった。というのは、僕のばあいはまず竹田青嗣の「ニーチェ入門」がきっかけなのだけど、悲劇という概念そのものが、いままでことばが見つからずずっと内側で澱んでいたなにかにくっきりとした像を与えたようにおもえたのだ。個人的な経験ですが。
本書は実質、文献学者だったニーチェの論壇デビュー作ということ。以前読んだ「道徳の系譜(学)」が1887年、本書が1872年ということで、15年もの開きがあるにもかかわらず、じつにニーチェ的(といっていいとおもうが)な語りの熱量は変わらず、デビューしたてであることとかただ若いこととかが一般にもたらすそれとは原因を異にするものだということがわかる。本書掉尾に収録されている「自己批判の試み」は、最初の出版から14年を経て新版を出すにあたり添えられた、過去のじぶんを否定する文章だが、これでさえも、後半に向かうに従いヒートアップし、やけどしそうな熱さを帯びてくることになる。このひとの思索の原動は、それが本質的なものなのか、時代との不和がそうさせるものなのかはわからないが、憎悪とか、一種の呪いの感情のようなものなのではないかとおもえてくる。しかし、これは極端としても、それこそが、歴史的な哲学者の資質というものかもしれない。
その「自己批判」というのも、なんだかすごい。どんなに明晰な哲学者でも、僕は明晰な哲学者ではないからじっさいに理解することはできないが、若いころ書いた論文を読んで直したくなったり恥ずかしくなったりということは多少はあるんではないかとおもう。しかし、理論が止揚していくものだとすれば、そもそも、そのように顔を赤らめ、原稿を破きたくなるような衝動そのものを生み出しているものは、当の文章を書いていた過去のじぶんと連続した「わたし」なのであるから、デジタルに否定することはためらわれるのではないかとおもう。にもかかわらずニーチェは、じぶんと、たぶんワーグナーへの失望から、本書を「ありうべからざる書物」と断ずるのである。ここに、直観だけど、ニーチェの真理探究への情熱がきわめて身体的なものだったということが見える気がする。ニーチェは、ほんとうに、手にとって触れる具体的な真理を探していたのかもしれない。そうでなければ、こうした否定の文章は、おそらく口にされない・・・。「自己批判の試み」のあるぶぶんの訳注には、以下のようにある。
「・・・問題は、なぜ彼がこのようにいっさいの真理の破壊と相対化をもくろまなければならなかったか、という動機のほうにある。仮象や錯覚という不安定な、不確実な、相対的な生の形式を、あえて生に必然の形式とみなさざるをえなかったのかは、彼がいっさいの固定化し、絶対化した真理に満足できず、『真理』への無限の情熱に、はかりしれない真理の奥底への認識意志に、生涯、身を焼きつくしていたからであろう」254頁
たぶん、そうした情熱とこのひとのカリスマ性は無関係ではない。司馬遼太郎や三島由紀夫、吉本隆明など、中学高校時代、ぼやっとせずに読んでおけばよかったなとおもえる作家は何人かいるが、ニーチェもそのひとりだ。もちろん、上述の論理にしたがって、当時僕が読んでいたものを否定するわけではないが、これらのひとたちはたぶん、十代のエネルギーがありあまっているころに読むと、たぶんまた見え方のちがってくる作家たちだ。といっても、たぶん、いま以上に、ニーチェなんかはよくわからないだろう。だけれども、憎悪の絶叫のなかにある不器用な真摯さというか情熱は、まっすぐに心臓に刺さってきたにちがいない。
ニーチェでは、ワーグナーやショーペンハウアーへの傾倒が本書を書かしめた動機となる。「悲劇」については、ウルトラマンの世界観について考察 したときに何度かとりあげたことがある。それは、人間の本態としての「ディオニュソス的」ありようを音楽のなかに求めつつ、ロゴスをまとうものとしての「アポロ的」なものが、そのまま破滅に落ちかねない人間を持続させてくれる、そういう動的な対立だ。もう延々と、オペラ批判などを通してこれが語られていくので、ニーチェではいつものことかもしれないが、そうとうに疲れるのだが、これが、僕には目が開かされるような発想だった。その対立の象徴的な例として、アイスキュロス「プロメテウス」があがる(81頁)。プロメテウスが神々から盗み出した、破壊と創造を同時になす「火」。破壊をなす時点で、これは冒涜になりうる。だが、それこそが人間だという「生の是認」。これを、僕は例のニーチェ入門で読んで感動したのだった。たぶんニーチェじしんもこのことを神話から読み取ったときには感動したんじゃないだろうか。それにもかかわらず生きようとする、それが人間の本質だという理解であれば、理性のレベルで世界を認識しようとするしかたではどこにもたどりつかないし、ひどく乾いて見えるにちがいない。
僕が読んだのは中公クラシックスという、新書サイズのもので、そんなに長くは見えないのだが、ひとつのチャプターをほとんど一息で読み上げているような文章なので、体感的にはかなりのボリュームだ。ネットで意見を調べてみると、完成度とかわかりやすさとかでいうと、ほかのものに比べていまひとつというところみたいだが、そんなひとことで括れるような書物ではないよなーというふうにもおもいます。
- ニーチェ入門 (ちくま新書)/筑摩書房
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