今週の範馬刃牙/最終話(第312話) | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

最終話/さようなら









いよいよ、範馬刃牙最終回だ。

いつものように「第~話」というふうにナンバリングせず、「最終話」となっている。つまり、ほんとに終わってしまうらしい。

グラップラー刃牙から数えて連載20年を超えるということだ。刃牙と末堂がたたかっていたころに生まれた赤ちゃんが、いま就活の準備をしているということである。とてつもない仕事だ。

毎週感想を書いている漫画が最終回を迎えるというのははじめての経験なので、どうすればいいかよくわからないし、また語りだすときりがないので、この記事では、いつもどおりに感想を書くことにしよう。






朱沢江珠に致命傷を与えた強烈な抱擁。無呼吸の殴り合いの最後にこれを受け、バキは完全に動けなくなるほどの大ダメージをうけた。

父はそれを見下ろし、終わりの判断をくだし、去ろうとする。しかしバキの闘志はまったく失せていない。勇次郎のみがそれを感じ取り、立ち止まる。

そして父は、今度は周囲のものにも見えるレベルで、なにもない空間に味噌汁をつくりだした。なんとか起き上がったバキは、勇次郎と架空のちゃぶ台をはさんで、父の味噌汁を堪能する。だがちょっとしょっぱい。息子にそれを指摘され、父は動揺する。じゃあ味見してみろと息子にいわれ、以上のやりとりをすべてテレパシー的なもの、前回の考察でいえば互いに本体と合致したイメージを正面にすえたリアルシャドーの変形で会話していたものが、父は急にしゃべりだし、しょせん架空のものがリアルのものを超えるはずがない、みたいなことをいう。

バキは耳パンで鼓膜が破れていて、勇次郎のことばは聞こえない。ただ動きから、「いらない」という勇次郎の意志を感じ取ったのかもしれない。バキはちゃぶ台に手をかけて、これをひっくりかえす。それを見て、不覚にも勇次郎は大声をあげてしまうのだった。ここまでが前回。




ちゃぶ台とともに空中を舞う茶碗やら箸を、すごい形相の勇次郎が猛然とキャッチする。表情が、ブチ切れて誰かを殺()ってしまいそうなときのものだ。なぜそこまでして、全力でちゃぶ台を捕ろうとしたのか。地面に落下するとなにかまずいことがあるのか。

だが、キャッチした食器類はすべて、その瞬間に消えてしまった。観衆にもそれが見えている。









「親父・・・







救われたなァ・・・」









全身バッキボキのくせして、バキがふてぶてしい態度でそういう。

そうした、いわばなめた態度を許すわけにはいかない。勇次郎はほとんど義務的に、ハンドポケットの威圧的な態度でバキの前に立つ。だが、顔面には大量の汗をかいている。激しく動揺していると見ていいだろう。そして、おかしなことを言い出す。









「フフ・・・・







その通りだ・・・・





思い当たるフシがある





あの味噌汁は少ししょっぱい







認めるのが嫌で・・・





誤魔化しちまった





嘘をついちまった」









勇次郎にはあの味噌汁がしょっぱいんじゃないかという予感がなぜかあった。それを指摘され、つい嘘をついてしまった。最終回にして信じられない難解さである。




板垣作品を通してある強さの定義、強さの最小単位、それは、「我が儘を通す力」「意志を通す力」だ。それが定義であり、強者はそれを追い求めるというよりは、勇次郎じしんが「強さ」にそうした定義をもたらしていたというぶぶんはあるだろう。そうとは限らないばあいもある。だが、単純なはなし、勇次郎に胸倉をつかまれてぐわんぐわんされて、それ以外の定義が引き続き成立しうるのか、ということなのだ。

どうあれ、勇次郎は架空の炊事場に立ち、味噌汁をつくった。勇次郎のほうにどれほど「炊事場に立ちたくない」という気持ちがあったのかはわからないが、彼らには最初の時点でそのように図式化したぶぶんがあった。互いに衝突は避けられないと知りながら、しかしどうやって開始すればよいのかわからない。その探りあいの果てに、一種の合意のもとに定められた目標点が、この「父が炊事場に立つ」というイメージだったのだ。

そしてバキはそれを達成した。









「ここに・・・・








地上最強を名乗れ」









オーガが、最強の地位を息子に譲った瞬間だ。大歓声が起こり、独歩たちもぽかんとしているが、バキは耳が聞こえないので、譲位されたことを知らない。でもなにかいっていることはわかっていたはずだ。だがそれには触れず、立ち上がったバキは、父親の勝敗観、決着時の頭部の標高ということを持ち出し、たしかにダウンし、見下ろされた図を思い返し、なんと、敗北を認めるのだった。






歓声のなか、互いに黙って見つめあうふたりのあいだに、光成が立ち、自分の役割だと任じているのか、調子よく「勝負あり」を宣言する。勇次郎は人間の弱点、病気などを透視することができるが、例の、光成のなかに巣食っていた悪い細胞は消えてしまっている。

バキと勇次郎が力強く、腕相撲でもするみたいに手を握り合う。









(各々が共に





自己(おのれ)にとっての最大を差し出した





地上最強の





親子喧嘩・・・





ここに終了・・・!!!)









おしまい。









いろいろな最終回があるけれど、なんと「終わり」感のない最終回なんだろう。

来週もチャンピオンを開けば、入院しているバキのもとにチャンピオンベルトを肩にぶら下げた烈がお見舞いにやってきて、肝心の親子喧嘩を見逃したことを本人の前で悔やみ、「どこにでもある親子喧嘩だよ・・・すすんで他人に見せるものでもない」とかなんとかバキがすましていっている姿が見れそうな気がするが、終わりなんだな・・・。

といっても、板垣先生じしんのことばにもあるとおり、これはあくまで「とりあえず」の最終話だろう。

勇次郎とバキの喧嘩は、恣意的にはすまされない。描いてみたいから描いたという創作衝動だけではスルーできない、作品の課題みたいなものだった。しかしそこには、数え切れない困難があったとおもう。負けないことを存在の旨とする勇次郎とその息子の喧嘩を、結果の決まったものにしないためにどうすればいいのか、ぱっと見はいきあたりばったりみたいだが、というか実際そういうぶぶんもあるとはおもうが、「入念な準備」とまではいかないまでも、相当に霊感を駆使して、神経をすりへらして描かれたもののようにおもう。虎王でそれがはっきりした。作品として明確に「未知」が意識されているということがはっきりわかった。

ともあれ、言い方は悪いが、これで「宿題」は片付いた。ある意味ではここから、新しいバキの物語が展開していく土台ができたのだといえないこともないだろう。




さて、とにもかくにも最終話ということで、これ以上ヒントは出ないということが確定したにも関わらず、おそろしく難解な決着であった。深読みしようとおもえばいくらでも、パターンをあげていこうとすれば限りなく、そういう結末だった。

勇次郎は、バキがちゃぶ台をひっくり返したことで「救われた」らしい。というのは、たぶん、ひっくり返したことで、ちゃぶ台が消えてしまったからだ。つまり、厳密にいえばバキは、ちゃぶ台をひっくり返したのではなく、消したのだ。そうすることで味見を回避させた。

ちゃぶ台は、パントマイムの要領で、ふたりの動きが縁取ることで、そこにありありと現前していたものだった。だからちゃぶ台をひっくり返すバキの運動だけでは、これは消えない。じっさい、空中を舞う茶碗や箸はみんなにも見えている。

それが、奇妙なことに、勇次郎が手に取った瞬間に消えてしまった。地面に落ちるよりはむしろこのようにつかんだほうが、イメージが残るとおもうが、そうはならなかった。つまり、バキのほうでなんらかの動きの「解除」が行われたために、ひっくり返したという動きとそれが引き起こした事態がぜんぶ消えてしまったのかもしれない。あるいは、勇次郎がこれをつかむという動きがエア夜食終了の原因だとすると、「救った」のがバキであるとすれば、バキは父を「茶碗をキャッチさせる」という動きに誘導したことになる。そうでなければ、勇次郎はみずからこれをキャッチして茶碗を消滅させ、自力で「味見」を回避したことになるからだ。

じっさい、勇次郎の行動は不可解でもある。なぜあれほど必死になって、箸や茶碗をつかもうとしたのか。あとのセリフを考えると、この時点で勇次郎には動揺があった。そして嘘をついてまで、これを隠そうとする意識があった。味見を拒否した直後にひっくり返されたちゃぶ台を、ただ眺めているだけでは、これを受け容れているとられてしまう可能性もある。味見はしない、でもそれはしょっぱいことを認めたわけではない、そういうときにいきなりひっくり返され、とっさに、勇次郎はこれを守ろうとしたのだ。味見は拒否したけどちゃぶ台返しを喜ばしいこととして受け止めているわけではないんだよと、無意識が働いて、猛然とこれを回収してしまったのである、たぶん。




「思い当たるフシ」というのも、はっきりとしたことはわからない。シャドークッキングで調理しているときに、なにか分量をまちがえたとかそういうことだろうか。しかし、味噌汁は現実には存在していない。父の調理する姿も、バキはほとんど見ていないはずである。つまり、バキが飲んだ味噌汁は、しょっぱさは、格闘のリアルシャドーにおける相手と同様、これまでの経験から推測したものにすぎない。だが、それを勇次郎は認めた。あるいは、これは調理ミスではなく、勇次郎の日ごろの悩みだったのかもしれない。江珠がむかし指摘して、それを今度は息子にされて激しく動揺したという可能性もあるけど。


いずれにしても、いまつくられた味噌汁は、架空のものとはいえ、完璧ではなかった。以前からある一種の癖がそうするのか、今回だけのミスなのか、いずれにしても、勇次郎には「この味噌汁ちょっとしょっぱいかもしれん」という淡い予感はあった。にもかかわらず、彼はそれを出した。勇次郎が、この親子喧嘩の結末として「息子がじぶんを炊事場たたせる」という図を期待していた可能性はかなり高い。あのまま去っていれば彼の勝利であったにも関わらず、いまだ屈しないバキに、他者の片鱗、暴力で屈服させることのできないものを見て、戻ってきたのだ。暴力で屈服させることができないということは、勇次郎にはバキを屈服させることはできないことになる。もちろん、柳にしたように、あのまま首を踏むなりすれば終わっていた。それが彼の地上最強ということの意味だった。しかし、その屈しない姿に、父は経験したことのないなにか、制御できない外部のものを、感じ取ったのだろう。

だから、炊事場に立った時点で、勇次郎は最強を譲るつもりだったかもしれない。だがこの時点では、なにか、父の息子に対する甘さのようなもの込みでの譲位で終わっていただろう。しかし、「父の動揺を見てみぬふりしてその場を去る」というような息子の大人の対応を通して、勇次郎は救われてしまった。そもそもその動揺じたいが、息子の力量を計り損ねていたために起こったものだ。勇次郎にはあれがしょっぱいとわかっていたのだから。「救った」はやや大げさとしても、「斟酌」、あるいは「気持ちを掬った」というふうにはいえるだろう。味噌汁のしょっぱさは、おそらく、勇次郎の全能性の瑕疵みたいなものの表象であって、エア夜食でなければ彼はこれをつくらなかったかもしれない。そして、テレパシーレベルで正確に相手の言動を脳内で再現できるバキは、正しく、勇次郎の味噌汁の味も言い当てた。そもそも、構造的には、全能性の瑕疵というものを、わたしたちは想定することができない。宇宙が急激な速度で平べったくなっていっても、そこに含まれているわたしたちも同じように平たくなっていくからそれを自覚したり観測したりできないのと同じことだ。勇次郎の全能性の瑕疵を「見ないふり」して「救った(掬った)」バキは、この宇宙の外に立ったのだ。




勇次郎は最強の称号を譲る。それより上位のもののない「地上最強」は、それを定める機関とか基準があるわけではなく、じぶんで名乗るなり誰かが名づけるなりして、なおかつ、それに反論するものが誰もいない、そういうふうにして成立する。だが、すでに「地上最強」がいるばあい、彼は彼に反論しないすべての人類の意見の代表になり、新たな「地上最強」を名づけることができる。だから、これをもってバキは「地上最強」となったというのは、理論的には正しい。だがこの漫画がそんなふうにすっきり終わるわけがない。地上最強になったことを知らないバキは、あっさり敗北宣言をしたのだった。バキが聴覚を失ったことは、一種の到達を示しているとおもう。というのは、彼の成長は、彼以外のすべての他者・他物を師匠とすることで世界を塗りつぶしていくものだったからだ。要するに、「ひとのはなしをよくきく」ことで、彼はここまで強くなったのだ。聴覚の喪失と地上最強がほぼ同時に起こったことは偶然ではない。彼はじっさい、世界と同義の存在となったはずである。そんな彼が敗北を宣言する。彼は、勇次郎さえもイメージで再構築できるほどのちからを獲得した。であるならば、勇次郎の最強譲位宣言も、テレパシー的に彼は推測できたはずである。見たところバキはほんとうにこれを知覚していない。あたまに勇次郎を思い浮かべてこれの声を聞くということをしていない。疲れちゃっただけかもしれない。あるいはあきらめただけかもしれない。父親に勝ってはいけないというシナリオが浮かんできたのかもしれない。いずれにしても、彼は完全に耳をふさいだ。バキの強さも、圧倒的な想像力も、なにもかもが、他者からのことばによって成り立っていたが、この敗北宣言は、他者のことばを経由しない、本心からのものだったのである。誰がどういおうと、仮に父が「おまえが最強だ」といおうと、じぶんは負けたのだと、そういうかたくなな宣言なのだ。地上最強でも敗北しうる・・・。これはバキ世界では革命的な出来事かもしれない。






あまりに謎が多すぎて、長くなってしまった。つづきがありそうということもあるし、ひとつの記事で語りつくすことなんてできないということもある。今回はこれくらいにしておきます。板垣先生の自衛隊時代の漫画がまた描かれるようだからそれの感想も書くつもりですし、定期の感想がなくなるぶん、自由にこれまでのたたかいをふりかえって考察してみるというのもおもしろいかもしれない。そのためには、あなぼこだらけの単行本コレクションをどうにかしなければならないが・・・。






どうあれ、20年というのはたいへんな歳月。僕がはじめて板垣作品を読んだのは中学生のころ、餓狼伝だったが、バキももう十年くらいは読んでいる、とおもう。今後どうなるかはともかくとして、板垣先生、ありがとうございました。そして、長い間ほんとうにお疲れさまでした。




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