年末に放映された坂本龍一のヨーロッパ・ツアーの番組の録画をやっと見ることができた。
前半は知らない曲ばかりで、内向的というか、極端にスタティックで、いまいちうまく把握できなかったが、後半の「チベタンダンス」「千のナイフ」「メリークリスマス・ミスターローレンス」「Parolible」の「知ってる曲」のアレンジがどれも新しいものですばらしく、久しぶりに音楽を聴いて「動けない」状態になってしまった。ほんとうにすさまじい音楽を聴くと、全身が耳になってしまい、リズムをとったりだとかうたったりだとかということがいっさいできなくなってしまうのです。僕にとっては、いまおもいつく限りでは、チック・コリアとゲイリー・バートンによる「セニョール・マウス」のライブ、ウェザーリポート「8:30」における「ティーン・タウン」、あとニトロのファーストアルバムもそうかもしれない。もちろんほかにもいっぱいあるのだけど、そういう出会いの経験があるということは、リスナーとして大きいし、すごく幸運なことです。
けっきょくむかしから知ってる曲、なおかつじぶんで弾ける曲にしか反応できないというのは悲しいはなしだが、ソロアルバムのスタジオ録音などで坂本龍一が採用している演奏の二重録音を、ライブでそのままつかう、つまり、彼自身でプログラミングした演奏とデュエットする「架空二重奏(virtual duet)」という形態を見るのがはじめてのことで、多少混乱していたこともあったかもしれない。たんなる「2台のピアノ」ではちょっとできないような、つまり同一人物が向き合って演奏して初めて可能な緊密な演奏(composition 0919)もあり、なるほどこれはこれで、生演奏者としてのひとつの現代的な解答なのだなという気がする。
僕は、なにしろ『グルッポ・ムジカーレ』のころの教授の音楽が大好きで、ということは80年代、ちょうど僕が生まれたころの音楽ということになるだろうか、具体的には『未来派野郎』『音楽図鑑』『メディア・バーン・ライブ』あたりに高校生のころ傾倒しており、そのころに独学で習得したピアノで弾く曲は、ほとんどすべてこのころの坂本龍一のものだった。逆に言えば、当時現在進行形だった『BTTB』を最後にして、新曲はあまり聴かなくなってしまった。もし出会いが逆なら状況はわからなかったかもしれないが、とにかく僕の経験的には80年代がヴィヴィッドすぎて、編成がどんどん小さくなり、語り口がリリカルになるにつれ、「知ってる曲」のヴァージョンばかりを求めるようになっていった。一時期坂本龍一がやっていたピアノ三重奏も、僕はそういう狭量な目線で見ていた。もったいないことだとおもう。
ついでに教授の作品で好きなものをあげていくと、初期ベスト版の『グルッポ・ムジカーレ』はこのころの代表曲がうまい具合におさえられていて、オススメである。しかし、なぜかわからないが、『音楽図鑑』収録の名曲「チベタン・ダンス」は入っていない。これは『グルッポ・ムジカーレ2』に入っている。多少サウンドは古臭いかもしれないが、それ以後、さまざまなかたちで再演される代表曲のオリジナルが、これらなわけです。
同じ時期の『メディア・バーン・ライブ』も、アレンジに古臭さを感じられるかもしれないが、僕はいまでも聴き返している。名盤だとおもう。
どのころからそうなっていったのかわからないが、このあと坂本龍一は、少なくとも楽器という点において、徐々にアコースティックになっていく。音楽思想的なコンバージョンかもしれない。「ラスト・エンペラー」のころなどは、あのオーケストラの編成はベルナルド・ベルトルッチ監督の指示であり、坂本龍一はシンセでぜんぶやろうとしていたくらいなのだ。前述したように、それ以降はあまり知らない。が、三重奏の『1996』など、オリジナルを知っているとさらに味わい深い。
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