今週の範馬刃牙/第180話 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第180話/Finale



ピクルに見られるほとんど唯一の回避行動、壁を蹴った高速移動にも、バキは柔軟に対応、それどころか速度でこれを凌駕し、追いつき、ハイキックで移動中のピクルの迎える。人体の…というよりは生物の、有機体のもてる限界レベルの身体能力を誇るピクルを、バキは輝かしき文明の利器、単位としての人類では原理的に獲得し得ない、「格闘技」で追い詰める。どのように強烈な攻撃もすべてかわされ、スタンド「レクイエム」のように、同程度かそれ以上の打撃が返ってくる。ほころびを見つけようと、あるいはそこから逃げ出そうとピクル最大出力の速度で移動をしても、この相手はたやすく追いついて逆側に蹴りを準備して待っているのである。万策尽きる。ピクルにはもうできることがなにもないのだ。信じがたいことではあるが、げんにそうなのだ。バキの勝利は目前なのである。



「そんな栄光を前にして―――


今 少年刃牙の心に


芽生えてしまった衝動


抑え難い衝動が生まれていた」


「目の前に差し出された両拳


その意味するところが―――


体力勝負であることを古代人はすぐに理解した」



初対面の勇次郎も、ピクルに対して似たようなことをしていた。このとき勇次郎は力負けをして「技術」を用いた。力の魔人、範馬勇次郎が力負けをするなど、かなり衝撃的な場面だったとおもう。それをバキがやろうというのか。



「救い難き強欲


飽くなさすぎの欲深さ


この期に及び技術(わざ)による勝利を拒否


堂々の体力による勝利を狙う無謀 浅薄(あさはか)」


もちろんピクルはコレに乗る。

なにが起こったのかはよくわからないが、とにかく自明の結果がおとずれる。バキのからだのどこかから血が出て、ダウンしかけているように見える。ところが、そのバキの腕をピクルが両手でつかみ、鮮やかな合気っぽい投げを敢行したのである。勇次郎との接触で習い覚えたものだろうか。観戦者の三人があほ面こいて指を差し、驚いてみせる。



「腕力(ちから)比べの最中―――


確かに感じた


敗北への恐怖(おそ)れ……


永きに渡る

新旧雄比べ……


古代人は武器を手にした」




死闘決着!!!!



ぐったりと地面に伸びたバキのそばに、脱力したようにピクルもまた体育すわりでしゃがみこむ。ピクルはとにかく続きを放棄(拒否)、たたかいはこれにて終了のようである。


物語はもちろん次回へと続く…。




けっちゃく!しとうけっちゃくッ!!


といっても、ラストの煽り文を見ると勝敗はまたべつらしい。

そうなると、なんにしてもバキは力比べを選択した結果、あのように伸びているのだから、伸びる伸びない、すなわちダウンしたかしないかは、勝敗に影響しないことになる。



どうもおかしな感じだ。

バキは、理論的にはピクルの勝てる要素をすべて塗りつぶし、不測の事態(たとえば勇次郎が乱入するとか)がない限り、“少なくとも負けることはない”という段階まで勝負を支配していた。

ところが、勇次郎戦があたまに浮かんだのか、彼は急に力比べをはじめた。

他方のピクルにとってみればこれは渡りに舟、喜んで相手の手にのり、力で圧倒し、勝利を強奪すればよい、ところが、どうしたわけか“武器”を手にし、消化不良の、わだかまりが残る勝利をごそごそと拾うことになる。

なんとも非合理な結末だ。


何話か前で力説されていたように、両者には両者なりの技術体系の成り立ちというものがある。

もちろん、ピクルのそれについて語るときの「技術」ということばは、通常のものと意味をまったく異とするし、混乱を誘うとおもうが、なんにせよ、技術の成り立ちというものが普遍的な闘争のなかに自身を投げ込んだ結果の、他者の存在を原理的につねにはらんだ「体系」であるとすれば、ピクルにもそれはまちがいなくあったのである。くりかえし思い出される恐竜たちとの激戦、またそのことが呼び込む矜持が、それを示している。あの回(「第177話/歴戦の疵」 ですね)はそのためのエピソード…つまりピクルとバキの所持する技術的な駒が、質はともかく価値としては等しいものであることを示すためのおはなしだったと僕は理解している(じっさいのところこの感想で僕は考察を放棄してしまっていますが、とりあえずいまは便宜的にそういうことにしておきます)。


しかし今回、みずからちからで追い詰めながらも一般的な意味での「技術」を用いたピクルは、したがって敵の使用している“武器”を借用していることになるのである。「ちからの世界」がいわばピクルにおける「技術的領域」だとするなら、これを圧倒していた「わざの世界」はバキにおける「技術的領域」なのだ。それぞれに誇示するこの世界観がぶつかりあい、ピクルは恐怖とともに「わざの世界」の脅威を心から思い知ったのだ。そこへきて、相手がなぜか「ちからの世界」におりてやってきたのである。もちろんこれはピクルの技術的領域なのであるから、もちろん彼はバキを圧倒する…。しかしいまじぶんの圧倒している小さき敵は、つねにじぶんの世界を上回るより大きな世界を腹のなかにしまっているのである。これがたぶんピクルの感じた恐怖だ…。そして、どこまで意識しているのか定かではないものの、ピクルは「わざの世界」における「技術」を借用してきて、いわば「反則勝ち」をしたのだ。そういうことなのだ。たぶん。


とはいえ、ふたりの所持する「技術」の成り立ちは、もちろん僕らがくちにするときのそれとは大きくちがう。「技術」は、そのものでなにか意味をもつものではないし、また単体で育まれることもない。しかしバキが回想するトレーニングの風景には、驚くべきことに「他人」というものがただのひとりも浮かんでいなかった。そのいっぽうで、ピクルはつねに恐竜との死闘を思い返し、自身の成り立ちというものを自覚している。だからどちらかといえば、ちょっと驚きだけど、ピクルの「技術」の成り立ちのほうがナチュラルなものであるのだ。つまり、バキのほうが「対人間(ひとのかたちをした生物)」のたたかいに慣れているということは置いたとして、両者のもっとも異なる点はその孤独さにあったのではないか。それは範馬の血筋でもあるだろう。じっさいのところはもちろん、(ひとが、わけもわからず社会に放り出されて、鍛えられ、いつのまにか“まっとうな”オトナになっていくように)バキだって普遍闘争の構造のなかに投げ込まれ、そこで強くなっていたわけだが、ここで問題なのはその「自覚のしかた」である…。他者との関係性(じっさいの闘争)のなかで強くなりながら、バキはつねに範馬的孤独のなかでじぶんを見つめなおしてきた。それはおそらく今回のたたかいについても同じことなのである。勝敗のある真剣勝負すら、彼にはおそらく、まずなにしろ成長の現場なのである…。



…まあ、烈さんの解説待ちってことで。



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