なんつうかアレだなあ…
ぜんぜん本読めてないな。
ブログを見ると一目瞭然だ。便利。
むかしの、すっぴんマスターをはじめたころの日記を読むと、ちょっと驚いてしまう。二日に一回、一日おきに書評やってるんですよね。あいだの一日にも必ず、映画の感想か、ジャズやヒップホップのアルバムの紹介をしていて、ときには日に二回長文の記事を書いたりもしていた。それも、こんないいかたが正しいのかどうかはわからないが、拙劣ながらどれもこれもガチだ。いままさに書いてるこの手の文章がほとんどない。どうやってこんなこと続けていたのかなあ…。というかどのようにしてそんなにいっぱい本読んでたんだろ。べつに時間ないわけじゃないんだけど。むしろいっぱいあるんだけど。もともと僕はおそろしく集中力に欠けたにんげんで、仕事上のミスはほぼこれが原因であって、読書も、推理小説みたいによほど先が気になるとかでない限り、続けて二時間くらいが限度だ。それはむかしからのことなんだけど…。最近はなんか飽きるのがはやい気がする。そいで、すぐ脇に転がる漫画とかヘッドホンとかタバコとかに手が伸びてしまう。やはり僕は、「読書家」というのとはちょっとちがうのかもしれないな~。電車で本読んだりはしないし(いちおう持ち歩くけど)、バイトの休憩中に読むでもないし(漫画は読むけど)、時間ができたらまずなにより本を読むというわけでもないし(ブログは更新するけど)。
義務感のようなものから読書の「勉強」である面が肥大してしまい、シンプルな読書衝動を損なってしまっているのかとも考えたが、そういうことともどうもちがうよう。つまらない本に出会ってがっくりすることはあっても、読書が苦痛であったことはいちどもない。もし苦痛を感じることがあれば、そういうときはまちがいなく「読めてない」ので、すぐ中止したほうがいい。時間が無駄とかいうことではなく、そんな状態で読んでしまうのはもったいないからだ。
いつからかわからないけど、最近は何冊かの本を同時に読み進めるということが日常になっている。自然とそうなったのだ。どっかの「読書の達人」的なひとがそんな読み方をしているらしいということも最近勤務先で聞いた。たとえば電車通勤のサラリーマンなら、電車では小説を読み、休憩中は軽いエッセイなどを開き、家に帰ってからは集中力の必要な哲学論文をじっくり読んだりして、結果として一週間で三冊読む、みたいな。しかし、もしかすると僕ではそれがよくないのかもしれないな~。集中が持続できないというのは、なにかほかのことに意識が散ってしまうということかもしれないので。