公式のものではない、飲み会のような場所での自己紹介の際に、「小説書いてます」とか「小説家志望です」とかではなく、「フリーターです」とか「ニートです」とか名乗るのは、僕には習慣のようなもの、自己防衛のための生活の知恵のようなものである。というのは、「小説を書いてる」といったときの相手の、場のリアクションというものはもう決まりきっているからである。「ああ、そういう感じなのね」みたいな軽侮のまじった表情をされるのがオチだからだ。そういうことはもういやというほど経験しているのである。いまの僕の勤務先は本屋だが、面接でPOPの煽り文句みたいの書けるかみたいなはなしになったとき、「物書きを目指している」というようなことをぼんやりとにおわせた。そこの店長はそのことをたいへん好意的に受けとめたようだったが、後日べつのパートのおばはんとさんにんで一緒になったとき、「彼、物書きなんですよ」と店長は僕を紹介したのだが、そのときのパートのリアクションなどはまったく典型であった。もう瞬間的に僕をみる目つきが変わるのである。「そういう夢があるってシアワセだよね」という皮肉のひとつも言われるのである。そして問題なのは、そういった相手を「畜群」としてこころの底で侮蔑するほどには、じぶんに信頼がないということなのである。僕はどうしてもニーチェのようにはなれないのだ。日々の成長を生の原動力とする人間は、現状に満足していないのだ。ニーチェは憎むべき愚鈍な大衆=畜群を規定することで、自己の「超人」への道を太く縁取り、輪郭を明瞭にした。しかし僕のような人間においては、愚鈍さは自己の内部にこそあるのである。成長への欲求とは、現在のじぶんから離脱したいという、みずからを「愚鈍なもの」と規定して生じる「距離のパトス」なのではないか。
誰も彼もそんなリアクションをとるということでもなくて、むしろそういうひとは少数派だったりもする。ある程度の想像力をそなえた、思いやりのあるひとは、そんな露骨な反応を見せることはなくて、たいていどんな返答をすればいいか困って、僕の知らないような(たぶん相手もよく知らないような)メジャーな作家の名前を出してはなしをつなげようとしてくれる。しかしそういうばあい僕は、とにかく相手の気遣いに申し訳なくなってしまうのである。だったら、僕はすすんで道化的に「フリーター」でいいし、「ニート」でいいのである。そのほうが精神衛生的に楽なのだ(とはいえ、そういう想像力のあるひとが僕はすきなので、そのひとのことはそれ以降全面的に信頼してしまうけど)。
そういうわけで、僕はこの「名乗り」がもう癖になっている。先日の写真展のあと、新宿ゴールデン街に行って、知らないひとばかりの空間で、友人から物書きだと紹介されながら、僕はいつものように「いやいや、ふがいないフリーターです」という態度をニヤニヤ示したのである。そこには写真家さんや映画監督さんもいらしたようだが、たいへんに失礼なはなしだけど、くりかえすように僕はひとりも知らなかった。そして、僕がそのような慣用句的自己説明をすると、たいへんに酔っ払っていたある写真家さんが、「じぶんでそういうふうに呼んでしまうと、結果としてみずからをそのように規定してしまうかたちとなるので、やめたほうがいい」というようなことを指摘したのである。いうまでもなく、そんなことを言われたのは生まれてはじめてであった。もちろん、そこにいた全員が広い意味で芸術家であったということも大きかったでしょう。たとえば小説でも文壇というものがあるし、アマチュアの世界でも、同人誌的に小規模な文壇の縮小版みたいなものは、どこにもあるでしょうし、そこに組み入った小説家がじぶんを「フリーターです」なんて卑下するのはやっぱりおかしいでしょう。僕じしんは、誤解を恐れずに書けば、そのように閉じた文壇のありかた…大衆とプロが対立し、大衆が大衆作品を、プロがプロの書いた「ブンガク的」作品を読み、お互いに背中を向けて自足するというありかたじたいには懐疑的だ。まちがいなくこれは長期的に「共感」の土壌となり、「想像力の欠如」を促すものだとおもう。大衆にブンガク作品を、ブンガク者に大衆作品を読めとはいわない。そうではなくて、そのような思考習慣に日ごろから浸かっているという事実が、じぶんの記憶の再体験を自涜的にくりかえすことにつながってしまう気がするのだ。加えて、僕は小説のことしか知らないのでいちおう限らせてもらうが、基本的に小説というのは、日常世界とのずれが生む「毒」が育むものでもある。「わかってもらえない」「ひととひととは永遠にわかりあえない」といった感覚が、すぐれた小説を生むのだとおもう。くりかえすが、誤解してもらいたくないのは、僕は「文壇」の存在そのものを否定しているわけではありません。その「状態」のことを言っているのです。
…それはいいとして、とにかく、そういうふうに言われたことの新鮮さは否定できないし、どこかうれしくもあった。自己に対して隠匿していたおもいを外から指摘されたようなものなのだから。あの世界のことを僕はなにも知らないが、彼らがああやってあの心地よい空間に集まることの価値もよくわかる気がした。
「なんやのその自信。根拠とかあるん?」
「…いや根拠とかないけど。
俺自身くらい俺のこと信じてなきゃ何事も成すことはできないだろ」
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